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朝は、いつも静かに始まる。
まだ薄暗い台所で、老婆が火を起こす音。
ぱち、ぱち、と薪がはぜる。
その音を聞いて、少年は目を開ける。
眠りは浅い。 というより 眠っているのか
どうかも曖昧だった。
「おはよう。」
声をかけられる前に そう言う。
老婆は少し驚いた顔をして、それから柔らかく笑う。
「まあ、今日は早いのね。」
少年は頷く。
その仕草も、どこか正確すぎる。
教えられた通りに動いているだけのような。
食卓に並ぶ、簡素な朝餉。
湯気の立つ椀を前にして、少年はじっとそれを見る。
「どうしたの? 」
「……あたたかい。」
ぽつりと呟く。
老婆は目を細める。
「そうよ、温かいうちに食べなさい」
少年は箸を取り 口に運ぶ。
少し間を置いて、言う。
「おいしい。」
言葉は正しい。
けれど そこに乗る感情が 薄い。
それでも老婆は嬉しそうに頷く。
「たくさん食べなさいね。」
少年はまた頷く。 それで会話は終わる。
足りないとは、誰も言わない。
昼
老爺は竹を伐りに行く。 少年もついていく。
山の中を歩きながら、老人はぽつぽつと話す。
天気のこと。 昔のこと。
どうでもいいような、小さな話。
少年は隣で聞いている。 時々、相槌を打つ。
「そうなんですね。」
「知りませんでした。」
正しい言葉。 正しいタイミング。
けれど、どこか空虚だ。
「……お前は、物知りだなあ。」
老爺が笑う。
少年は首を傾げる。
「そうですか?」
「教えたこと、すぐ覚える。」
「はい。」
それがどういう意味なのか
分からないまま答える。
風が吹く。 竹が揺れる。
ざわ、と音が広がる。
少年はその音の方を向く。
しばらく、じっと見ている。
「……どうした」
「呼ばれている気がします。」
老人はきょとんとする。
「誰にだ?」
「わかりません。」
それ以上は言わない。
言えない の方が近い。
夕暮れ
帰り道。
老婆が戸口で待っている。
「おかえり。」
その一言に、少年は一瞬だけ目を細める。
「ただいま。」
教えられた通りに返す。
老婆は嬉しそうに笑う。
その顔を見て、少年はほんのわずかに考える。
―なぜ、この人は笑うのだろう。
自分が帰ってきたから?
それが、嬉しいから?
理解はできる。
けれど、実感がない。
胸の内は、相変わらず静かなままだ。
それでも…
「…ただいま」
もう一度、少しだけ遅れて言う。
老婆は気づかない。
ただ、嬉しそうに夕餉の支度を始める。
夜
灯りの下、老婆 が、少年の髪を梳く。
「本当に、綺麗な髪ね。」
指先がやさしく動く。
少年はされるがまま、座っている。
「痛くない?」
「はい。」
少し考えてから、付け足す。
「……たぶん。」
老婆はくすりと笑う。
「たぶん、ってなあに?」
少年は答えない。
ただ 手を伸ばして、自分の胸に触れる。
何もない、 変わらない。
ただ静かなまま。
それでも…
「…嫌ではないです。」
そう言う。
老婆の手が、ほんの一瞬だけ止まる。
それから、もっとやさしく髪を梳く。
「そう… 」
その一言に、たくさんの意味が含まれていることを、少年は知らない。
眠る前
布団の中で、目を閉じる。
外では竹が揺れている。
ざわ、ざわ、と。
あの音だけは、少しだけ分かる気がした。
懐かしいような
遠くから呼ばれているような。
けれど、どこへ行けばいいのかは分からない。
ここではないどこか。
まだ、名前の知らない場所。
少年は目を閉じたまま、呟く。
「……ここで、いいのでしょうか。」
答える者はいない。
ただ、夜だけが静かに更けていった。