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階段のうえからお色直しを終えた男女が姿を現すと万雷の拍手が注がれる。結婚式というものは、いい。何十回出席しても、金原(かなはら)瑤子(ようこ)の胸に、新しい感動を与えてくれる。ましてや、彼女は二児の母。現在中学生と高校生の息子たちがいつかこのような姿をお披露目してくれるのかと思うと、切ないような、羨ましいような気持ちに包まれる。

ゆっくり、拍手に包まれるなかで階段を降りる彼女たちの表情、それは、いままで瑤子が目にしたことのないものであった。二人とも職場では仮面を被っている……そのことがよく分かる。

広坂のほうは、長年、浮気男に悩まされてきた彼女の精神状態を不安視していたようだが、瑤子の目から見て深刻だったのは広坂のほうだった。瑤子は、広坂の転職した経緯は知らないが、なにか女に手酷く痛めつけられた経験があるに違いない……別部署とはいえ歓迎会に出席し、遠目に、広坂の愛想を振りまく姿を見て逆に心配になった。……なにか、あるのだろう、と。他人の苦しみに対し瑤子は敏感であった。

元々夏妃は会社ではそれ用の仮面を被っていたようであるが、広坂と結ばれてからは雰囲気が変わった。いいふうに。自然とこぼれ落ちる笑みが抑えきれぬようであった。幸せであるさまはびしばしと伝わってきて、瑤子のこころを和ませてくれていた。

年が近ければ、夏妃の相談に乗ったりしたであろうが、瑤子は部長職を務めあげ、プライベートでは絶賛反抗期中の二人の男子を育てるママだ。とてもじゃないけれど、そんな余裕はない……それに、自分の話をしたとて、所詮、恵まれたワーママの上から目線……となってしまうだろうことも分かっていた。尤も、夏妃はそんなものの見方をしない人間だと分かっているが。

会社では落ち着いた様子を見せる夏妃であったが、他の新人よりも誰よりも、瑤子にとって一番心配だったのが夏妃のことであった。山崎という毒男に振り回され……どう考えても夏妃という女に山崎は不釣り合いであった。勿体ないとは思ったが、けれど、夏妃の友達でも親類でもない瑤子は気持ちを抑え込むほかなかった。恋愛というものは、他人に反対されればされるほど盛り上がる性質を持つ。ロメジュリの恋愛があれほど盛り上がったのは、家同士が敵対している状況に置かれたからだこそ。

新人の頃からの、夏妃を見守っていた瑤子としては、こうして愛情豊かな広坂という男を結ばれる夏妃を見ると、感慨深いものがあった。お陰でティッシュとハンカチが手放せない。結婚披露パーティーのあいだじゅう、瑤子は泣き通しであった。


帰りの電車のなかで、スマホで写真を見た。色とりどりのドレスに身を包む女性陣に比べ、自分の地味なこと……これでは、親戚だ。尤も、鮮やかなドレスに身を包む年頃は過ぎたのだから仕方あるまいが。喪服のようなブラックフォーマルに身を包む自分はよく言えば落ち着きがあって……悪くいえば地味。

写真の中でも、夏妃は生き生きとした魔力を放っていた。その魔力が、真に愛する男と巡り合えた女だけが手に出来る特権であった。自分があのようなあでやかな笑みを浮かべたのはいつが最後だろう……思いだせないくらいに昔のことであった。

夫婦生活は、簡素で、砂漠のように乾いており。夫は夫というより、頼れる同志だ。この二十年来、夫を男として意識したことなど――ない。

それに比べたら広坂夫婦の幸せそうなこと。彼らの未来に自分たちの歩むような砂漠が待っていないであろうことを、ただ願うばかりだ。結婚砂漠。したことのない人間には厳然たる桃源郷としてそびえる一方で、する人間にはあまりにもとてつもない苦渋を伴う。

帰宅するとちょうど息子の広志(ひろし)が牛乳を飲んでいた。小さい頃はまだよかったが、中学生になって急に背が伸びたあたりから……この子は本当に自分が産んだ子なのかと。ぐんぐん成長するのを目の当たりにし、そして性欲に目覚めた辺りを察した頃から、別の生き物に思えるようになった。

「……ただいま」

「どうだった? 結婚式」

「……素晴らしかったわ。感動した」

何度言っても牛乳パックに直接口をつける癖を改めない。その習性自体も、女を欲する欲望の表れのようで、それを感知する自分の性格がいやになる瑤子である。「あなたたちも、いつか本当に好きなひとが出来て……一緒になってくれると、母さんは嬉しいわ」

「変なプレッシャーかけないでくれよなあ」と力強く冷蔵庫のドアを閉める広志。「ただでさえ受験とか部活とかでおれ、押しつぶされそうだってのに。頼むぜ」

言いたいことだけ言って息子は部屋へ籠ってしまう。瑤子の話を聞いてくれる者など誰もいない。この寂しさにももう、慣れた。瑤子が外で社交的に振る舞うのは、そんな自分を作ることで自分が癒されるからであった。誰のためでもない、自分のためだ。という分析をするたびに、つくづく自分はエゴイストなのだと……認識させられる。

