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ノワールと私のやりとりに店主が、申し訳なさそうに断りを入れてきた。
ランディーニなら誰にも感知されずに通報が可能だ。
適切な処理をしているのを信じて疑わないが、今後のことも考えると、この手の良からぬ分際の処理方法は聞いておいた方が良いだろう。
「私も知りたいなぁ」
「では……」
「! どうぞ、こちらへおいでください。バスタブの方はクリーニングと加工処理に取りかからせていただきます」
小柄の女性が、ひょいっとバスタブを抱えて奥へ消えていく。
つくづく外見から、その能力を判別しにくい世界だ。
感心しながらも先導されて、応接セットの置かれた場所へとつけば、既に淹れ立ての紅茶が饗されるところだった。
「ありがとう」
ティーカップを受け取れば、何故か真っ赤な顔をした女性店員が深々と頭を下げる。
首を傾げてノワールを見るも、説明はなかった。
ただ、夫がよく見せる微苦笑と同じものが浮かんでいた。
「リゼット・バロー氏の直筆証明を手にした、高位の騎士を派遣していただくように手配いたしました」
「あ、リゼットさんなら間違いないね」
知っている名前に頷く。
対峙している店主の額から分かりやすい汗が一筋伝った。
「高位の騎士の中でも、特に実力のある騎士何名かを指名したので、捕縛に失敗することはないと思われます」
「指名、でございますか……」
「ええ。直接指導した過去がございますので、その人と形も存じておりますので、御安心ください、主様」
「心配はしてないよ。ただ、メイドさんが騎士を指導するって、凄いことなんじゃないのかなって、疑問だっただけで」
「高位の騎士となるには熟練冒険者のように、泊まりがけの研修のようなものがございます。その際、一緒に行って生活環境を整える手伝いをするはずでございましたが……」
「何時の間にか、指導をしていたと」
目を伏せて会釈された。
そのときの光景が目に浮かぶようだった。
メイドと侮っていたら騎士である自分たちより、戦闘も研修も何もかもが、手の届かない高みにあるレベルで上だったことに気が付いて、呆然とする様が。
自分の仕事を逸脱しないだろうノワールに、頭を下げて教えを請うたなら、それだけで高位の騎士になれたのが理解できる気がした。
「捕縛、あとは……どうなると、お考えでございましょうか?」
「そこまでは私どもの与り知らぬ所……と申し上げたいところでございますが、主様が気にかけておられるようでございますので、お答えいたします」
私が気にかけていなくても、きっちりと教えた気がしないでもない。
メイドの立場上いろいろと必要な言い回しがあるのだろう。
黙ってティーカップを傾ける私の様子を窺いながら、ノワールが話を続ける。
「たとえ王族であっても、最愛の称号を持つ者への不敬は許されておりませんが、その罰もまた定められておりません」
「ん? もしかして私の胸先三寸とか、そういうオチなの?」
「はい。如何いたしましょうか、主様。一般的には死刑か、死するまで奴隷でございますれば」
おおぅ。
想像以上だった。
私をナンパして、ノワールを侮辱した程度であれば、私たちとこの店に金輪際関わらない罰で終わらせてしまってもいい。
だが、今まで迷惑をかけてきた程度で、もっと重くしてもいいとも考えている。
「店の損害的には、どの程度なのか教えてもらえるかしら?」
「金銭的被害に換算いたしますと低く見積もっても、この店と同程度の店を五件維持できるほどにございます」
「……金銭的な賠償も加えよう……」
想像以上に怒りも湧かないが、溜め息が出た。
「女性に執着をしてるようですが、女性の被害者は泣き寝入りでしょうか?」
「はい。死を選んだ女性こそおいでではございませんでしたが、修道院に身を寄せた方もございます。離縁された方も、子を産んだ方も」
「去勢も追加だね。被害状況は把握できているの?」
去勢さえしていれば、最悪男の子を孕む地獄だけは避けられる。
被害が出ないうちに処断できるのが最善だったが、これも巡り合わせだろう。
あまり、考えすぎてはいけない。
人間やれることには限りがあるのだ。
「被害女性には面談をして、金銭的な保証他、できうる限りの手配はいたしております」
どうやら男の尻拭いは、店が全部引き受けてきたらしい。
賞賛に値する。
「男の親たちは、どういう態度なのかな?」
「跡継ぎの養子にと下げわたしたのだから、全ての責任はうぬらが取るべきじゃな? とおっしゃいました」
「それはまた……随分な愚者じゃのぅ」
何時の間にか戻ってきたランディーニの、呆れきった言葉に思わず大きく頷いてしまった。
どこまでも高貴な身分の自分たちがくれてやったのだから、感謝は忘れずに便宜を存分に図らせた挙げ句、自らが手に負えずに押しつけた屑の責任まで負わせてきたのだ。
「じゃあ、容赦はいらないね?」
「……名をお聞かせいただきましょう」
「バグウェル侯爵様でございます」
ランディーニとノワールの眉根が寄る。
フクロウが眉根を寄せる様子は、かなり可愛かったので肩に止まっている頭を指の腹で撫でておいた。
「懲りぬ家系じゃの」
「断絶でも問題なさそうですね」
どうやら代々屑の家系らしい。
一応幼子や赤子には慈悲を与えてもらえるように伝えておこう。
「くそぅ! 最愛が何だっていうんだ! 権力を笠に着て、ろくでもないことしかしない癖にっ!」
方向性も決まったところで、屑が何やら喚きながらこちらへと向かってくる。
屑が宣《のたま》う全てが真実とは到底思えないが、他の最愛は傍若無人な勘違いさんなのだろうか?
