火曜の朝、いつものように手帳を確認する。そこには月に1度、3週間ほど俺を蝕む原因となるものの印がついている。
「はぁ...。」
曇りきった空は、朝っぱらから雨でも降らしそうな勢いだ。
窓の外を眺めて、また手帳に目を戻す。変わらない事実がそこにはあって、薬に伸ばす手が心做しかぐったりしている。
そう、俺は発情期真っ只中だ。
「来週の火曜日収録ね」
先週こう決まったその時から、俺は発情期とダダ被りするのを予感していた。まだ結成してまもないこのグループだから、発情期中にメンバーと集うことは1度もなかった。
でも、いつかはこういう日が来ると分かってたし、今日は覚悟を決めなきゃいけない。
「まあ、大丈夫だよな」
なんと言っても俺は、普通のΩよりも気質が薄い。発情期も、きっと世間一般的なΩよりは辛くない方だとおもう。
抑制剤を2粒水で流し込んで一息つき、 手帳に再度目を移し、収録の時間を確認する。
「いつもより1時間近く早えーな。」
今日は初の実写動画ということもあり、いつもなら11頃からなのが10時頃まで早まっている 。
初めてメンバーと生で触れ合う動画が出るのだ、リスナーはともかく俺らも相当緊張している。
「ふぅー。」
ドクリ…ドクリ…
緊張からくる鼓動の速さか…はたまた発情期か…。
そんな鼓動を他所に、着々と家を出る支度を進める。最低でも家を出る15分前には全ての準備を終わらせておきたいのだ。
ピロン
「ん? 」
聞きなれた電子機器の音の方へ視線をやると
《《今日は収録だよ!10時に現地でね!
抜け目がないな、さすがかなめ。
それに返信をする。
りょうかい|
《《 了解
「よし。」
支度もできたし、後は家を出るだけ。
再度持ち物を確認する。
ハンカチ、ティッシュ、スマホ、PC、イヤフォン、水、折り畳み傘、そして予備の抑制剤。
それら全てがあることを確認し、家を後にした。
こうしてだだっ広い街を歩いていると、自分のバースなんてちっぽけなものだなと再度思わせられる。すれ違う人が、Ωなのなかαなのかβなのかなんて、一瞬じゃあ俺には分からないしな。
一瞬…。一瞬か…。
なんだか思い出したことがある。
この世の中には”運命の番”というものがあるらしい。
その名の通り、運命的な番、お互いがお互いに強く惹かれ合う、不思議な力が働くものだそうだ。それは、その2人が出会った、”たった一瞬” でわかるらしい。
こんな広い世界で、たった1人の運命のパートナーと出会えるなんてとても信じ難い。
それに、それに…
「それにαは…」
いや、もう忘れよう。
それとΩは1度αと番と、解消したときに別のパートナーを作ることが出来ないと聞いたことがある。なんて不便なことだろう。
だから、世のΩは慎重に、慎重にパートナーを選ぶ。
けれど残酷なもので、ヒートを起こしたαに無理やり噛みつかれて番になってしまうことも少なくないのだ。
俺は1度それになりかけて、すんでのところで助かったが…。
「はぁ…。」
発情期ついでに嫌なことまで思い出しちまった。
それにしても天気が悪い、折り畳み持ってきておいて正解だな。
どんよりとした空と俺の心は自然とあるペースを遅める。
ペースが遅まるのはきっと、それだけが理由では無い。多分、メンバー似合うのが億劫だからだろうか。
いや、メンバーと言うよりかは…。
正直に言えば、かなめだな。
俺の感で言うと、かなめはαだ。それも生粋の。
そんな奴と、薬を飲んでいるとは言えども発情期状態な俺は、会って大丈夫なのか不安が拭いきれないのだ。
「薬もいつもより多めに飲んだし、そもそも気質は薄いし、平気だよな。」
そう自分に言い聞かせているうちに、収録の現場に着いてしまっていた。
屋内に入り、集まる部屋まで歩く。
扉を開けると、そこには既に少しメンバーが集まっていた。
「お!アルケー!おはようさん!」
こいつは、前回のdiscordの時と言いいるのが早いな。まだ20分前だぞ。
「アルちゃんおはよぉ」
限界社畜はスマホを見ながら話しかけてくる。音ゲーでもしてんのか?