ひとり、居間でドラマを見ながら結婚式の写真に目を通す。瑤子の目に映る花嫁花婿の姿は、あまりにも幸せそうで、瑤子の胸を抉った。その痛みに耐えながらただ彼女は、ふたりの幸せを願った。誰にでも手にできるものではない、幸せという権利を手にしたふたりが、これからもずっと仲良く……恋人同士のようにやっていけることを。

『幸せな家庭を築きたい』と挨拶の際に広坂は言った。幸せとは果たして……なんであろう。子に恵まれる幸せ? 理解のある伴侶と過ごす日々のこと? それとも……形骸的な家庭に耐えうる忍耐力の問題? ……どれも違う。

それはひとそれぞれなのだと瑤子は思った。滅多に飲まないビールを口に含み、ドラマで塗り固められた虚構の世界に酔いしれる。幸せなステージの余波を胸に残したまま。

幸せなら、それでいい。他人が定義するものではない、自分たちで切り開くものだ……幸せというものは。努力をしない限りは手に入れぬことの出来ない権利とも言う。そのことを知る瑤子はただ、飲んだ。誰もいないリビングでただひとり、他者の提供する虚構に酔いしれながら。

「……金原さん、土曜日はありがとうございました」

明くる月曜日、挨拶に来る彼女に瑤子は笑みで応じた。「いいえ、こちらこそ。幸せな恋人たちの姿に当てられたというか、なんかもうご馳走様……だったわ。ありがとう」

「……いえ」頭を下げ、また別のメンバーに挨拶に行く夏妃の姿を見て思う。……すこし、余裕が出てきたか? 思えば、自分の新婚時代は、泣かされっぱなしだった……兼業主婦である瑤子に、あれをしろこれをしろと要求する典型的なる昭和の夫に命令され、怒りのあまり瑤子は缶を床にたたきつけたことがある。その傷はいまも残っている。彼女のなかにも。願わくば、夏妃がそのような夫に苦しめられていることなどないことを……であるが。あの様子を見る限りは平気そうだ。

広坂も広坂で彼周辺の人間に挨拶をして回っており、やがて瑤子のところにもやってきた。

「金原さん、土曜日はありがとうございました」

頭の下げ方なんかも夏妃そっくりで。妙な共通項を見出してしまい、瑤子は笑った。怪訝な顔をする広坂に、「いえいえこっちのこと」と曖昧に濁す。

「それにしても、ふたりともピンクの衣装が似合っていたね。芸能人みたいだったよ」

「……彼女のたっての希望で」と広坂。「実は彼女、パーティを開くことも、ピンクのドレスを着ることも悩んではいたんですが、おれが後押しをしました。後悔なんか、したくないじゃないですか。別に三十二歳の女の子がピンクのドレス着たとて、今日日、そんなことに突っ込む輩はいませんし、年齢てのは財産。所詮そのひとをラベリングする一介の数字に過ぎない……とおれは思っています」

「幸せそうでなによりだ」と瑤子は鼻を鳴らす。「……念のため聞くけど、彼女、会社辞めないよねえ? いまあの子に抜けられるとかなり……困るんだけど」

「一生働きたいって彼女は言っています。それこそ倒れるまで」

「そっか。安心した」

「……ま子ども生まれたらどうなるか分かりませんけど」

「大丈夫よ。あたしというロールモデルが身近にいるんだから」

「……そうですね」また頭を下げ、広坂は会話を打ち切りにする。「ありがとうございました。ではまた……」

しばし、手を止め、瑤子は挨拶回りをする彼らの様子を見守った。会社員という仮面を被る彼らが、互いのことを話すときは表情を緩める。無自覚? であろうか……いずれにせよ、いまのふたりにとって、互いが、これ以上ないほどに大切な存在で、これ以上ないほどの幸せを味わっている……そう断言できるほどの幸せなオーラを振りまいていた。見ているこちらのこころがあたたかくなるほどの。

「さーて。仕事仕事」

腕まくりをし、すこしずつ涼しくなる秋の気配を感じながらディスプレイを凝視する。仕事は、いい。誰がどこの出身だとか年齢だとか……様々な不純物を、ステレオタイプを、偏見を、洗い流してくれる。瑤子は女性の管理職であるゆえに、リーダーミーティングなどの際に『浮いているのでは?』という不安を感じることがあったが、周囲は概ね彼女に好意的だ。それは彼女の、敵を作らぬよう振る舞ってきたことで培われた財産でもある。努力とも言う。

誰が、いつ死ぬかなんて、分からない。あたしたちに出来るのは、後悔の残らないよう、毎日毎日を一生懸命に生きることのみ……。時折最愛の息子たちの姿を目に蘇らせながら、今日も、瑤子は仕事に没頭する。自分という存在を認めてくれ、自分の価値を確かめさせてくれるその存在に。


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