だとしたら、否、そうでなくとも、あまり会いたくはない。
最愛という称号に対して、私と同じ捉え方をしていたとしても。
だからこそ。
思考の微差を受け入れられない例が多いからだ。
何で、分かってくれないの?
お前だけが、理解できるはずじゃねぇか!
とは、アクティブな困ったさんが言い放つ、お決まりのセリフだった。
「ぬ? 障壁は消しておらぬはずじゃが……」
「未だ生家と繋がりがあると信じて、纏わりつく愚か者がいるのでしょう。少々迂闊でしたね、ランディーニ」
未だ見ぬ他の最愛たちよりも付き合いたくはない屑の背後には、黒いローブをかぶって情報を隠す人がつき従っていた。
ランディーニの魔法を強制解除させるのなら、それ相応の魔法使いなのだろう。
「うぬ。抜かったわ! ウインドサークル!」
黒ローブの周囲に風が巻き起こる。
竜巻に巻き上げられるかのように、何の手立ても打てなかった黒ローブは呆気なく、どこかへと飛ばされてしまった。
ランディーニの不意を突けたにしては情けないほど素早い退場だった。
上がった悲鳴から察するに女性だったようだ。
屑の取り巻きらしいなぁ、と肩を竦めておいた。
「よしよし、騎士団の前に落とせたぞ。ほっほ。無様に捕縛されておるわ!」
ランディーニが目を細めて喜んでいる。
目を細めたフクロウは実に愛らしい。
お気に入りの耳の付け根を爪先でこしょこしょと擽る。
猛禽類は触られるのを嫌うというが、妖精はまた別なのだろう。
指先へ嬉しそうにふわふわの頬を擦り寄せてくる。
「な! おまっ! 馬鹿なっ! おい! こっちを見ろっ!」
飛んでいく黒ローブが捕縛されているのを何もできずに見送っていた屑の目線が私たちに移り、憤慨して指先を突きつけてくる。
「主様は、従僕を労っている最中です。邪魔立てなさいますな!」
ノワールの背中に、私とランディー二が隠された。
相変わらずに男前だ。
「うるさい! うるさい! 何で、アイツが騎士に拘束されてるんだよ! 貴様がやらせてんだろ? さっさと離すように命じろよ!」
「おやまぁ? 貴様は、あの騎士たちが誰かを知らぬのか?」
「貴様って! お前! 俺様は貴族なんだぞ!」
「手前は最愛の称号を持つ主様の従僕。主様の身を守るためであれば、王族を弑するも辞さぬわ!」
「貴族が何ほどの者と申すかのう? 我らの生のほんの一部も生きてはおらぬ未熟者が!」
数百年、もしくは数千年を生きる妖精たちと比べるのは酷だと思うが、屑の琴線には触れる言葉だったらしい。
「な、何だと? そんな高位の妖精なのか!」
「我の質問に答えよ! 貴様は、あの騎士たちを知らぬのか!」
恐らく己の従僕にしようと馬鹿げた考えを本気でしだした屑の質問になど答えもせずに、ノワールは容赦なく言葉を叩きつける。
「はぁ? 俺様が騎士の顔なんざいちいち覚えているはずがないだろう?」
「さすがは愚か者の血筋バグウェル家の息子じゃのぅ。いいか? 捕縛している騎士たちは全員、貴様より身分が上なのじゃ!」
「はぁ? 何を馬鹿なことを言ってるんだ? 侯爵より身分が上の騎士なんて、存在するわけが……」
「存在するぞ、屑が。ノワール師匠には大変御無沙汰しております。師匠の主様に御挨拶いたしたく思いますが、お許しいただけますでしょうか」
丁寧に手入れが施されて銀色に輝く全身鎧《プレートアーマー》のヘルムが外される。
夫には及ばずとも、品格が特にすばらしい美丈夫だった。
無論、屑など遠く及ばない。
深々と頭を下げて礼を尽くす騎士に、ノワールが戸惑っている。
私に男性を近付けるなと、夫にきつく言い含められているのだろう。
相手が騎士ならいいよね?