「おはよう。お前ら早いな、何時からいるんだ?」
「んー、れむはアルちゃんの5分前くらいに来たよぉ」
「俺はそのあとすぐ来たで!」
「そうか。」
なんだかんだ言って社会人してるなと感心する。
「......」
「ん?アルちゃんどうかした?」
なんか、匂いがする。
「いや、なんでもない。少しぼーっとしていただけだ。」
「そっか!」
すんすんっ。
なんだ、この匂いは。心做しか強くなってきてるような。
すぐそこまで来ている感覚がする。
ガチャ、と扉の開く音がして入ってきたのは
「!!」
大きく心臓が跳ね上がった。
「かなめ!おはよー」
胸を締め付けられる匂い…こいつから漂ってるのか?
「皆おはよ~」
そう言ってすました顔をしているが、俺は一瞬、部屋に入ってきた一瞬だけ、こいつが眉をピクリと動かしたのを見逃さなかった。
なんで匂うんだこんなに、俺の体はどうしてしまったのだろうか。
悶々と考えていると、かなめがこちらへつかつかと歩いてくる。
なんだ、何かしたか俺?
そして、俺のすぐ側まで来て一言。
「アルケー、今日香水つけた?」
「は??」
予想外の質問に少し拍子抜けする。
「だから、香水つけたかって聞いてるの」
「別につけてないが?」
「そう」
なんなんだこいつは一体。なんの確認だったんだ?
「アルケー香水とかつけるタイプじゃあらへんよな!」
「まぁそうだな。」
そんな中、ドタドタと外から音が聞こえてくる。
「間に合ったか!?」
「ごめんなさい!しの寝坊しちゃった!」
2人同時に駆け込んできた、しゃるろとしの。少し不安げな表情をしている。
「別に遅れてないで!心配すんなっ 」
うるみやがしっかりと二人のフォローをする。
「よかったぁ~」
安堵のため息をつく2人は、なんだか微笑ましいと思った。
「じゃ、皆揃った事だし始めよっか!」
「おー!」
「だな。」
「はーーー、終わったぁ!」
匂いのこと、かなめのこと、色々あったが何とか収録を終えることが出来た。
さっさとこの場を後にしたい気持ちでいっぱいだ。
「皆お疲れ〜!」
「おつおつ~!」
よし、解散ムードだな。
「この後皆でご飯とか行かないっ?」
しの辞めてくれ。俺は一刻も早くかなめから遠ざかりたい。訳の分からない胸のざわめき、匂いから早く開放されたいんだ。
それになんだか体調もだんだん優れなくなってきているのがわかる。
「 いいなそれ!」
「れむも賛成~」
「皆でご飯とか行ったことないしな!」
これは断れないパターンだ。何とかして離脱したいとこだが…。
「この後みんな予定大丈夫そう?」
「大丈夫やで!」
「俺も!」
「アルケーは?」
「…空いている。」
「あははっ!何今の間~」
「よし、じゃあ決まり!」
予備の薬は持ってきている、食事屋に着いたら飲めばいいか。
やっぱり断ればよかったかもしれない。
来る途中までで、かなり体調が崩れ始めた。
だが、それを悟られたら自分のバースまで知られてしまうかもしれないから、ひた隠しにする。
「ついたよー!」
「案内ありがとう、しの」
「どういたしまして!」
店内は広々していて、お一人様用から団体用まで様々な座席配置があった。
俺らはその中の6人席に案内された。
「どれも美味しそ~! 」
「これとかいいんじゃない?」
ウキウキとメニューを見ているしのとれむ。
運ばれてきた水をずっと飲んでいるかなめ。
しゃるろとずっとしゃべっているうるみや。
よし。今のうちに、抑制剤を飲んでしまおう。
そう思ってカバンに手をつけようとした瞬間
「アルケーは何頼むか決まった?」
突然かなめに話しかけられて、ドキリと肩を跳ねさせる。
「…いや、まだだが。」
「そう、じゃあこれオススメだよ」
