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イザがフィリアを産んだ事は、その場に居た者達だけの極秘扱いとされた。
それは政務担当の一人が言い出したことで、誰も反論しなかった。皆、どう扱えば良いのか分からない、というのが理由だった。
たったの三日で、しかも卵で産まれた。それだけではなく、こぶし大だったものがみるみる内に、一抱えもある大きさに膨れ上がった異質なもの。
そこから出て来た得体の知れない化け物。
それを娘だというイザ。
このおぞましい事実を、どう伝えれば誰もが納得するだろうか。
数日が過ぎた今となっても、彼らはイザとその娘を隔離し、人目につかないようにしている。
**
窓から入る光の向きが、逆方向に変わり始めた頃。
イザはベッドに重ねた枕を背もたれに座りながら、横からべったりと引っ付いているフィリアの頭を撫でていた。
その前は、胸に正面から顔を埋められていて、それをただ抱きしめていた。
そうした様子だけを見ると、愛情深い母と、その幼い娘にしか見えないだろう。
けれどそれは、イザにとっては暇を持て余しているのだった。
イザにへばりついているフィリアを、甘えたいのだろうと無下にせず優しく触れては、抱きしめたり撫でたりと愛情はあるらしいが。
普段ならば、部屋の前に並ぶ男たちから魔力を注いでもらう時間なせいで、どこか落ち着かない。
しばらくは問題がないとしても、いずれ魔玉に魔力を吸われてしまうからだ。かといって、幼いフィリアにそんな姿を見せるわけにはいかない。
そのある程度の時間、娘を誰かに見てもらわなくてはならない。
ゆえに、隔離されてやるのは良いが、そろそろ手を打とうと考えている時だった。
ノックの音が聞こえると、イザは「ようやくお昼ごはんね」と、つぶやいた。
「イザ様。お食事をお持ちしました」
淡々としているが、丁寧で嫌味の無い女の声が届く。
「入りなさい」
イザも同じように、淡々とした声で答えた。
イザの寝室には出産以降、治癒士の女が一人、侍女として出入りするようになった。
魔族の中でそれなりの地位に居るのか、立ち振る舞いが凛とした美しい女だった。
彼らによくある金髪碧眼で、背もイザより少し高い。ゆるく束ねた長い髪を肩から胸にかけて下ろしている。それがまた、落ち着いた佇まいによく似合う。
「セイラ。体調も戻った気がするし、そろそろ外に出たいわ。フィリアにも外を見せてあげたいし」
イザが人の名前を覚えるだけではなく、その名を呼ぶのは珍しいことだった。が、それだけ毎日、世話を任せているということだ。
「まだ、許可が出ておりませんので……」
セイラは、料理をサービスワゴンからテーブルに移しながら、心苦しそうに答えた。
そしてあまり目を合わせないように、そそくさと出て行こうとしている。
そうはさせまいと、イザは「それじゃあ」と言って呼び止めた。
「許可を出すか迷っている誰かさんを、呼んでくれる? どうせ、どう発表すればいいのか分からなくて、皆に隠しているだけでしょ?」
怒っているわけではなく、落ち着いた物言いだった。
その物腰に安堵したセイラは、うやうやしく礼をして、今度はイザの目を見て答えた。
「その通りだと思います。すぐに来るよう伝えます」
そしてフィリアにも視線を移し目が合うと、微笑んでみせた。
立ち振る舞いは別として、随分と現金な、分かりやすい女だった。
「……さ、フィリア。いただきましょうか」
イザに引っ付いたままのフィリアは、しかし、扉が閉じきるのを待ってから声を発した。
「ママ。わたし、おもったことがあるの」
フィリアは、赤い瞳で扉を見据えたまま言った。
少し舌足らずな話し方ではあるが、その幼子はすでに会話が出来た。
生まれて数日にして、齢五つほどに見えるそのままか、もう少し幼いくらいのやや流暢な言葉を使う。
それを悟らせないために、セイラが居る時には押し黙っているのだった。そしてそれも、イザが指示した訳ではなく、フィリアが自らそう判断してのことだった。
