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食事を終え、ビルの地下の駐車場に行った京平は、並んだピンクと濃紺の二台の車を見ながら、文句を言い出した。
「で、これだよ。
いい雰囲気になったかなと思ってたのに」
いや、なってはいませんよ……。
「なんで、お前はまた、今日も自分の車で来てるんだっ」
通勤に便利だからですよね~……と思いながら、のぞみは主張する。
「うちの家から会社まで、バス電車バスと何度も乗り換えないといけないんで、めんどくさいんですよ。
っていうか、なんで車で来ちゃいけないんですか」
「……送っていきたいからだよ」
と言われて、ちょっとどきりとしてしまったが。
いやいや、これも京平の壮大な計画の一部に違いない、と思い、ときめかないようにする。
……まあ、ときめかないようにしている時点で、既にときめいてしまっているのかもしれないが。
「じゃ、車は此処に置いとけ。
知り合いのビルだから、大丈夫だ。
少しこの辺りを走ろう」
乗れ、と京平は自分の車のドアの横に立ち、言ってきた。
「……嫌です」
「なんでだ」
こんな、とりあえず、見た目は格好いい人に、自分から言うのもおこがましいな、と思い、黙っていると、京平は腕を組み、冷ややかな目でこちらを見下ろし、言ってくる。
「お前、俺に襲われると思ってるだろう」
はい、と言うのもなんだかな、と思い、黙っていると、京平は、
「いや、襲うとも」
と宣言してくる。
「乗りませんっ」
「いいから、乗れ。
人が見ている」
チラと京平は視線を上げた。
大きな白いイタリア車にちょうど乗り込もうとしている美しい外国人女性が居た。
京平はそちらを窺いながら、
「お前が嫌がると、俺が人さらいみたいじゃないかっ」
と言ってくる。
そのとき、その女性が、細い糸のようなさらさらの金髪をなびかせ、なにか京平に言って笑った。
さっと車に乗って行ってしまう。
「ほら、笑われたじゃないかっ」
「美人に笑われるとこたえますよね、同性でも……」
なんでだろうな、と思いながら、
「今、なんて言われたんですか?」
と訊いてみた。
「頑張って、と言われたんだ」
と恥ずかしそうに京平は言ってくる。
「そうなんですか。
すみません。
どうもイタリア語は苦手で」
「……あれはスペイン語だ」
そうなんですか。
すみません……。
更に乗る気が失せたようだ、と思いながら、走り去った白い外車を見ていたのぞみは突然、思い出した。
「そういえば、先生。
昔、綺麗なETCの先生と話題になってませんでしたっけ?」
「なってない。
そして、ETCじゃない、AETだ」
Assistant English Teacherだろ、と言われる。
「なにが、ETCだ。
お前は、何処に向かって走って行く気だ……」
そこで、京平はのぞみを見、
「お前、今、ちょっと間違っただけじゃないですか。
同じアルファベット三つじゃないですか、とか思ったろ」
と言う。
超能力か。
教師ってのは、なんで、こう、突っ込みが厳しいんだろうな、と思いながら、もう反抗する気も失せたところで、
「乗れ」
と言われたので、とりあえず、乗ってみた。
京平の車で夜の街を走りながら、のぞみは、緊張するんだけど、緊張しないな、と思っていた。
前に、男の子の友だちの車に乗ったときは、座りが悪いというか、妙に落ち着かなかったのだが。
そういう感じが今はない。
黙っていると、
「どうした?」
と京平に訊かれたので、その話をしてみると、
「そりゃあれだろ。
単に、その男の車のシートが合わなかったか。
お前が俺のことを好きかのどっちかだ」
と言われる。
「いえいえ、そうではなくて――」
と言い訳しかけたところで、いきなり、片手で頬をつかまれ、引っ張られた。
「それはともかく、簡単に男の車に乗るなよ~っ」
「今、乗ってますっ」
と頬を引っ張られながらも訴えると、
「俺はいいんだよっ」
と言われた。
そのあと、湾岸沿いを工場の夜景など眺めながら、昔、のぞみが、
「目にミドリの虫が飛び込んできたので、遅刻しました」
と言った話などをする。
なんで、そんな話覚えてるんだ……と思っているうちに、車は、無事に元のビルに戻ってきていた。
さっきの場所は違う車が入っていたので、少し離れたところに京平は車をとめる。
「お前とくだらない話をしているうちに、戻ってきてしまったじゃないか。
あんな話してたら、ムードもへったくれもないからな」
と文句を言ってくるので、
「いや、先生が始めたんですよね……」
とのぞみは反論してみた。
すると、京平は嫌な顔をして言う。
「先生はもうよせ。
不純異性交遊している気になるから」
でもなー。
専務って呼ぶのも、こうして二人で居るときには、実は、抵抗あるんだよなーとのぞみは思っていた。
なんだか不倫でもしている気持ちになるからだ。
まあ、専務というと、だいたい、ご年配の方だからな、と思ったとき、
「仕方ない。
今日は此処までだ」
と授業を終えるように京平が言ってきた。
はい、ありがとうございました。
ご馳走さまでした、とのぞみが頭を下げると、
「うん」
と京平は頷く。
やれやれ、無事に帰れた。
高校時代、ミドリの虫が目に入って遅刻したおかげだな。
ありがとう。
ミドリの虫、と思いながら、のぞみが車のドアを開けると、
「坂下!」
と京平が呼びかけてきた。
思わず、
「はいっ!」
と背筋を伸ばして、返事をする。
振り返ると、京平は少し迷うような顔をしたあとで、口を開き、
「明日は車を置いてこい。
朝、俺が迎えに行ってやる」
と言い出した。
「え、でも、遠回りじゃないんですか?」
「かなり遠回りだよ……」
と京平が不満げな顔をしたので、じゃあ、やめておけ、と思ったのだが、京平は言う。
「……でも、迎えに行きたいんだ、の」
……の?
迎えに行きたいんだの?
何処の地方の方言だ、と思っていると、京平はかなり迷ったあとで、
「……のぞみ」
と言ってきた。
そして、自分で慌てたように、
「早く降りろっ」
となにか爆弾でも仕掛けてあるのかという勢いで言ってくる。
「は、はいっ」
とのぞみが慌てて降りると、京平は発進させようとする。
ありがとうございましたっ、と急いで頭を下げ、自分の車に向かったが、誰かが後をつけてくる。
その勢いにビビリながら、足を緩めず振り返ると、早足に京平が追いかけてきていた。
ひーっ!
何故!?
「帰ったんじゃなかったんですかっ」
と何度も振り返りながら、叫ぶと、
「いや、よく考えたら、車に乗るまで、危ないじゃないかっ」
とよく響く地下駐車場で京平は叫び返してくる。
車に乗り込もうとしていたおじさんたちが、何事だ? という顔でこちらを見ていた。
今、周囲の目には貴方が危ない人ですっ、と思いながらも、京平に追われるようにして、のぞみは慌てて自分の車に乗り込んだ。
「誰か来たらどうするんだっ。
早く鍵をかけろっ」
はいっ、とのぞみは鍵をかけ、エンジンをかける。
そのまま出ていきかけて、窓を開けた。
「お、おやすみなさい。
ありがとうございます」
「……おやすみ」
と言ったあと、京平は口を開きかけ、沈黙する。
のぞみ、が言えなかったんだな、と思った。
まあ、ずっと生徒として、坂下って呼んできたんだもんな、と思いながら、少し笑い、
「じゃあ、失礼します」
と言って窓を閉め、出発した。
京平はのぞみが出て行くまで、その場に立ち、見送っていたようだった。