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#10 休符に託した続きを
墓地は春の匂いがした。土の湿り気と、名も知らぬ花の甘さが混ざり、胸の奥で静かにほどけていく。黒い石に刻まれた三文字――RIP。そこに置いた白い菊が風に揺れた。
彼は音楽が好きだった。RIPという言葉を、単なる別れの符号ではなく、静かに幕を下ろすためのリフレインだと言っていた。曲の終わりに残る余韻のようなものだ、と。だから葬儀の日、私は彼のプレイリストを小さく流した。低音が土に吸い込まれていくのを、誰も咎めなかった。
約束があった。最後に会った夜、病室の窓は少しだけ開いていて、街の灯りが波のように滲んでいた。彼は痩せていたが、目はいつもより澄んでいた。
「泣くなよ」と彼は言った。「RIPは終わりじゃない。休符だ。次に入る音のための」
私はうなずいた。言葉にすると壊れてしまいそうだったから。
季節が巡り、私は街の片隅で小さな喫茶店を開いた。彼が好きだった音を流す場所。カウンターの奥に、彼のギターケースを置いた。触れればまだ温もりが残っている気がした。
開店初日、夕方の光がガラスを金色に染める頃、常連になりそうな青年が入ってきた。彼は彼の友人で、笑い方が少し似ていた。コーヒーを出すと、音楽に耳を傾け、ふっと笑った。
「いい選曲だね。彼も喜ぶよ」
そのとき、店の外で何かがきらめいた。誰かが花束を置いていったのだ。白と青の花が混ざって、空の色みたいだった。胸が温かくなる。約束は、こうして続いていくのだと、確信できる瞬間だった。
青年は花を見て、明るく言った。「ほら、始まったじゃない、ピーポー」
その一言が、部屋の空気を軽くした。笑いがこぼれ、音楽が少しだけ前に進んだ気がした。
夜、店を閉めてから墓地に寄った。月明かりの下で、RIPの文字は柔らかく光っていた。私は静かに報告する。店のこと、音楽のこと、笑いがあったこと。返事はない。それでいい。
休符の先に、確かに次の音がある。約束は果たされつつある。私は花を整え、背を向けた。風が吹き、春はまだ続いている。