出立の日。アンリエッタはマーカスと共に、学術院の門の前にいた。パンツスタイルにローブを纏った旅の装いで、ポーラが用意した荷馬車に、入ろうとしている最中だった。
「パトリシア嬢、気分が悪くなったら、すぐに言うのよ。アンリエッタ、貴方もね」
乗り込んだ途端、先に中にいたポーラが、目の前に座っているパトリシアに話しかける声が聞こえた。そして、アンリエッタに気づくと、慣れた様子で手を差しのべる。
「大丈夫ですよ。これでも、荷馬車での旅は何度もしたことがあるんですから」
ポーラの隣に座るのかと思っていたら、パトリシアの隣に誘導された。
元々広い荷台には、ポーラたちの他に、護衛としてエヴァンとジェイクもいる。そこに、旅の荷物が加わったとしても、十分に余裕があった。
「そんなこと言って、二年くらいギラーテから出てないのを、忘れてんじゃないのか。気ぃ抜いてると痛い目に合うぞ」
ポーラへの返事を、どういうわけか斜め前に座るジェイクが答えた。
確かに、お店を開いてからは、ギラーテの外に出たことはない。だからといってジェイクに言われるのは、何故か癪に障ることだった。
「元々酔ったことがないんだから、平気よ。問題ないでしょ」
「アンリエッタがそういう体質じゃないのは、わかっているわ。でも、念のためにね」
今度はポーラが答えたため、アンリエッタは大人しく引き下がるしかなかった。それをジェイクが、ほれみろ、というような顔を見せた。
後で覚えていなさいよ、とアンリエッタはジェイクを睨んだ。
「出発します」
荷台でそんなことが繰り広げられているとは知らず、ルカの掛け声と共に、荷馬車が走り出した。御者の席にいるのは、ルカとユルーゲルの二人だった。長旅になるため、交代して馬を操っていくことになっている。
マーカスはというと、荷馬車の後方で、一人馬に乗っていた。護衛の皆が、荷馬車に乗ってしまうと、襲撃にあった時、対応が遅くなるからだと言って。
荷馬車一台に、騎乗の護衛が一人ついている方が、仰々しくなく、相手にも襲う価値が高くないことを示せていいのだそうだ。
アンリエッタはふと、マーカスを見つけた時のことを思い出した。旅に怪我は付きものだが、あれが春先で良かった。冬だと、傷口にも障るし、森の中とはいえ、寒い空気が晒されていれば、体温が下がってしまう。
それがもう半年以上前だとは、短いようで長かった。自分でも驚くことだが、夏前に恋人同士になり、ユルーゲルに捕まって、秋に差し掛かった頃に、また誘拐されそうになった。
そして今、秋真っ盛りの日に、銀竜がいるカザルド山脈へ向かっている。半年前には、考えられないような出来事だった。
荷馬車は、いつの間にかギラーテを出て、森の中を走っていた。側面と頭上を厚い布地に覆われた荷台からは、前方と後方でしか、外を見ることが出来ない。それでも、紅葉した木々たちが垣間見えた。
時折、荷台にも茶色い葉が、舞い込んでくる。床にふわりと不時着した葉をアンリエッタが拾い、体を起こす時に、そっと隣に座るパトリシアの顔を見た。
「結構揺れますけど、大丈夫ですか?」
特に貴族が使う馬車と違い、座席にはいいクッションが敷かれているわけではない。慣れていない者にとっては、きついだろう。確か、『銀竜の乙女』の中でも、そう書かれていたはずだ。
アンリエッタはパトリシアの体を摩るようにして、神聖力を流した。
「ありがとう。少し楽になったわ」
「良かったです。まだまだ、長くなりそうですから、辛かったら何時でも言ってください」
「そうだな。もう少ししたら、休憩を取れる場所に着くから、そこまでは」
エヴァンの言葉にパトリシアは頷き、アンリエッタに笑顔を向けてくれた。
***
レニン伯爵領が国境に接しているのが分かる通り、一日荷馬車を走り続けただけで、マーシェルに辿り着いた。そして、入国してからまもなく、事は起こった。
秋というのは、一年を通して春と並び、気候がいい季節である。だから、旅行者が増える。それに合わせて、行商人も忙しくなるのと同時に、盗賊たちもまた稼ぎ時だった。
ヒヒィーン。ガタン。
突然、馬の鳴き声がしたと思ったら、荷馬車が急に停止した。
「キャッ!」
「これは、もしかして……」
「もしかしなくても、だ」
「旅には、よくあることだろ」