向こうの世界では存在しない騎士に対して、主にゲームで培われた、主《あるじ》に絶対服従の忠義の人々! という認識があるので、頭の中で迷わず夫に問いかける。
……致し方ありませんね。
騎士の挨拶まで許しましょう。
意外にも寛容すぎる答えがあった。
信頼の置ける知り合いなのかもしれない。
常であれば男性である以上、騎士の挨拶である、手の甲への口付けを許す夫ではなかった。
「許可が下りたから、大丈夫だよ、ノワール」
「そうなのでございますか? それでは、挨拶を許しましょう」
「ありがとうございます」
何故か尊敬の色が宿る瞳に見詰められる。
それはそれは美しい緑色の瞳だった。
金髪緑目はすばらしい! 大好きな漫画の主人公がする穏やかな微笑を浮かべた数多のシーンが、走馬灯のように頭の中を流れていった。
「ノワール師匠の御主人様に御挨拶申し上げます。ダイオニシアス・アッシュフィールドと申します。金のウロボロスの団長を務めております」
金のウロボロス。
銀のリヴァイアサン。
銅のバハムート。
の三騎士団からなる、国所属の騎士団。
金、銀、銅と身分は関係なく実力で就任できるため、腕に自信のある者がこぞって目指す職業。
参考までに、ウロボロスの副団長は平民。
ランディーニが教えてくれるのに頷いて、手を差し出す。
恭しく両手で私の手の甲を取ったダイオニシアスは、そっと唇を寄せた。
「騎士団は実力主義。本来身分は関係ありませんが、ウロボロス騎士団長。貴方の爵位を、そこの屑に教えて差し上げなさい」
「はっ! 爵位は公爵を賜っております」
「あ、アッシュ、アッシュフィールド! こ、公爵、家、だと! 息子は、五人いて! たしか! 末っ子がっ!」
「ええ。私が末っ子で騎士団に入った変わり者の、ダイオニシアス・アッシュフィールドで間違いありませんよ? 悪名高きバグウェル侯爵家にすら見限られた屑。同じ末っ子とはいえ、随分とまた、違った人生を歩みそうですねぇ?」
美丈夫渾身の微笑は破壊力抜群だった。
固唾を飲んで見守っている女性の中で何人かが、麗しすぎる! と失神までしていた。
美貌を誇る屑には、結構な屈辱だろう。
血走った瞳が大きく見開かれ、きつく噛み締めた唇からは血が滲み出ていた。
「お、俺! 我が輩はっ! 見限られたのではございませぬ! 下賤な者が営む店とはいえ、侯爵家に多少なりとも貢献しておると聞き、致し方なく繁栄できるように我が輩が誠心誠意指導しておるのです! 崇められこそすれ! 咎められる何をもしてはおりませぬ!」
近くに佇む店主が浮かべた唖然とした表情が不憫過ぎた。
今までの苦情を聞き及んでいるに違いないダイオニシアスも形の良い眉を厳しく顰めている。
ノワールとランディーニは揃って侮蔑の眼差しで容赦なく見下していた。
「貴様が犯罪行為を重ねているせいで、高級店の中でも名高かった店の名が地を這っているのに、気がついていないとは……ここまでの愚鈍の尻拭いを、よくぞしておられましたね、店主殿」
「お言葉、大変有り難く頂戴いたします」
眦に浮かんだ微かな涙を爪先で払った店主は、ダイオニシアスに深々と頭を下げた。
「どうして、否定せぬのだ! 我が輩は、店の売り上げに貢献したであろうが!」
「しておりません。貴殿の脅迫に負けて購入された方々は全員、即時返品なさいました。その際、脅迫に対する慰謝料もおわたししておりますので、常に赤字でございます」