2025.2.5
紫目線
またいつも通り、日付が変わった。
全ての針が重なると同時に聞こえた、ひとつの電子音に目を向ける。
ーーー母ーーー
『あけましておめでとう!
ねぇ、2月5日帰ってこれない?』
0:00
『休みとれると思うけどなんで?』
0:03 既読
『きりやんくんのお誕生日!』
『会いに来てほしいんだって』
0:04
『わかった』
0:25
送ってしまった文字を布団へ投げ捨てる。
悩んだ末にでるのは天邪鬼。
面倒だと思ってしまうことでもつい甘くなってしまうのは、子供のときからこいつを知っているせいか。
2月5日と6日に希望休と忘れないようにメモを残した。
きりやんと出会ったときの俺は14歳だった。
学年が上がる前の長期休暇。
渡された小冊子と向かい合っていたとき、呼び鈴が鳴った。
映し出された画面には黄色い箱を持ったひとりの男性。
「……はい、村崎です。」
「あっ!お忙しいところ失礼いたします。隣に越してきた横谷と申します。ご挨拶にお伺いいたしました。」
「あ、はい。いま開けます。」
空いているはずの隣家がやけに騒がしいと思ったら、どうやら越してきたらしい。
この静かな日々を脅かすような人じゃなければいいんだが。
「すみません、仕事で親いなくていまは俺だけなんですけど。」
まだ子供だからと舐められぬよう、丁寧な対応を心がける。断りを入れながら扉を開き言葉を交わそうと思ったら、男性の返答をかき消すように下から声が聞こえた。
「っ!はじめましてっぼく、きりやんっていいます!おにいさんは?」
「おれ…?スマイルだよ。」
「スマにぃ!よろしくおねがいしますっ!」
少し膝を曲げ、優しめの声と表情で答えると太陽は輝いた。
俺の作られたものとは違う、子供の純粋な笑顔。
それからというもの、どうやら懐かれてしまったようできりやんが我が家に来てはゲームで遊んだり、勉強を教える日々を過ごした。
8年ほど続いたそんな関係は、大学を卒業し就職した俺が家を出たことにより、あっけなく終わった。
もう彼と最後にした会話は覚えていない。
喧嘩したのか背中を押してくれたのか、それとも言葉はなかったのか。
ただ、静かに涙を流す少年が遠ざかってゆく光景は鮮明に覚えている。
新幹線と電車を乗り継ぎ、雪が降る町に足を踏み出すと懐かしい香りが鼻をくすぐる。
22年間歩いた道は少し変化していたが、4年ぶりに使う鍵はすんなりと俺を受け入れてくれた。
「…ただいま。」
暖かい空気が身を包む。
リビングに繋がる扉の前に立つと包丁の音や陶器の音に混じり、母の声と聞き馴染みのない声が聞こえる。
動悸。
誰かいる。
震える手でカチャリと扉を開く。
「あ、おかえり〜。久しぶりだね。」
「4年ぶり…?かな。」
母の隣で手を泡まみれにしている男が、なにも変わらないねと金髪を揺らしながら笑う。
知らない、こんなやつ知らない。
脈打つ心臓がうるさい。
「ん?どうしたの、スマにぃ。俺に見惚れちゃった?w」
「…きりや、ん……?」
「えwそうだよ?」
知らない、俺が知っているきりやんじゃない。
小さくてクソガキで、俺の周りで飛び跳ねる子犬みたいなやつなのに。
こんなに格好良くなるなんて聞いてない。
綺麗に整えられた自室に2人きり。
あの頃となにも状況は変わらないのに、心臓の音が嫌になるほど聞こえる。
低音が鼓膜を揺らす。
「12年前の約束、覚えてる?」
沈澱した記憶が海を駆ける。
『ぼく、スマにぃとけっこんする!』
『えぇ…?結婚は18歳にならないとできないよ。』
『じゃあぼくがじゅーはっさいになったらけっこんしてくれる?』
『うーん…18歳になったらね。』
遊んでいる途中に交わしたただの口約束。
まだ小学生に上がったばかりの子供だ。
どうせ中学生になる頃には好きな人くらいできるだろうと、こんな会話は忘れるだろうと思い返答した。
あぁ、きっと俺のせいだ。
こいつに手枷を繋いでしまったのか。
「ねぇ、スマにぃ。俺と結婚してくれる?」
「……18歳に、なったら…ね。」
「今日が18歳の誕生日だよ。もう一回、聞くから答えて。」
左手を取られる。
そこから彼の温度が伝わり、脳を焼く。
熱で視界が揺らぐ。
「俺と結婚してくれますか?」
ガラス越しの琥珀。
先程までは蕩けていたのに、剣先みたく鋭いそれを見続けることができずゆっくりと下を向く。
太陽は輝き、月を照らす。
ふわりと白檀の香りと陽だまりに包まれた。
浮遊したかと思えば重力に引っ張られる。
痛みは一切なく、清潔な布団に埋まる。
「……は、」
「初めて会ったときからずっとずっと好きだった。就職して遠くにいっちゃってからもスマにぃのこと考えてた。今日もずっと我慢してたんだから。」
「ちょっ、まって!きりやんっ…///」
「俺の12年間の愛情、その身体でちゃんと受けとってね…♡」
古いベッドは軋む音がよく響く。
薄いカーテン越しの月光が入る部屋は、鼻を覆いたくなるほどの淫香に満ちていた。
口内を蹂躙する舌のせいで、まともに酸素が供給されない。
肺が押し潰され、空気が嬌声となり漏れる。
萎縮する粘膜と拡散する熱。
また欲が注がれた。
日付が変わる。
いつもとは違う瞬間。
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