第一章 ――神様、転校してきた
「神様がクラスに来るらしいよ。」
その噂は、四月の風がまだ少し冷たい朝、教室のざわめきの中で静かに広がった。
最初は誰もが笑った。ありふれた都市伝説だと思っていた。
でも、それは笑えないほどに“本物”だった。
春休み明けの始業式の日。教室の空気は、少しだけざわついていた。
「なあ、聞いたか? 今年の転校生、名前に“神”って字が入ってるらしいぞ。」
「え、それだけで神様とか言ってんの?」
「いやいや、マジで“どこから来たのか誰も知らない”って話だし。教師も口濁してんだぞ?」
「てか名前、“神代”って……ガチじゃね?」
俺、真中奏(まなか・かなで)は、その話題の中心に興味を示さなかった。
こういう噂は毎年ある。何かしらの「異物」が現れれば、勝手に神格化されるのがこの学校の伝統だ。
特に、御影高校は少しだけ“変”な学校だった。
「おはよう、奏!」
後ろから元気な声がして、俺は振り向いた。
「いろは。おはよ。」
七瀬いろは。俺の幼馴染だ。明るくて快活で、クラスでも人気者。
けど、俺だけが知っている。彼女が時々、誰にも見せない“沈黙”を持っていることを。
「転校生、来るって。緊張するよね〜! って、あんまり興味ない?」
「……まぁ、別に。」
「まーたクールぶっちゃって〜!」
俺たちの会話は、いつも通りだった。
何も変わらない日常。そう思っていた。
でも、それは教室の扉が開くまでの話だった。
「えー、静かに。転校生を紹介するぞ。」
担任の若林先生がそう言った瞬間、教室が静まり返った。
そして、扉が静かに開いた。
そこに立っていたのは――“人間じゃない”と思えるほど、美しい存在だった。
「……神代ひかりです。よろしくお願いします。」
声は低くも高くもなく、透き通っていた。
目の色は銀色。まるで鏡のようで、見つめられた者の心を映し出すような不思議な感覚があった。
そして何より――性別が、分からなかった。
男子のような整った輪郭。女子のような白く柔らかな肌。
制服は男女兼用のブレザー。どちらにでも見えるのに、どちらでもない。
「じゃあ、真中の隣、空いてるな。神代、そこ座れ。」
俺の心臓が、一瞬跳ねた。
「よろしくね、真中くん。」
ひかりは俺の隣に座り、柔らかく微笑んだ。
その瞬間、俺の中で何かが“蘇る”感覚があった。
放課後。俺は屋上にいた。
春の風が髪を揺らし、制服の裾をはためかせる。
考えていたのは、あの神代ひかりのこと。
――どこかで、会ったことがある気がする。
でも思い出せない。
夢か、幻か、もしくは――
「やっぱり、ここだったんだね。」
背後から声がした。ひかりだった。
「お前……なんで俺がここにいると……」
「僕は“神様”だから、ね。」
そう言って、ひかりは笑った。
それは冗談のようで、冗談に聞こえなかった。
「君には、“選ばれし記憶”がある。君だけが、僕を覚えているはずだよ。」
心臓が一瞬止まった気がした。
「な、にを……」
「十年前。君は僕と出会っている。忘れてしまっただけで、君の中にそれは刻まれているんだ。」
十年前。
その言葉が、過去の扉をノックする。
朧げな記憶の中――廃神社。満月の夜。
神と、交わした契約。
「……覚えてない、けど。夢で、何度か……見たことがある。」
「それで十分さ。もうすぐ君は思い出す。そして、僕の“観察対象”として選ばれることになる。」
「観察……?」
「僕はね、人間の“感情”を記録しているんだ。特に――壊れゆく関係性。崩壊する心。君は、その中でも“特別な例”なんだよ。」
ひかりの声は、優しかった。
でも、その優しさの裏に、底知れない冷たさがあった。
「いろはさんとの関係も、ね。」
「……いろは? なんであいつが……」
「ふふ。嫉妬、焦燥、羨望、罪悪感。君の周囲は、実に興味深い。」
俺は背筋に冷たいものを感じた。
この転校生は――本物だ。
その夜、俺は久しぶりに夢を見た。
舞台はあの廃神社。
小さな俺と、光り輝く何か。
「お願い。友達が、死にそうなの。」
「いいよ。でも、その代わり――十年後、君の心を観察させてもらうよ。」
その契約の証として、俺の胸には“印”が刻まれた。
目覚めたとき、胸元をまくった。
そこには、十年前に消えたはずの“印”が、くっきりと浮かび上がっていた。
翌朝。
教室に入った俺を、いろはが見つめていた。
その瞳には、うっすらと“恐れ”が浮かんでいた。
「奏……。神代くん、変じゃない?」
「……ああ。少し、変だな。」
「夢……見なかった? 昔のこと、思い出したり……」
俺は、息を呑んだ。
「……いろは、お前も……?」
「うん。私も、十年前――あの神社で、あいつに会ってる。」
ふたりの記憶が、少しずつ交差していく。
その先にあるものが、幸福なのか破滅なのかは、まだ分からない。
でも、ひとつだけ確かなことがあった。
神様は、俺たちの“日常”を壊すために、やってきた。
「さぁ,始まりだ。」
第二章 ――観察実験、開始
神の計画書。
神代ひかりは、誰もいない屋上でひとり、風に揺れる校庭を見下ろしていた。
昼休み。空には雲が流れ、誰の目にも届かない高みに、彼の思考はあった。
――観察対象、真中奏。起点の封印解除、第一段階クリア。
