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父親は二人兄弟で父親が長男でした。
母親の兄妹は全員で7人兄妹。
2人亡くなり5人兄妹だと聞いています。
生まれは南紀州の記載だったはずなのですが、何故か今は伊勢になっています。
市役所で書き換えられた可能性が高くて母親の今の記載の出生地は弟も私も違うと思っているのですが、証拠となる古い戸籍謄本まですり替えられてしまっていて証明するのが難しいのが現状です。
母親には姉と兄と妹2人が居て私は兄と妹1人しか会ったことがありませんでした。
お兄さんは子沢山で少し離れた場所に住んでいましたが、妹は同じ市内で旦那さんがHONDAのバイク屋さんだったので月に何回か行くこともありました。
ある日に出してくれたお寿司の桶の中で開かれた海老がピクピクと動いていてとても怖かった記憶があります。
あの当時で生の海老は珍しかったかもですね。
大きな体のおじいさんにバイクに乗せてもらったりヨークシャーテリアと一緒に遊んだりしていました。
うちにも叔母さんのお家からきたヨークシャテリアが居ました。
まぁ悪い子でしたね(笑)
父親が怖いから居るときは大人しいのに子供だけだと言うこと聞かない…
完全に小バカにされてましたね。
可笑しかったのが、嫌いな人が来るといつの間にかその人の靴の中におしっこをしているのです。
特に毎回されていたのが自民党議員の〇〇…
親が居ないのを確認してしょっちゅう家に来て上がり込み、小学生の私の入れたお茶を飲みティッシュに1000円を入れて私と弟のポケットに無理矢理入れて『お父さんが帰って来たら自分が来た事を伝えて、私が宜しく言ってたと伝えてね』と…
子供ながらに嫌いこの人と煩わしく思ってました。
わんこは知ってか?知らずか?毎回おしっこを靴に入れて撃退してくれてました(笑)
父親に市長や議員等が会いに来るのが不思議でしたが、その為に改装して応接間を作り海外製のソファーセットに硝子のテーブルにスワロフスキーのシャンデリアまで付けました。
子供だから良く理解してなく母親はどっからかハチトラを貰って来て勝手にセッティングをしてカラオケする部屋に普段はなってましたね。
応接間に置いてあったスティック糊をポマードと間違えて祖父が頭に付けてしまい、真っ白になっていた髪の毛を見た時は腹を抱えて笑いました。
今思い返してもどうなのかといろいろ思いますが、友達が遊びに来るとソファーで飛び跳ねてあそんでましたね。
それで父親から友達は応接間に入れるな命令がでました。
ソファーのスプリングが壊れるから跳ねるなって怒られてましたね。
今なら良く分かります。
跳ねたら駄目です(笑)
それとうちだけ井戸水だったので麦茶やお水が美味しかったので水筒持って来て持ち帰る子もいましたね。
周り近所ではうちの方が古い家だったので悪目立ちしてたのかも知れません。
父親は悪いとこばかりではなく、四季折々の物を好んだので庭には所狭しに植物が植わっていました。
大きな梅の木に千両万両の木に金木犀、紅葉、モミの木にツツジや姫だけ、バラの生垣に小さな畑やキウイの木まで終いには植えてました。
ツツジの密は甘いだの千両万両があるから毎年ヒヨドリやオナガの群れが遊びに来るんだとか、白蛇や黒蛇が居たりカエルが大量に池に卵を産みに来たりと四季折々のイベントがありました。
池には金魚釣りをして定期的に増やすんですが、猫に食べられたりカエルの繁殖の影響でガマの油が大量に湧くので窒息死などの要因で全く増えない長生きしない状態でしたね…
対策をしても自然の摂理には逆らえませんでしたが、引っ越しをしても父親は懲りない人なのでやり続けます…
それとは別に玄関には大きな水槽があり、そこにはお腹の大きな流金が泳いでいました。
セキセイインコも居たしある意味生き物と植物の英才教育だったかもしれません。
母親が亡くなった翌年にいきなり父親がこの家を売ったから引っ越しをしないといけないと寝耳に水…
祖父名義の家を無断で売ってしまった父親が信じられませんでした。
そこからが大変でした。
とりあえず近くの3階建てのアパートを2部屋抑えて引っ越しをするのですが、荷物が入り切らないくらいの量がありました。
しかもお前達にはまだ母親が必要だろうと言い出した父親がひと回り以上下の私と11歳しか変わらない人を連れてきて再婚すると言い出した。
待ってまだ三回忌も済んでないよ?呆れました…
49日やらないと騒いだ時には既に口説いてたみたいですよねどう考えても…
私は中学1年生で したが、『自分の人生なんだから好きにしたらいいじゃない』と突き放しました。
弟は両手を上げて喜んでいました。
祖父母は私と一緒で呆れていました。
しかし母親の霊だけは会うことが出来ませんでした。
叔父さんが私の所に母親が現れない理由が有るんだよ。
だから気にしなくて大丈夫だよと葬儀の後に言いました。
その含みのある言い方がとても引っかかりました。
母親とはかなりの大恋愛で本来許婚の居た母親はそれを拒みうちの父親と結婚したのだと後で知ることにからなるのですが、またそれは別の機会に…