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第四部 静寂の監視者と硝子の迷宮編開始
惑星テラ・ノヴァ。
かつては一面の荒野だったこの星の地表は、今や幾何学的な紋様に覆い尽くされようとしていた。
前線基地(FOB)を中心に、放射状に伸びる鋼鉄のレール。
その先には、黒い煙を吐く採掘場や、青白く輝くソーラーパネルの海が広がっている。
工藤創一という一人の男が始めた「工場」は、いまや都市国家に匹敵する規模へと膨張していた。
だが、光あるところには影が落ちる。
急速すぎる拡張は、管理能力の限界という深刻な副作用をもたらしていた。
基地中央の司令室。
大型モニターに映し出された広大なマップを前に、防衛隊の権田隊長は、疲労の滲む声で報告を行った。
「……工藤さん。正直に言いますが、もう限界です」
権田は、マップ上の赤いライン——防衛壁の設置箇所を指し示した。
「基地の拡張に伴い、防衛ラインの総延長は当初の十倍以上に伸びています。
油田基地、レアメタル鉱山、そして、それらを結ぶ鉄道網。
これら全てを24時間体制で有人監視するのは、物理的に不可能です」
彼は深く溜め息をついた。
「隊員たちはローテーションを詰めて対応していますが、疲労はピークに達しています。
これ以上、監視業務に人員を割けば、肝心の戦闘時やメンテナンス時に動ける人間がいなくなります。
それに……」
権田は、モニターの隅に映る日下部駐在員の方を向いた。
「これ以上の増援も望めないのでしょう?」
日下部が、苦渋の表情で頷く。
「ええ。
テラ・ノヴァの存在は最高機密です。
ここに派遣できるのは、厳格な身元調査(セキュリティ・クリアランス)をパスし、かつ『この異常な環境』に適応できる精神力を持った精鋭のみ。
おいそれとアルバイトを雇うわけにはいきません」
信頼できない人間を入れれば、情報漏洩のリスクがある。
かといって、信頼できる人間は有限だ。
日本政府が抱える公安や自衛隊の特殊部隊員を総動員しても、東京ドーム何千個分にもなるこの広大な工場を、人の目だけで見張ることはできない。
「カメラを増設してはいますが、死角だらけです。
先日のように、バイターが壁の下を掘って侵入したり、配管の隙間に入り込んだりするケースが増えています。
このままでは、いつか致命的な侵入を許します」
権田の警告は切実だった。
工場は大きくなりすぎた。
もはや人間の知覚能力では、その全貌を把握しきれなくなっているのだ。
「うーん……。やっぱり、そうなるよなぁ」
工藤創一は、回転椅子を回しながら天井を仰いだ。
彼自身、最近は「どこで何が起きているか」を把握するだけで一日が終わってしまうことに、うんざりしていた。
あそこのコンベアが詰まった、こっちの電柱が齧られた、あっちで弾切れだ。
アラートが鳴るたびに現場へ急行し、対応する。
これでは工場長ではなく、ただの便利屋だ。
「俺としても、優秀な隊員さんたちを、ただ立って見張ってるだけの『案山子』に使うのは心苦しいです。
人間には、人間にしかできないクリエイティブな仕事をしてほしい」
創一は起き上がり、デスクを叩いた。
「よし、解決しよう。
『監視の自動化』だ。
イヴ、例のあれ……『レーダー(Radar)』の研究は終わってるよな?」
『肯定します、マスター。
広域走査システム、および位相空間解析技術の実用化準備は完了しています』
イヴの冷静な声と共に、ホログラムウィンドウが展開される。
そこに表示されたのは、パラボラアンテナのような単純なものではなく、巨大な塔の先端に青白く発光するクリスタル状のセンサーを内蔵した、SFチックな構造物だった。