そう言って指さしたのはミートソースパスタ。
たしかに美味しそうだ。
「…ならこれにする。」
「ん、わかった。アルケーは決まりね」
心做しか満足気に見えるかなめに、少しの違和感と、やっぱり微かに香る匂いが俺の心臓を締め付ける。
それからしばらくして、メンバー全員が注文をし、料理が運ばれてくるのを待っていた。
俺はと言うと、抑制剤を飲むタイミングを逃したせいで、体調がどんどん悪くなっていて…。
体が熱く、火照ってきたのが自分でもわかる。これはやばい。
「…っ」
このままでは誰かしらに気づかれてしまう。それは絶対に避けたい。
そうだ、トイレに行こう。
とりあえずこの場は離れなければ。
「っ悪い、トイレに行ってくる。」
そういうや否や、俺はメンバーの反応も見ずに、カバンを持って足早にトイレへ急いだ。
個室に駆け込んで鍵を閉める。
「…はぁ、はぁっ…。」
さっきまで我慢していた分が、一気に押し寄せてくる。
「うっ…おえ”っ…。」
急に吐き気がして、そのまま便器に戻す。気持ち悪い、、暑い、、
「はっ…はぁ、ん」
今までここまでの発情期は来たことがなかった。
「早く…抑制剤…飲まねぇと、」
カバンに手を伸ばすも、上手く取り出せない。体が完全にダメになっているみたいだ。
体温が上がって、体の奥の方からじわじわとと迫ってくる感じ…ヤだ。
「ん、はぁ…っ」
やべぇ、ガチで。辛い、暑い。
抑制剤…飲まねぇと…なのに…っ
個室の角で息を切らしながら蹲る。
「ひゅ…はぁっ…ん…」
気…失いそ…
「っ!!」
不意に個室の扉を叩かれる。
こんな時に誰だ…。
「アルケー?ここにいる?」
おいおい、嘘だろ。なんで
「…ぁあ。」
「その声色、大丈夫なのか?」
なんでこいつが…今来る。
「…だ、いじょうぶだ、かなめ。」
やばい、こいつの匂いでどんどん体調が悪化していく。
でも、悟られる訳にはいかない。
「本当に大丈夫なの?」
扉越しとはいえ、現時点では扉数センチ分の距離にいる訳だ。極力声は出さないようにしなきゃな。
「…ぁあ、」
「…とりあえずアルケー、ここ、開けれる?」
そんなの無理に決まっている。今開けたら全てがバレてしまう。
「いや、無理だ…。」
精一杯の普通の声を出し、反抗する。
「…そっか。わかった。」
どうやら諦めてくれたみたいだ。
少しほっとした気持ちと、これからどうやってメンバーの前に姿を見せれば良いのか分からない気持ちが交差している。
この発情期が少しでも治まらない限り、ここを1歩も出ることは出来ない。
「…はぁっ…ん、」
かなめと必要に接したせいで妙に体が暑い。
蹲ったまま、どうにかカバンから抑制剤を出そうと顔を上げたその時
「っ…は?」
扉をよじ登って、個室に上からかなめが入ってきた。
「っなんで、入ってくんだよ!」
何してんだこいつは、非人道的にも程がある。
「やっぱり、アルケー大丈夫じゃなさそうだね。顔、赤い。」
そう言って俺の顔に手を触れてくる。
「っ…!」
その瞬間、ぶわわっと触れられた場所から伝染するように体が沸き立った。
「っ、アルケー…凄く甘ったるい匂いがする。」
かなめの顔が少し引き攣ったのがわかった。
そして、 お互いの暑い息を感じながら続ける。
「朝から甘い匂いがするなって思ってたんだけど、そういう事か…。」
「っ…触るな、」
見られたくない、こんな醜態。
なのに、なんでだ…。
今の一瞬で……勃起してしまった。
かなめに触れられたその一瞬で…。
そして、今にも喰らいついてきそうな顔でかなめが言う。
「アルケー、Ωでしょ?」
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