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第一話「出会いの夜」
ノクトルナ。
この街には、夜しかない。
人は闇を恐れ、吸血鬼は闇に生き、互いに光を見失った。
冷たい霧が漂う旧市街。
人の気配はなく、風に混じって鐘の音が微かに鳴る。
――その音を聞きながら、ひとりの男が歩いていた。
黒い外套の裾を揺らし、背には長大な剣。
銀の鍔には祈りの文字が刻まれ、刃は月光を受けて淡く輝いている。
櫻井孝宏。
聖護庁所属の吸血鬼ハンター。
右目に宿す血晶の力で、闇の住人を感知する「共鳴者(レゾナント)」。
彼の視界に、一軒の古びた店が映る。
看板には《Lunaria》。
――そして、扉の隙間から漏れる灯り。
孝宏は剣の柄に手をかけ、低く呟いた。
「吸血鬼、確認。」
静かに扉を蹴り開ける。
木の破片が舞い、埃の匂いが立ち込めた。
蝋燭の光の中、本棚の影に、ひとりの男が座っていた。
雪のように白い肌。
闇より深い黒髪。
紅い瞳が、ゆっくりとこちらを向く。
「……騒がしい夜だね。」
**福山潤。**混血の吸血鬼。
孝宏は無言で剣を構える。
刃の表面に刻まれた聖印が、淡く蒼く光った。
「聖銀の剣……ずいぶん古い型だ。」潤が微笑む。
「祈りの刃で、闇を斬る。そんな時代はもう終わったんじゃない?」
「お前たちが終わらせたんだ。吸血鬼どもが。」
潤の瞳がわずかに細まる。
「……君の目、痛むだろう? その右目に“血”が宿っている。」
孝宏は息を詰めた。
右目――共鳴装置(レゾナンス)。
吸血鬼の血晶を埋め込まれた代償として、時に彼の視界は血で染まる。
「お前には関係ない。」
「あるさ。」潤は立ち上がる。
その動作は、まるで霧が形を取るように滑らかだった。
「その力は、君の命を削ってる。俺には――その“匂い”がわかる。」
「黙れ!」孝宏が叫ぶ。
剣が閃く。
銀光が空気を裂き、潤の頬を掠める。
血の粒が宙に舞い、月光に煌めいた。
しかし、潤は微動だにしない。
その紅い瞳に、怒りでも恐怖でもない、哀しみの色が宿る。
「君も、吸血鬼に“囚われた”一人なんだね。」
「違う!」
「なら、その剣で俺を斬ってみろ。」
孝宏は一歩踏み込んだ。
しかし、刃が潤の胸に届く寸前――
――轟音。
外の路地から、叫び声とともに黒い影が降ってきた。
獣のような咆哮、ねじれた骨、血の臭い。
潤が目を細める。
「……〈堕鬼(フォールン)〉か。」
「なんだと?」
「吸血鬼でも人でもない。失敗した融合体。君たちの聖護庁が生んだ“実験の残骸”だよ。」
孝宏の顔が凍る。
フォールンが跳びかかる。
潤が手を伸ばす――黒い霧がその体から立ち昇り、獣の動きを封じた。
「行け、ハンター。」
「……!」
孝宏は咄嗟に祈りの言葉を唱え、剣を構える。
「刃よ、夜を裂け――!」
聖銀の剣が光を帯び、振り下ろされた一閃が、フォールンの体を貫いた。
闇が爆ぜ、光が弾ける。
残ったのは静寂。
孝宏は肩で息をしながら、ゆっくりと剣を下ろした。
その隣で、潤が微笑む。
「……悪くない腕だ。」
「褒められても嬉しくない。」
「そう?」潤は小さく笑い、背を向けた。
「この街は、もうすぐ崩れる。君が信じている“光”も、一緒に。」
「待て!」
「また会うよ。夜は長いから。」
霧が再び立ち昇り、彼の姿は闇に溶けた。
残された孝宏の剣先には、わずかな赤い滴が光っていた。
その血が――新たな運命の印になることを、まだ誰も知らない。
🕯️ 第一話「出会いの夜」—終—