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『二本目のカーブまでは、車の状態を確認したいので、普通に運転します』
(人の車を初めて運転するのに、シフトチェンジからハンドルを切るタイミング、走行ラインまで、すべて完璧にこなすんだな――)
宮本の口から事前に告げられた言葉通りに、ごく普通の運転をしていたので、橋本としては安心した気分でいられた。だが三本目のカーブに入る手前の直線なってからの加速が、それまで考えていた思考を吹き飛ばすくらいの走りに激変した。
三笠山の山頂からの、ダウンヒルの直線――後ろから押されるような加速を感じて、アシストグリップを左手で握りしめつつ、躰にかかってくるであろう重力に備えるべく、両足を踏ん張った。
橋本の走りなら、この時点でブレーキを踏み込むというタイミングなのに、宮本はアクセルを緩めるどころか、まだ加速を続ける。
「バカっ、オーバースピードだ!」
悲鳴に近い声を上げながら隣を見たら、自分よりも垂れ目な瞳が、吊り上がり気味になっているだけじゃなく、頬を緩ませて子どものように喜んでいる宮本の姿があった。
「陽さんっ、グリップ走行をするには、コーナーを入る前に、ある程度のスピードが必要じゃないですか」
無邪気な顔して運転する宮本が、見たことのないくらいのハイテンションで橋本に話しかけたことに、眩暈がしてきた。
「これは、ある程度のスピードじゃねぇぞ!」
「この車ならイケる。よっ☆」
話をしている最中に、宮本はブレーキを踏んだのかもしれない。しかし目の前に見える景色が真横のままで流れていくという、橋本が経験したことのないものだったせいで、何もかもがまったくわからなくなった。
それに戸惑って隣を見ると、片手はハンドルを切ったままなのに、自分を見ながら空いてる手でピースをしている、見るからに危ない宮本がそこにいた。
「まっ前を向けって!」
「ね、曲がれたでしょ」
「わかったから! 頼むから、前を向いて運転してくれ!!」
橋本の悲痛な叫びを聞き入れ、宮本は仕方なさそうな顔で前を向く。それに安心したのも束の間だった。
「ほっ☆」
ありえないスピードでコーナーに突っ込んだあとになされた、ブレーキングからの素早いハンドル捌きに橋本はついていけず、アシストグリップを両手で握りしめる。それ以外に掴まるところがなかったので、必死になって躰のバランスを保つべく、両手と両足に力を入れた。
耳に聞こえてくるエンジン音や、タイヤのスキール音も、すべて自分の車から出ているものなのに、別の車のように感じた。
橋本の知らないインプの別な顔を引き出す宮本のすごさが、嫌というくらいに体感することができた。それだけじゃなく想定外の重力で、躰にひしひしと疲労を感じ始める。
「ねぇ陽さん、ここから少し行った場所のストレートの窪みに、落ち葉が溜まっていた場所があったでしょ?」
ヘアピンカーブを難なくやり過ごしながら、楽しげな様子で宮本が訊ねてきたが、橋本としてはそれどころじゃなかった。疲労困憊という四文字が、頭の中に流れる。
「今よりも、あとちょっとだけスピードを上げて、落ち葉に突っ込んでみたいなと思って」
「そ、そんなことをしたら滑って、どこに吹っ飛ばされるかわからないだろ」
「きっと飛べると思うんだ」
ナニヲイッテルンダ、コイツ……。
「格好いいリアウイングだって付いてるんだし、遠くに飛べるだろうな」
「とっ、飛んだあとはどうするんだ。確か、すぐにカーブがあっただろ」
「道なりに曲がればいいですよね」
平然と言いきった宮本に、橋本の疲れ果てた思考ではかける言葉が見つからず、疲労困憊という文字が絶体絶命という文字に変わり、頭の中で点滅を始めた。
「俺の運転を信頼してるって言ってくれた、陽さんと一緒に飛んでみたい」
「確かに言ったが……」
「大好きなアナタと飛びたいんだ」
宮本が喋ったタイミングで、キャーという派手なスキール音が車内に響いた。
「何だって?」
「今しかないこの瞬間を、陽さんと飛びたい!」
今しかないこの瞬間――クレイジーな走りをする宮本の運転によって死ぬかもしれないこの現状を、橋本は改めて見直してみた。
表情は楽しそうなのにどこか愁いを帯びる宮本の双眼が、道路の先を見つめている。いろんなカーブをすごい速度で難なく突破するドライビングテクニックは、橋本の想像をはるかに超えるものだった。
そんな奴が自分の車を使って、飛びたいと言った。
「……まるで、無理心中でもするみたいじゃないか」
ぼそっと呟いた橋本の独り言は、宮本には聞こえなかったらしい。S字カーブを攻略するのに、見事なハンドル捌きで走行していく。
叶わない恋に嫌気がさして、若い男の運転であの世に行く自分――そんな未来を想像しつつ宮本を見ると、前を見据えながら橋本に向かって左手の親指を立てていた。
(――これは、どういう意味なんだろうか?)
「雅輝……」
「このインプは陽さんのだ。陽さんが飛べと言えば飛ぶし、嫌だと言ったら飛ばない」
親指を立てていた左手が、シフトチェンジするのに使われる。橋本は黙ってその様子を見つめた。
「ただ言えることは飛んでも飛ばなくても、俺はここを失敗せずに走り抜く。陽さんの信頼にかけて!」
「だったら思う存分に、好きなだけ飛びやがれ、デンジャラスなクソガキがっ!」
ここまで宮本に言わせて、飛ばせないなら男じゃないと、瞬間的に橋本が悟った結果、高らかな笑い声と一緒にゴーサインを出してしまった。
ギアがトップに入れられ、ぐんと加速していく。するとインプを待っていたかのように、大きな窪みの上に積もった落ち葉が、ヘッドライトに煌々と照らされ、その姿を現した。
(登りでは避けた落ち葉の山に、わざわざ突っ込んで行くとは、山頂を登るときは思いもしなかった――)
これから起こる危機的状況を迎えるにあたり、どんよりした気持ちで過去を振り返った橋本に、宮本が嬉しさを隠しきれないような弾んだ声で話しかける。
「行きますよ、ひゃっほー☆」
ズシャッという音と一緒に舞い上がったインプと落ち葉。だけどそれよりも、躰に感じる浮遊感のほうが気になった。ジェットコースターの頂上から落ちるときと同じ浮遊感に、下半身が気持ち悪くてしょうがない。
目の前をたくさんの落ち葉が舞っていくその隙間から、自分に向かって瞬いている星が、えらく綺麗に見えた。
橋本の記憶があったのはここまでで、無事に着地できたのか、その後すぐにおとずれる急カーブを宮本が制することができたのかは、結局のところわからないままだったのである。