――幼馴染、七瀬いろは。共鳴反応確認。
――次段階へ進行許可。
人の姿を借りた神は、内なる世界で「記録」を開始した。
彼らは既に“舞台”に乗っている。あとは、どう動くかを見届けるだけ。
「感情は、実に不確定で美しい。破綻の瞬間こそ、もっとも純粋だ。」
彼――いや、「それ」は呟いた。
そして次の“観察者”を選び始める。
その日、奏は図書室で“あの本”を見つけた。
それは見覚えのある装丁で、触れた瞬間、胸の印が微かに疼いた。
――御影高校百年史
だが中身は違った。中は真っ白。最初のページに、たった一行だけ書かれていた。
《感情の断面を記録する書》
「……何だよ、これ。」
めくるたびに、ページがひとりでに文字を刻み始めた。
『観察対象:真中奏』
『傾向:抑制型、共感性強、他者優先主義』
『被験項目:嫉妬・喪失・選択・裏切り』
「……誰が、こんな……」
「記録者は神様だよ。」
声がした。背後にいたのは――ひかりだった。
「やっぱり、ここに来たね。図書室は、“記録”の発信源だから。」
「……お前、何をする気だ。」
「観察だよ、奏。君の心が、どう壊れていくのかを見る。」
「ふざけんな……!」
怒鳴る声を、ひかりは優しく受け止めた。
「怒ってくれるのは、嬉しいよ。感情が、ちゃんと動いている証拠だから。」
その言葉に、ぞっとした。
まるで、俺の心そのものが玩具のように弄ばれている気がした。
「大丈夫。選択肢は君にある。“どう壊れるか”を選べるんだから。」
その日、帰宅途中のいろはは、一本の封筒を見つけた。
ポストの中に、それはあった。
宛名も差出人もない。中には、写真が数枚入っていた。
そこに写っていたのは――奏と、知らない女の子が、笑い合っている姿だった。
いろはの手が止まった。
目が、動かなかった。
心の奥底で、何かがきしんだ。
翌日、クラスに転校生がもう一人やってきた。
「白河 透香(しらかわ・とうか)です。よろしくお願いします。」
透き通るような白い肌、柔らかな声。
教室がざわついた。まるで、人形のようだった。
それなのに、奏にだけ、まっすぐと歩いていき、こう言った。
「真中くん、久しぶりだね。」
「……え?」
奏の頭の中で、白い霧が晴れた。
十年前の記憶――神社で一緒にいた、あの子。
助けようと願った、あの子だ。
「透香……なのか?」
「うん。私、戻ってきたよ。今度こそ、ちゃんとお礼を言うために。」
クラスは騒然とした。
神代ひかりは、その隅で静かに笑った。
「嫉妬は、“独占欲”という毒。人間の愛情の裏側には、必ずそれがある。」
いろはは、それを見ていた。
教室の端で、静かに、拳を握りしめて。
「……奏、知らないって言ってたのに。」
その小さな“綻び”を、ひかりは逃さなかった。
放課後、いろはは校庭の裏手で、ひかりに呼び出された。
「ねぇ、いろはさん。君は、今どんな気持ち?」
「……別に、何も。」
「ううん。そんなはずない。心が、濁ってる。暗くて、熱い。」
ひかりは、指先で空をなぞるようにして、いろはの目を見つめた。
「君の中には、“選択されなかった”という感情が渦巻いている。」
「……何が言いたいの?」
「君は、大切な友達を“神様”に差し出した。その罪悪感から、ずっと目を背けている。」
「違うっ……!」
いろはの声が震えた。
「私は……私は……奏を守るために、あのとき……!」
「でも今、君はまた同じように選ばれなかった。今度は“女の子”として。」
その瞬間、いろはの頬に、静かに涙が伝った。
ひかりは、それを美しいものを見るように見つめていた。
「その感情が、君を育てる。“神様”になるのも、悪くないよ?」
その言葉の意味は、まだ理解できなかった。
でも確かに、いろはの中に「何か」が芽生えた。
白河透香の存在は、クラスのバランスを急速に崩していった。
静かに、しかし確実に――
奏の隣に座り、昼食を共にする
体育では、いろはとペアになるはずの奏を“自然”に奪う
放課後、一緒に帰る姿を“偶然”何度も見せる
いろはは、ただ見ているしかなかった。
口に出したら、負けだと思っていた。
でも、本当は――怖かった。
奏の笑顔が、知らない女の子に向けられることが。
「いろはさんは、“観察対象β”に認定されました。」
放課後、ひかりは静かにそう告げた。
「君の“感情進化”は、実に美しい。あと少しで、壊れる。」
「やめてよ……やめてよ……奏に、近づかないで……」
「僕じゃないよ。壊してるのは、君自身さ。」
いろはは叫んだ。
「神様なんかじゃないっ……! あんたは化け物だっ……!」
でもその叫びも、ひかりには音楽のように聞こえていた。
「ありがとう。最高の“感情”を、ありがとう。」
夜。神代ひかりはノートに記録をつけていた。
『観察対象α:真中奏』
感情傾向:混乱/保護本能/記憶解放開始
『観察対象β:七瀬いろは』
感情傾向:嫉妬/不信/罪悪感の表面化
『観察対象γ:白河透香』
状態:覚醒中/再構成完了/記憶完全保持
そしてページの最後に、こう書かれていた。
《次なる感情観察:裏切り》
これ続くかな,,,w
コメント
2件
らくがき…???????いや凄すぎるでしょ神やん 神代くん(?)うちのラピスとは大違いやな