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夢汰🌩️

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最初から、全部変わったわけじゃない。
昨日までできなかったことが、今日から急にできるようになる。
そんな都合のいい話じゃない。
酒を飲みたくない日もあった。
でも、仕事だから飲まなきゃいけない日もあった。
帰ってから気持ち悪くなる日もあった。
そのたびに、俺は思った。
また駄目だった。
また晴を心配させた。
前なら、そのまま自分を責めて終わっていた。
でも。
最近は違った。
「今日はどうだった?」
帰宅した俺に、晴は聞く。
売上のことでも。
仕事のことでもない。
俺自身のことを聞いている。
「……ちょっと飲みすぎた」
そう言えるようになった。
たったそれだけのことなのに。
前の俺には、ものすごく難しかった。
*
「湊」
「ん?」
「今日、無理に食べなくていいからね」
夕飯の前。
晴がそう言った。
テーブルには、温かいご飯と味噌汁。
焼いた魚。
卵焼き。
どれも特別豪華なものじゃない。
でも、ちゃんと誰かのために作られた料理だった。
「食べられないって言われるの、嫌じゃない?」
思わず聞いた。
晴は少し首を傾げる。
「なんで?」
「せっかく作ったのに」
晴は笑った。
「僕は、食べてもらうためだけに作ってるんじゃないよ」
「……」
「帰ってきた時に、温かいものがあるって思ってほしいから」
その言葉に、胸が詰まった。
昔の俺なら。
きっと気づかなかった。
料理は味だけじゃない。
量でも。
栄養でもない。
そこに込められた気持ちがある。
晴はずっと、俺にそれを渡してくれていた。
「いただきます」
自然に口から出た。
晴が少し驚いた顔をする。
「……湊」
「なに」
「いや」
晴は笑った。
「久しぶりに聞いた気がしたから」
そうだった。
俺はいつから言わなくなったんだろう。
いただきます。
ごちそうさま。
当たり前だった言葉。
でも、食事がただの作業になった瞬間から、言わなくなっていた。
箸を持つ。
味噌汁を飲む。
温かい。
それは分かる。
でも。
味はまだ少し遠かった。
*
休みの日。
晴が昼ご飯を作っていた。
「何作ってんの?」
「カレー」
「珍しい」
「嫌いじゃないでしょ」
その言葉に少し驚いた。
「……覚えてたの?」
「恋人の好きなものくらい覚えてるよ」
さらっと言うから困る。
晴はこういうところがずるい。
大きな言葉じゃなくて。
何気ないところで、ちゃんと大事にしてくる。
テーブルにカレーが置かれる。
湯気。
香り。
スプーンを持つ。
一口食べる。
「あ」
思わず声が出た。
「どうした?」
晴が心配そうに見る。
違う。
違うんだ。
嫌な感じじゃない。
身体が拒否しているんじゃない。
ただ。
久しぶりだった。
「……おいしい」
小さく呟く。
晴は何も言わなかった。
ただ、少し目を細めた。
その顔を見て。
急に涙が出そうになった。
俺はずっと。
美味しいって言葉を、失くしたと思っていた。
でも違った。
なくなったんじゃない。
感じる余裕がなかっただけだった。
*
それから少しずつ。
食べられる日が増えた。
晴の味噌汁。
休日の昼ご飯。
仕事帰りの小さな夜食。
全部が特別なわけじゃない。
でも、俺には大事だった。
ある夜。
いつものように晴が作ったスープを飲む。
前なら気づかなかった甘さ。
野菜の柔らかさ。
身体に広がる温かさ。
俺はカップを持ったまま、呟いた。
「晴」
「ん?」
「美味しいって思えるようになったよ、俺」
晴は何も言わなかった。
ただ、少しだけ目を伏せた。
たぶん泣きそうだったんだと思う。
俺も同じだった。
失ったと思っていたものが。
ちゃんと、まだ俺の中に残っていた。
「よかった」
晴が言う。
その声は、いつもの穏やかな声だった。
でも。
その奥に、たくさんの時間が詰まっている気がした。
待ってくれた時間。
心配してくれた時間。
何も言わず、隣にいてくれた時間。
俺は初めて思った。
頑張る場所だけじゃなくて。
帰る場所も、大事なんだって。
コメント
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第5話、じんわり来ました。「いただきます」が自然に出たシーンと「おいしい」と呟けた瞬間が特に印象的です。食べることがただの作業になってしまっていた湊さんが、晴さんの「作った人を想う気持ち」に触れて少しずつ感覚を取り戻していく過程が丁寧で。ラストの「帰る場所も大事なんだ」で泣きそうになりました。2人の時間の積み重ねが伝わってくる、とても温かいお話でした。