「レーダー……ですか?」
日下部が首を傾げる。
「一般的な航空レーダーや気象レーダーなら、すでに導入していますが。
それとは違うのですか?」
「次元が違いますよ、日下部さん。
これは、ただ電波を飛ばして反射を見るだけの代物じゃありません」
創一はニヤリと笑い、スペック表を表示させた。
「『位相空間スキャナー』です。
指定したエリア――『チャンク』と呼ばれる区画単位で、空間そのものをリアルタイムにスキャンし、3次元情報として取り込みます。
壁の向こうだろうが、地下だろうが、夜闇の中だろうが関係ありません。
そこに存在する『物質』と『エネルギー』を、すべて可視化します」
『補足します』
イヴが解説を引き継ぐ。
『本機1台につき、半径100キロメートル四方の領域を「常時監視下(Active Viewing)」に置くことが可能です。
スキャンされた情報はデジタルデータとして統合され、司令室のモニター上で、あたかも「神の視点(ゴッド・ビュー)」であるかのように、リアルタイムで俯瞰することができます』
「100キロ……!?」
権田が絶句した。
東京から富士山までの距離が、まるごと一つの画面の中に収まる計算だ。
「しかも、ただの地図じゃない。
ズームすれば、バイターの爪の先まで見えるし、パイプの中を流れる原油の量まで分かる。
文字通り、全てを把握できるんです」
創一は胸を張った。
「これを使えば、隊員さんが見回りをする必要はありません。
司令室でコーヒーを飲みながら、異常があった場所だけドローンや即応部隊を向かわせればいい。
どうです? 完璧でしょう!」
「……凄まじい性能ですね。
ですが、それだけの出力となると……」
日下部は、スペック表の隅にある消費電力の項目を見逃さなかった。
「……10MW(メガワット)?
1台で、ですか?」
「あ、バレました?」
創一は頭をかいた。
「そうなんです。めちゃくちゃ電気食うんですよ。
10メガワットっていったら、蒸気機関13台分以上。
今の工場の総電力の何割かを、これ1台で持っていかれます」
『工場全土と周辺の資源地帯をカバーするには、最低でも10台の設置が必要です。
総計100MW。
現在のソーラーパネル網だけでは、夜間の電力供給に支障が出る可能性があります』
イヴの冷徹な試算。
100メガワット。
それは中規模な都市一つの消費電力に匹敵する。
たかが監視カメラの代わりにするには、あまりにも巨大なエネルギーだ。
「でも、背に腹は代えられないでしょう?
安全と効率を買うコストだと思えば安いもんです。
それに、ソーラーパネルをもっと敷き詰めれば、なんとかなります!」
創一は楽観的だった。
電力は作ればいい。工場は広げればいい。
それが彼の哲学だ。
「……分かりました。
建設を許可します。
警備の穴を埋めることは最優先事項です」
日下部も同意した。
人の目が届かない恐怖に比べれば、電気代(コスト)など安いものだ。
「よし! 決まりだ!
じゃあ早速クラフトして設置だ!
イヴ、配置プランを出してくれ。
死角ゼロの完全監視網(パノプティコン)を作るぞ!」
創一は嬉々として作業に取り掛かった。
だが、日下部はモニターの前から動かなかった。
彼の官僚としての嗅覚――あるいは「悪魔の知恵」が、ある一つの可能性に反応していたからだ。
「……工藤さん。少し、よろしいですか?」
「ん? なんですか?」
「そのレーダーですが……。
『地球に向けて』も、使えますか?」
創一の手が止まった。
彼はキョトンとした顔で、日下部を見た。
「地球に?