彼女は己が異質であることを、誰よりも理解している。
そして、イザはその知能の高さを知っていた。我が子のことだからという以上に、フィリアのことがなぜか分かっている。
「なぁに? フィリアは何を思ったのかしら」
誰にも見せたことのない、優しい微笑みのイザがそこにあった。
「ママ。わたしね、ママはすごいなぁって」
フィリアは、イザを横から抱きしめて離さない姿勢のまま、顔だけを上げて言った。
そしてイザは、その深紅の双眸にしっかりと目を合わせて応える。
「あら、私のなにがすごいの?」
イザは娘の美しい銀髪を撫でながら問う。
「わたしがうまれたときにね。ママがわたしをきょひしてたらね。みんな、ころしちゃおうとおもってたの」
齢五つ程度の子が、こんなことを言えば普通は恐ろしく思うだろう。だがイザは違った。
「あら。拒否なんてしないわ。私の娘だって、一目見て分かったもの」
一切動じないどころか、それがまるで、二人にとってよくある会話のように答えた。
「たまごからうまれるなんて、ヘンだとおもわなかったの?」
その幼子はさらに、見かけ通りではない知性を当然のごとく口にした。舌足らずなところだけが唯一、その体に似つかわしいものだった。
イザがそれを不審に感じないのは、母ゆえの同調だろうか。
「ぜんぜん? むしろ、小さく産めて助かったと思っているくらいよ。それでも痛かったんだもの。普通の大きさで産んでいたら、私は死んじゃったかも。だから、ありがとうフィリア」
「わぁ……わかってくれてたんだ。うれしい」
「やっぱり、フィリアがそうしてくれたのね」
「うん。うん!」
その幼子は嬉しそうに目を細めて笑むと、重ねて強く頷いた。
「さすがフィリアね。偉いわ。お陰で私は死なずに済んだのだから」
「えへへー」
その会話は、第三者が聞けば異様だと感じただろう。
だが、二人の間ではそれが当然だった。
それに初めて二人きりになった時、会話が出来ると見抜いたのもイザだった。
最初から、幼子ではなく一人の人として声をかけたのだ。
イザ自身も、なぜそうしたのかは理解していない。
ただそうするのが自然で、意思も言葉も通じると――知っていた。
**
しばらくして、食器を下げに来たセイラと共に、老齢で白髪の男が部屋に来た。
彼は本国から増援として来た男で、政務担当に加わっていた。
「イザ様。わたくしめがここに閉じ込めた、張本人にございます」
見目通りにしわがれた声。
彼は深く頭を下げたが、したことを反省した素振りではなく、堂々としていた。
だが、背も高く生気に満ちているのに、腰が少し曲がっている。そして、刻まれたシワの数が他の男たちとは違う。長命でいつまでも若い魔族が、見て明らかに老齢なのはイザには珍しかった。
「魔族って、一生若いままだと思っていたわ。でも考えてみれば、前線にはあまり出て来ないわよね」
「その通りにございます」
彼はもう一度頭を下げると、その姿勢からイザを見上げた。
「何か、お話があるとか」
魔王を目の前にして、一歩も引かないつもりだろうか。
イザはそれを疎ましく感じたが、同時に、彼らはいつもこうだったのをすぐに思い出した。
「ええ。そろそろ皆に、私が子を産んだと伝えなさい。でも、その気がないなら自分で伝えるから、城下に集めなさい」
凄むでもなく、イザは静かに言った。
自身でも、魔王としての風格が出てきたのを感じてのことだった。
けれど、老齢の男は微塵も応じる気がないらしい。
「できませぬ」
頭は下げていても、意思は曲げないという強気な態度だった。
「随分と頑固なのね」
この男は、今日まで部屋に訪れたことがない。
つまり、イザに魅了されるには接点が無さ過ぎたのだった。
若ければ、ひと目見ただけでイザに魅了される者も居るが、年齢が高くなるに比例して接触が必要になる。
たとえ精を注がせようとも、以前の少年のようにはならない。
