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「なんでって、別にいいじゃない。睦美の晴れ姿くらい見せつけてやったら」
「晴れ姿って……あんな派手な格好なのに……」
ケラケラと明るく笑い飛ばす里依紗とは反対に、睦美は全身から嫌な汗が流れるのを感じていた。アレンジだらけで楽譜を無視した演奏に、上手くもないのに人前で歌まで披露して、あの母から怒られないわけがないじゃないかと。眉を寄せた困惑顔で姉にもう一度文句を言ってやろうと思ったが、こちらに向かって商品を手にした客がやって来るのが見え、必死で笑顔を取り繕う。
「いらっしゃいませ。お決まりでしたら、こちらでお伺いさせていただきます」
購入されたばかりの商品を箱に入れてギフト用にラッピングしている内に、里依紗と子供達はいつの間にか売り場からいなくなっていた。姉が放って置き去りにしていった爆弾発言には嫌な予感しかなかったが、既に送られてしまったものは今更どうしようもない。母の小言は耳と心を塞いで聞き流そう。諦めて自分自身に向かってそう言い聞かせていると、聞き覚えのある甲高い声がすぐ真後ろの什器の陰から聞こえて振り返る。
「お疲れ様でーす」
「あ、こんにちは」
もう従業員ではないのにいつまでも同僚みたいな挨拶をしてきたのは、佐山千佳だった。ベビーカーに乗せられた娘は、落ちないようにとリボンで繋がれた玩具をご機嫌で振り回している。
以前には夫と共に睦美達のステージ衣装をバカにしていたと聞いていたから、今日もわざわざ揶揄いに来たのかと思って身構えたが、どうも違うようだ。
「三好さん、すごく水臭いじゃないですかー。私、今日で二回目なんですよ、ステージを観に来たのは。仲良くしてるママ友に教えて貰って。でもこないだは娘は寝ちゃってたから直接は見れなかったんだけど……だから今日はすごく楽しみにしてたんですよー」
興奮気味にやや早口だったけれど、好意的な台詞。千佳がかなり一方的に喋りかけてくるから、睦美は圧倒されて「そうですか」と相槌を打つのが精一杯だった。
「ほら、ゆうちゃん。さっきのピアノのお姉さんだよ。お歌、楽しかったねー」
ベビーカーを覗き込みながら、睦美の方を指さして娘へと話しかけている。
「今日は主人に先に行って場所取りしといてって言ったんだけど、従業員がそんなことできるかって……」
立ち見だったことは不満だったみたいで、ちょっと頬を膨らませている。さすがにあの場でスーツ姿の男性が前列を陣取るのは難しい。睦美は「ははは」と乾いた笑いで返す。
「今日はご家族で観て下さってるの、ステージからも見えてました」
「そうなの。ちょうど休憩時間だったみたいで」
早番の休憩もまだの時刻だったから、多分いつもの煙草休憩のフリして抜け出してきたんだろう。
「でも、ここでイベントあるの、全然教えてくれなかったのよー。娘がお気に入りだっていつも言ってるのに」
「娘さん、お気に入りなんですか?」
「そうなのー、コンサートの動画は毎日のように繰り返して見たがるの。ねえ、イベント情報ってどこかで公開してたりしないの? 二人のSNSとかって――」
睦美も香苗もSNSはやってないと伝えると、千佳はとても残念そうな顔をしていた。今はイベントごとに主催者が流す情報が頼りで、ママ友同士の口コミでしか活動を知ることができないのだと愚痴っている。
「あ、でも、ここで定期的に開催する話も出てましたから、またそちらをチェックして貰えたら」
「え、本当⁉︎」
「ええ、佐山チーフが事前に社内で宣伝して下さったおかげですね、きっと。他のフロアまでも、かなり周知されてましたから」
主に揶揄いの対象としてだけど、と声には出さず心の中で付け加える。彼と一緒に陰でコソコソ笑っていた人達はみんな、睦美達のイベント企画が公表された後は一気に大人しくなった。今日のイベント成功に夫も少しは貢献していたと聞かされて、千佳は誇らしげな表情を見せていたが、家に帰ってその話を聞かされた時の佐山チーフは一体どんな反応を示すのだろう。正直、ちょっと見てみたい。
「ねえねえ、次のイベントってもう決まってるの? 出産までにもう一度くらい観に連れていけたらなって思ってるんだけど」
大きくなったお腹を擦りながら、千佳が聞いて来る。いつもの幸せマウントとかとは違い、純粋に近いイベントの情報が知りたいだけみたいで、睦美は翌週にボランティアとして参加することになっている予定を千佳へと教えた。
「まだ生まれてなかったら、絶対に観に行くね!」と嬉々とした笑顔で告げてから、千佳は睦美に向かって何度も手を振りながら売り場を出ていった。
「え、何ですか、あれ?」
千佳が去っていく後ろ姿を呆気に取られながら見送っていた睦美へ、ちょうど休憩から戻って来た小春が呆れ気味に聞いてくる。「さぁ?」と首を傾げながら答えてから、二人で顔を見合わせて笑った。