ゲート越しにってことですか?」
「ええ。
ゲートを開放した状態で、そのセンサーを地球側に向ける。
あるいは、ゲートを通じてデータリンクを行うことで、地球上の座標をスキャンすることは可能ですか?」
『肯定します』
答えたのはイヴだった。
『ゲートは空間を繋ぐトンネルです。
物理的な距離はゼロとして扱われます。
したがって、ゲートの開口部にレーダーを設置、あるいは信号を中継することで、ゲートの向こう側――すなわち東京都新木場を中心とした半径100キロ圏内を、スキャン範囲に収めることは理論上可能です』
「……なるほど」
日下部の眼鏡が、冷たい光を反射した。
新木場を中心とした100キロ。
東京23区はもちろん、神奈川、千葉、埼玉の主要都市、そして米軍基地や国際空港まで、首都圏の全てが含まれる。
「予備のレーダーを使えば、100キロ四方の情報は全て把握できるわけですね。
……さらに確認したいのですが」
日下部は声を潜めた。
ここからが、彼にとっての本題だ。
「その『空間スキャン』という機能ですが……。
具体的には、どの程度の解像度(レゾリューション)があるのですか?
例えば……『壁の向こうの会話』を拾うことはできますか?」
「えっ、会話?」
創一が首を傾げる。
「うーん、どうだろう。
俺は資源とかバイターの位置を見るのにしか使う予定がないからなぁ。
イヴ、どうなんだ?」
『可能です』
イヴは淡々と、恐るべき事実を告げた。
『位相空間スキャンは、対象領域内の物質の密度、成分、そして「振動」をリアルタイムで解析します。
空気の振動――すなわち音声波も、物理データとして記録されます。
適切なフィルタリング処理を行えば、密室内の会話を再生することも、人物の心拍数や体温変化から心理状態を推測することも可能です』
「……!!」
日下部だけでなく、権田隊長までもが息を呑んだ。
それはもはやレーダーではない。
神の眼であり、神の耳だ。
『基本的には、過去のログも全て残ります。
3D映像として空間の情報を保存するので、後から『あの時、あの部屋で何が起きていたか』を、あらゆる角度から検証(リプレイ)することが可能です』
イヴの補足に、戦慄が走る。
完全なる記録。
隠れ場所など、この世のどこにもないということだ。
「……それって、何でも監視できるってこと?
プライバシーもへったくれもないじゃない」
創一が引いたような顔をする。
彼にとって技術は「工場を便利にするもの」であって、「人を覗き見るもの」ではない。
「ええ。
倫理的には最悪の道具です」
日下部は肯定した。
だが、その口元には抑えきれない笑みが浮かんでいた。
それは獲物を追い詰めた狩人の笑みだった。
「ですが、安全保障上は『最強の武器』になります。
……工藤さん。すみません、それ、地球向けに1台使わせてください」
「えー……。覗きに使うんですか?
日下部さん、そういう趣味が……」
「違います!
防諜です、防諜!」
日下部は咳払いをして、真顔に戻った。
「現在、日本国内には中国や各国の工作員が大量に潜伏し、テラ・ノヴァの秘密を探ろうとしています。
彼らの動きを封じるには、警察の尾行や盗聴だけでは限界がある。
ですが、このレーダーがあれば……」
100キロを掌に収めることができる。
敵のアジト、通信内容、武器の隠し場所、次に会う相手。
全てが筒抜けになる。
「見えている」という圧倒的な優位性(アドバンテージ)。
「……分かりましたよ。
どうせ10台くらい作る予定でしたし、1台くらいなら地球に向けて設置しても構いません。
ただ、悪用しないでくださいよ?」
「もちろんです。
あくまで日本の平和を守るためにのみ、使用します」
日下部は胸に手を当てて誓った。
もちろん、その「平和」の定義には、政敵の排除や外交上の脅迫も含まれるかもしれないが、それは言葉の綾だ。
「ところで、工藤さん」
日下部は、ふと思いついたように尋ねた。
「そのレーダーですが……。
逆に『防ぐ』手段はあるのですか?
