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私が物心が付いた頃に客間に3つの家紋が並んでいました。
祖母が私に向かって左側の家紋は貴女の父親の家紋よ。
真中の家紋はうちの家紋で左側の家紋が貴女の母親とお母さんの家紋で同じ家紋なんだよと…
小さい私はそうなんだ~くらいにしか思っていませんでした。
もう少し大きくなり(4〜5歳くらい)毎年行っている小さなお祭りで同い年くらいの子ども達がお神輿を担いでいたので私もやりたいと祖母に言ったら…
『貴女は本来であればあの上に乗る担がれる側の血筋なのだから担ぐなんてもってのほかなの』と…
私の頭ははてなでいっぱいになりつつ、担ぎたいと言ってみましたが結局担がせて貰えませんでした。
代わりに市内の大きなお祭りで道路を封鎖して行われる太鼓の日に太鼓を引っ張る行事に連れて行ってもらいました。
私は父親とは本当に馬が合わず、事あるごとに殴られていました。
3歳くらいの時に夜に下駄と一緒に外に放り出されて泣いてました…
私は下駄を拾って履いて玄関の網目の分厚い硝子戸を蹴りました。
見事にパリパリ…あれ?
ガッシャーンと音がしてポロポロと網目の硝子が散らばりました…
1個拾って眺めていたら父親が来て私の頭を叩きました。
私はまた痛いと泣いてたら『もう2度と頭にきても外には出さない』って言われました。
祖母がクスクスと笑ってました。
後で気にしなくて良いからね、放り出したあの人が悪いんだからと…
私は弟と違い何時も祖父母と一緒で母親とも父親ともあまり一緒に居た記憶がありません。
父親が私を殴る際に『お前が生まれて来なければ…お前が生まれて来たからこんな家に帰って来なければいけなくなった』『お前をあいつ(祖母)が無断で勝手に引き取ったから』と何度も言っていました。
殴られている私は意味が全く判らない年齢だったので大人になるにつれ理解をしていきました。
私の7歳の七五三が終わった瞬間に七段飾りのお雛様と五段飾りの兜を捨てられました。
祖母と母親と捨てられたお雛様をこっそり女雛男雛だけでも回収しようと見に行ったら、おじいさんとおばあさんがリアカーに大切そうに乗せていて祖母と母親から『 あの方達の物になってしまったのだから諦めましょう』と言われて泣く泣く帰りました。
それも思い返してみると七段飾りの家紋はうちの家紋ではなく父親の家紋と祖母が言っていた右羽が上になっている羽根の家紋でした。
翌日に父親が今すぐに美容室に連れて行け、2人とも短く切って見分けが付かない様にしてこいと言いました。
伸ばしていた髪の毛を短くかなりのショートにされました。
弟とは1年ちょっと離れている年子なのですが、パッと見は双子と間違われるくらい似てました。
だからショートにしたら双子か兄弟だと思われて間違われていました。
今考えると隠したかったのかもしれません。
引っ越しも父親は仕事があるので残り、私と弟と祖父母の4人が引っ越したのですから。
小学校に入り3年生になった頃に母親が病気になりました。
その時は胃潰瘍と聞いていて横隔膜と胃の全摘出をしたと聞かされました。
中には紫や黄色の水疱が沢山あったんだよと聞かされて、胃潰瘍はそういう病気なんだと思ってました。
1度退院をした際に大量の薬が持ち込まれました。
数十本の2リットル位のボトルに入った深緑色した液剤とかなりの種類の錠剤で畳が何畳も占領されていました。
泣きながら不味い不味いと戻しても飲んでいる母親を毎日見ていて一緒に泣いたことを思い出しました。
1年くらいして一瞬だけ仕事に復帰した母親の嬉しそうにしていた姿が一緒に居たほとんど最後の記憶になります。
再発して倒れて抗癌剤の治療が始まり母親とは会えなくなりました。
母親の希望で抗癌剤の副作用でボロボロになる自分を見せたくないと言っていたのが理由でした。
ベッドの上で痩せ細り管がたくさん入った母親を見た時に確かに見せたくないよねと思いました。
私は6年生になっていました。
祖母から2人の喪服を買いに行くからと言われて買ってきた際に祖母が何かあったらこれを出して着るんだよと言われて薄っすらと理解しました。
6年生になるまでに母親の病気が胃潰瘍ではなくて胃がんだったと知りました。
母親のところに頻繁に妹が来ていろいろな物を持ち帰っていました。
病院では母親のお母さんが通帳からお金を引き出していました。
母親なりの兄妹と母親への遺産分けをしていたのですね…
毛皮だの指輪だのたくさんありましたから…
母親が亡くなったのは真夏の夏休み終盤でした。
プールが終わり校庭に友達と居たら担任の先生が駆けてきて『早くお家に帰りなさい』と言われました。
私は慌てて帰ってシャワーを浴びて水着を洗濯して自然と喪服を2人分タンスから出してました。
水着を干し終わった頃に電話があり母親が亡くなった事と喪服を準備する様に言われたので既に準備した事を話して祖母達が帰って来るまで弟と待っていました。
弟が電話を切った時に戻ってきたので、母親が亡くなった事を話してみたのですが、あまり良く理解をしてる感じがありませんでした。
たぶん実感したのはお通夜より御葬式の時だったのではないかと思います。
この頃には家紋の事などはタブーな気がして一切知らないフリをしていました。
母親が亡くなり49日すらしないとか言い出した父親を祖父母が説得をして行いました。
納骨の際に見知らぬおじいさんがニコニコと私を見て手を振っていました。
私が手を振り返したら、弟が不思議そうな顔をして『誰に手を振ってるんだ?』って言いました。
私はこんな服を着たヒゲをはやしたおじいさんと言ったらその場にいた親戚が誰も見えていませんでした。
もしかしたら曾祖父の可能性が高いのかな?
私が生まれる前の年に亡くなったので私は会ったことがありませんから知らないのです。
もしくは近所でよく一緒に日向ぼっこしたおじいさんかも?
良く覚えてないのですが…
なんか怖い要求を今思うとされていたんじゃないかと思ってみたりしますが触れないで置きましょう。