テラーノベル
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『もうね、充分過ぎるぐらいに頑張ったと思うから、楽にしてあげたいの』 年が明けた頃、「痛い」と魘されながら顔を歪めて息を切らす姿に、あいつの母親はそう呟いた。
それは痛みを和らげる方に注力するという意味で、しかしそれは体内に強い麻薬を入れるらしく、当然ながら残された時間は確実に早く減っていく。
そして薬により意識は途絶え途絶えとなり、場面によっては一度も目を覚ますことなく最期を迎えるかもしれないという意味だった。
ただ緩和治療をしなくても寿命を一、二ヶ月程度伸ばすぐらいで、もう桜を見ることは出来ないだろうと医師より宣告されていた。
『本を手に取るまでは意識を保っていたいから、強い薬を使わないで』
それがあいつが言い残した、最後の言葉だった。だが全身に駆け巡るであろう痛みに悶え苦しむ姿に、あいつの母親は娘の願いを聞き入れなかった。
……俺も、同じだった。
もう苦しむことなく、安らかに逝って欲しい。
たとえ、夢を叶えられなくても。
そう思ってた。だが、俺はどこまでも身勝手で、欲張りで。夢も叶えてほしいとか、この期に及んで思っちまっている愚かな脇役ってわけだ。
「これは、お前の書いた本だろ。これを手に取るために、今まで頑張ってきたんだろう? 寿命まで削って書いたんだろ? だからよ、作家なら自分の作品を最後まで責任持って送り出せよ。……頼むから……」
詰まる喉に声は途切れ、熱い目元に天井のライトを見つめ、ただ下唇を噛み締める。
こいつの細く冷たい両手を取り、本に添わせ、俺の手でそっと支える。
そんなことをしても、もう意識は戻らない。分かっていたが、どうしても俺はこいつに夢を叶えて欲しかった。最後の夢を、こいつに。
「……え?」
揺れた視界の先で、何かが動いたような気がした。
袖で目をゴシゴシと拭いそっと目を開くと、閉じていた瞼を開かせこちらを見据える澄んだ瞳がそこにはあった。
「おい、分かるか!」
小さく瞬きを繰り返したこいつは、まるで天使のようか柔らかな笑みを返してきた。
「これ、できたってよ! お前の本だ!」
単行本をこいつの目元まで持っていくと、目を見開きまじまじと見つめる。
次に右手を顔元に持ってきて酸素マスクを外しやがるからヒヤッとしたが、本の香りを感じ取っていると分かったから、仕方ねぇから少し待ってやる。
しかしどんどんと酸素濃度? を測っている数字は下がっていき、俺はマスクをこいつの口元に被せる。
健康な人間は酸素なんか送らなくても空気を吸ってれば問題ないらしいが、こいつの体はそこまで機能していないらしい。
「あぁ、ごめんねぇ」
「いいから、ちゃんと息しろ。話はそれからだから」
人間は声を出さないと掠れていくというがそれは顕著で、鈴を転がすような可憐な声はなくなっていた。
こいつ自身も喉を抑えて違和感があるようだが、んなことどうでも良いんだよ。
お前が自分の気持ちを出せたら、それで。
「ほら」
こいつの手を取って本に触れさせると指に力を入れて小さく握り締め、目からはスッと流れるものがあった。
「すごい。あたまで、おもったのと、おなじ」
指で撫でる、表紙絵に描かれている男子高校生。
おそらく俺にそっくりだと言いたいんだろうけど、そりゃああんだけの筆力があれば人物像なんてイメージつくだろ? 勿論、描けるかは別としてな。
「言っとくけど、お前もそっくりだからな」
「……えぇ、もりすぎ……だよ」
隣にいるセーラー服の女子高生はこいつそのもので、艶のあるストレートヘア。横顔でも分かる華のある美しさ。手を胸元まである髪に触れている、なんとも言えない儚さ。
本当、プロはすっげぇな。文章を読んで、こいつの人物像を描いちまうなんて。
ハハッと笑いながら目を少しずつ閉じるこいつに、俺は咄嗟に肩を揺らしていた。
「……おい、まだ早いだろ? 中身までしっかり読んでこそだろ? ほら、読むからな」
こいつの病状的にもう限界だと分かってる。今こうしているのも、どれほど苦しいことなのかも。
だから俺が言っているのは単なるわがままで、押し付けで、だけど、だけどよ。
「……ありがとう」
大きく開いた目は小説執筆に燃えていたあの頃と同じで、こいつは何一つ変わってないみてぇだ。
ポケットからハンカチを出しこいつの目元をそっと拭う。
ガラにもねぇと自分が一番分かってるが、気付けば……な。
#学園
有栖川 郁太郎
106
#猫塚ルイ文庫
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