例えば、妨害電波(ジャミング)とか」
「ありますよ」
創一は軽く答えた。
「位相干渉装置っていう、要はジャマーですね。
これを置くと、その周囲だけスキャンがノイズまみれになって見えなくなります」
「……なるほど。
矛があれば盾もある、というわけですね」
日下部は頷き、そして素早く計算した。
この「神の眼」は強力すぎる。
もし万が一、この技術が他国に漏れたり、あるいは何らかの事故で日本の機密情報がスキャンされたりしたら大変だ。
特に、工藤創一という「無邪気な管理者」に、首相官邸の密談や、裏工作の現場を見られるのはマズい。
「じゃあ、一応それも発注させてください。
ジャマーを数台」
「え? 要るんですか?
地球にはスキャンしてくる敵なんていないでしょう?」
「念のためですよ。
電子機器への干渉を防ぐためとか、まあ、色々と用途がありまして。
……工藤氏が知らないでいいことも、世の中にはありますので」
日下部は意味深長に微笑んだ。
要するに、「貴方に覗かれたくない場所(自分たちの汚い部分)」に蓋をしておきたいのだ。
「ふーん。まあいいですけど。了解です。
じゃあレーダー10台と、ジャマー数台。
まとめてクラフトしておきますね!」
創一は深く考えずに承諾した。
彼にとっては、ジャマーもまた「新しいガジェット」の一つに過ぎない。
◇
数日後。
テラ・ノヴァの前線基地には、巨大なタワー状の構造物が林立していた。
『位相空間レーダーアレイ』。
10本の塔が、見えない波動を放ちながら、惑星の鼓動を読み取っている。
そして、そのうちの1本は、奇妙な角度で設置されていた。
そのアンテナの指向性は、空でも地平線でもなく――基地の中央に鎮座する「ゲート・キューブ」の裂け目へと向けられていたのだ。
東京、首相官邸地下。
新たに設置された『特別情報分析室』のモニターに、電源が入った。
ブォン……。
画面に映し出されたのは、見慣れた東京の地図ではない。
ワイヤーフレームで構築された、半透明の3次元都市モデルだ。
建物の中を歩く人々、地下鉄の流れ、配管の中の水流。
全てが透けて見える。
「……これが、神の視点か」
日下部は、その圧倒的な情報量に戦慄した。
彼は手元のコントローラーを操作し、ズームインした。
場所は、港区にある中国大使館の裏手、雑居ビルの一室。
公安部が「MSSのアジトではないか」と疑っていた場所だ。
画面が建物の外壁を透過し、室内の様子を映し出す。
数人の男たちが車座になり、テーブルの上に地図を広げている。
音声解析フィルターをオンにする。
『……新木場の警備シフトを入手した。
次の搬入のタイミングで、トラックごと奪取する……』
鮮明な中国語が、スピーカーから流れてきた。
盗聴器など仕掛けていないのに、まるで隣で聞いているかのようにクリアだ。
「ビンゴだ」
日下部は、冷酷な笑みを浮かべた。
隣に控える鬼塚ゲンに合図を送る。
「鬼塚さん。
場所は特定しました。
人数は5名。武器はトカレフ3丁と、プラスチック爆薬。
……掃除の時間です」
「了解。
……しかし、恐ろしい道具ですね。
これでは、隠れ場所など世界のどこにもない」
鬼塚は、恐れを抱きながらも、プロとして命令を受諾した。
テラ・ノヴァから届いた「静寂の監視者」。
その眼が開いた瞬間、東京という都市は、壁のない「硝子の迷宮」へと変貌した。
誰が敵で、誰が味方か。
誰が何を企み、誰と寝ているか。
全ての秘密が白日の下に晒される、恐怖と管理の時代が幕を開けたのだ。
一方、テラ・ノヴァ。
創一は、完成したレーダーマップを見て歓声を上げていた。
「うおおお! すげえ!
マップの霧(フォグ)が全部晴れた!
遠くのバイターの巣も丸見えだ!
これで、いちいち偵察に行かなくて済むぞー!」
彼は無邪気に喜んでいた。
自分が作り出した機械が、地球側でどのような「粛清」に使われているかなど、知る由もなく。
ただ、工場の効率化という一点においてのみ、彼は満足していた。