それが、高齢な者ともなれば一筋縄ではいかない上に、今日言葉を交わすのが初めてくらいの相手では。
「魔王様に一言申し上げるのも、時には必要にございますゆえ」
低姿勢なのは振舞いばかりで、言う事はきっちりと上から物申す。
それを黙って聞いていたフィリアが、セリアもまだ居るというのに無表情に口を開いた。
「じい。ママはまちがわないの。いうことをききなさい」
幼子の発音は拙い。しかし、その深紅の双眸に、老齢の男は意識を奪われたようになった。
フィリアと目が合った瞬間に様子が変わり、即座に畏怖の念でもって深々と頭を下げ直した。
「お、畏れ多いことをいたしました。この老いぼれの浅はかさ、どうかご容赦を……」
再び目を合わせることさえ、勿体ないという様子。
それは、手の平を返すどころではない態度の変わりようだった。
「わかったら、ママのいうとおりにしなさい」
「はっ! 仰せの通りに」
老齢の男は身を低くしたまま後ろに引き、そしてうやうやしく退室した。
侍女のセリアもつられて、食べ終えた後の食器をあたふたとワゴンに下げた。
「し、失礼します」
扉にワゴンをぶつけそうになり、さらに慌てた様子で去っていく。
彼女らを見送ってすぐ、イザは問いかけた。
今の力は、一体何をどうしたのだろうという興味にそそられた様子で。
「フィリア。あなたはひと目で魅了出来るの? それとも洗脳?」
「しりたい?」
途端にフィリアは、あどけない満面の笑みでイザに振り仰いだ。
「とっても知りたい」
そのイザの声は、対等な娘として扱っているものだった。
それが嬉しいのか、フィリアはもったいぶることなく答えた。
「うーん。ぜんぶだとおもう。みりょう、せんのう、しはい……どれもまぜこぜみたいな、そんなかんじがする」
まだ小さな手の、その細い人差し指を立ててくちびるに触れ、思考を巡らせた上での回答だった。
「それは凄いわね。私にも使えたら便利だったのに」
これまでの魔族とのやり取りを思い返しながら、イザは少し拗ねたように返した。
「ママにしかできないことも、あるじゃない」
そう言ったフィリアからは、どこか妖艶な雰囲気が一瞬漏れた。
それを察知したイザに、ある推論が浮かぶ。
「あら。もしかしてフィリアは、私が何をしてきたかも知っているの?」
「ええ、しっているわ。わたしはママのぜんぶをしっているわ」
その言葉で、イザは確信した。
「それはつまり、私の記憶を受け継いでいるのね」
「わぁ! ママすごい! そうよ。たぶんぜんぶ、しっているとおもう。それから、ママのしらないこともね」
魔族の男たちと何をしてきたかだけでなく、魔力の扱いも魔法の知識も、もしかすれば人生の全ても。そういうことだろうと、イザは理解した。
しかも、自分の知らない何かまで知っているという。
その思わせぶりな態度は、まず間違いなく魔玉のことを言っている。
イザはそう感じた。
「そう……。それなら、話は早いわね」
そうして二人の退屈だった時間は、有意義なものへと変わった。
フィリアは、存分にイザに甘えてそれを満喫した。
イザに聞かれたことに応えるとさらに撫でてもらえるし、褒めてもらえる。
それがたまらなく楽しくて、幸せを感じることを知った。
イザは、聞いたことに的確に答えてくれるフィリアが頼もしく、そして懐いてくる様子が愛おしかった。
それに、何も隠す必要が無いのは、ありがたかった。
魔力を注いでもらう時間を、誤魔化さなくても良い。これだけはどうにも隠しておきたかったけれど、フィリアはすでに知っている上にどうやら、精神も成熟しているように思えた。
まだ熟れていない部分があるけれど、幼い子どもというわけでもない。
愛らしい娘でありながら、往年のパートナーのようでもある。
それはイザにとって、単に自分の子どもであるという以上に、深い繋がりを感じるのだった。
自分の分身。我が娘。パートナー。
そして、魔玉について知る者。
一つ一つ言葉を交わす度に、それらが代わるがわる顔を見せるのだ。
夢のような相手。
それが、フィリアだった。