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「美桜、お待たせー!」
委員会の仕事で職員室に行っていたミヤちが戻ってきて、あたしは窓から視線を外した。
「遅くなってごめんね! あーもう、あの先生、毎回毎回生徒に雑用押し付けてくるんだから! ったく、あたしたちは小間使いじゃないっての! しかも、みんな逃げるの早いし」
ミヤちはぷりぷり怒っている。ご愁傷さまと笑いながら、彼女の支度が終わるのを待ち、連れ立って学校を出る。料理部がなくなったため、またみんなでダラダラ帰るという習慣が復活したのだ。
「あれ、ところでトモヤは?」
「寄りたいところがあるって先に帰っちゃった。あたしと一緒だと裏道行くことになるからって」
あたしは苦笑して頬をかいた。
以前と変わったのはここだ。大抵の道は駅までつながっていて、行こうと思えばどこからでも行ける。一番簡単なのは、校門を出てしばらくまっすぐ歩き、橋を渡ってから右折するというものだ。街中なので店も多く、あたしも含め、ほとんどの生徒がその道を使っている。
だが、最近のあたしは、校門からすぐに右折してしまうのである。
「ああ、そっか。今日は塾の日か。あいつ、最近和菓子にはまってるみたいだよね。コンテストで作ったお菓子、あれがツボにはまったらしくて。小豆とか、腹持ち良くて塾の前にちょうどいいんだってさ」
「ああ……そういえば」
コンテストに応募したあの日。
あたしたちは最終的に、カステラを二ロール分完成させた。そして、部活やら何やらで学校に残っていた生徒たちに配ったのである。
洋菓子が苦手だったトモヤも、和菓子は口に合ったようだ。本当は全部自分で食べたかったのだろう、配っている間、ちょっと悲しそうだった。
「まあ、そんなに気に入ってくれたなんて光栄だよ。頑張って作ったかいがあった」
「ついでに書類選考も通ってくれたら良かったのにねえ」
コンテストは結局、本選に進むことができなかった。だが、ミヤちの言葉に、あたしは小さく笑って首を横に振る。
「ありがと。でも、あれは仕方ないかなあ……」
二つのロールカステラには、陸太朗があらかじめ名前を付けていた。
白い色のカステラの菓銘は「白風」。秋のはじまりに吹く風のことをそう呼ぶらしい。
一方、月が東に上るとき、空が白んで見えることを「月白」というらしく、黄色いカステラの名前はそれだ。淡い黄色にほの白く輝く白あんによく似合っている。
コンテスト用にあたしが選んだのは、白い色の方だった。
最初に陸太朗が見せてくれたレシピが白いカステラだったし、陸太朗はこっちを出したいのだろうと思ったから。
本選に進めなかったのは確かに残念だった。しかし、時間がたって考えてみると、やっぱり正当な評価だったのだと納得した。
甘さのバランスに関しては自信がある。だが、全体的な味を考えたときに、独創性や目新しさがあるかと問われたら、和菓子の知識が乏しいあたしにはわからない。
見栄えについても、カステラの生地の粗さ、もみじ型寒天の色合いや飾りつけの未熟さ、そういったものが、客観的に見られるようになった今だと目についてしまうのだ。
もう少し時間があれば。せめて、陸太朗と手分けできていれば。
そんなことを考えたりもしたが、もう過ぎたことだ。第一、料理部は正式に廃部になった。土日の間に陸太朗が来て、家庭科室に置いていた備品や材料などを引き取って行ったらしい。月曜日に登校したときにはすべて終わっていた。
陸太朗からは、先週、一つ、メッセージが来ていた。
『ありがとう』
何についてのありがとうなのか。
コンテストに応募したことか。コピーを置いていったことか。それとも、区切りをつけられたことなのか。
確かめるのが怖くて、あたしは返事をしていない。
『話がしたい』
『放課後、時間あるか』
頻繁に連絡が来る今になっても、あたしは無視し続けている。陸太朗から返事が来なかったあの時と、まるで逆の立場になってしまった。
きっと、あたしはまだ、陸太朗に夢を見ていたいのだ。吹っ切れたような表情で和菓子をやめたと言い切る陸太朗を見たくないのだ。
あれだけ拒絶されたくせに、なんて未練がましいと自分でも思う。分かってはいても、実際会ってしまったら、すべて表情に出てしまいそうだった。
だから、彼にはしばらく会えない。心の整理がつくまで、連絡もしない。
しかし、あたしが返事をしないとわかると、彼は休憩時間や放課後にうちのクラスまで探しに来るようになった。今までのところ逃げ切れているのは、ひとえにあの時配ったカステラのおかげだ。
一次選考で落ちた作品だが、うちの学校では、トモヤを筆頭に評判は上々だった。和菓子の魅力に取りつかれた生徒たちは、あの日以降、あたしにとてもやさしい。
具体的には、「陸太朗に付け回されている」と告げ口したら、頼むまでもなく妨害に協力してくれるのだ。特に、初期料理部に入部していた女子生徒たちは、陸太朗自身に何がしかの感情を抱いているようで、とりわけ親切だった。彼女たちが敷いた陸太朗包囲網のおかげで、彼の居場所はリアルタイムで知ることができる。この調子でいけば、陸太朗が諦めるまで逃げきることも不可能ではないだろう。
「……あ、雪だ」
ちらほらと、空から雪が降り落ちる。白くけぶったような空を見上げて、しばし、立ち止まった。
赤や黄色に染まっていた葉は茶色くなって落葉し、地面に降り積もっている。風は冷たさや鋭さを増し、もう上着なしでは外に出られない。
秋が冬になるまでの短い時間。
あたしと陸太朗が二人で過ごした時間も、それだった。
(――感謝なんていらないんだよ、陸太朗)
だって、あたしが欲しかったのは。
あの時、見たいと思ったのは。
「――美桜? ……美桜ってば!」
話しかけられて、ハッとした。遠くまで行ってしまったミヤちが手でメガホンを作って呼んでいる。
「ごめんごめん。ちょっと、雪にみとれちゃって……」
慌てて彼女に駆け寄って、並んで歩き出した。
こんな感傷は、もうそろそろ終わりにしたい。せめて、冬が終わるころには、あたしも区切りをつけなくては。