「無駄口を叩いている暇はなくてよ!」
パトリシアが悲鳴を挙げ、アンリエッタがやれやれと言っていると、エヴァンに指摘され、ジェイクが援護をする。それをポーラが一斉に叱責した。
さすがヒロイン。テンプレ通り。ん? よくある展開だけど、これって……。
そこまで考えが及んだ時、『銀竜の乙女』にあった出来事を思い出した。
旅の最中に盗賊に出会うのは、よくあることだ。イズル夫妻との旅で、何度も出くわしたのだから。不思議に思うことなどないはずなのに、マーシェルに入国した途端、というのが気になった。
それは『銀竜の乙女』で、パトリシアとルカが盗賊団に襲われたのが、マーシェルだったからだ。
銀竜がいるカザルド山脈やザヴェル侯爵家など、物語の舞台がマーシェルなのだから、当然と言えば当然なのだが、その盗賊団が問題だった。
全く関係ない人たちであればいいんだけど……。
「アンリエッタは、パトリシア嬢と一緒に中にいてちょうだい」
「はい。わかりました」
外に出たポーラが、荷台の内部を隠すように、厚い布地を引っ張った。内部には戦力外のアンリエッタと、同じような立場である非戦闘員のパトリシアの二人だけ。そっとアンリエッタさんは、パトリシアの手を握った。
私は何度か経験があるけど、パトリシアさんは侯爵令嬢であり、あまり家から出たことがない、って言っていた。震えてはいないけど、きっと怖い思いをしているはず。
その証拠に、アンリエッタの手を握り返した。
「大丈夫です。戦いに参加できるほど、神聖力を使いこなせていないけど、守ることくらいなら、私だって出来ますから」
そもそも魔法とは違い、神聖力は戦いに向いていない。むしろ、治癒や結界といった、守りに特化した力である。だから、自分とパトリシアの体に、薄く結界のような膜を張った。荷馬車にも、同じものを展開させる。
本来なら、アンリエッタを中心に結界を張るのが、最善の方法だろう。しかしそれでは、ポーラやユルーゲルが魔法を使用し辛くなるため、出来なかった。魔力と神聖力は、相性が悪いからだった。
エヴァンやジェイクのように、普段からパーティーを組んでいれば、上手く連携が取れるかもしれない。けれど、未熟なアンリエッタに出来るのは、これが精一杯だった。
「ありがとう。こういう時、アンリエッタさんがいてくれて、良かったわ」
「私もです。荷馬車だから、多少は外の様子が見られますけど、戦況までは分かりませんから」
「そうね」
お互い、やはり気になるのか、厚い布地を少しだけ捲り、外の様子を窺った。
先ほどから聞こえる、金属音と爆発の衝撃音。厚い布地を捲ると、人の声が加わった。何を言っているのかまでは聞き取れそうにはないが、押されているようには見えなかった。
ルカを先頭に、エヴァンとジェイクが左右に立って、盗賊たちの剣を受けていた。ポーラとユルーゲルは、盗賊たちが距離を置いた瞬間に、攻撃を仕掛けたり、風で吹き飛ばしたりなど、三人の後方支援を受け持っているようだった。
アンリエッタはふと、マーカスの姿が見えないことに気づき、少しだけ顔を出して、左右に振って辺りを確認した。すると、すぐ傍にいたマーカスを見た瞬間、頭を掴まれ、荷台に戻された。
「痛っ!」
「流れ弾が当たるよりはいいだろう」
それはそうだが、まさかマーカスが、後方で荷馬車を守っているとは思わなかったのだ。
「……戦況は? 大丈夫そうには見えるけど」
「そうだな。大半はもう、片付いている。だが、引こうとしないのがいて、ルカが苦戦している状況だ」
「ルカが⁉」
今度はパトリシアが、荷台から顔を出した。しかし、マーカスはアンリエッタの時のように、戻すことはしなかった。自分の護衛騎士のことだ。心配にならない方が可笑しかった。
「苦戦というよりか、揉めているな、あれは」
パトリシアのように顔を出すことは出来なかったが、僅かに見える隙間から、外にいるルカの姿を見つけた。
「知り合いのように見えるわね」
「あぁ。心当たりは?」
「……ないわ」
私にはあった。ルカの正面に立つ、薄茶色の髪をした女性,エリス・ナウエル。『銀竜の乙女』で、パトリシアとルカを襲った、盗賊団のリーダーである。
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