テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
終末は前触れもなく訪れた。
赤。ひたすら赤。
汝、希望を捨てよ。
苦難の赤に染まった世界で、望みを抱くべきではないからだ。
『一〇六、応答しろ』
廃墟ビルの中。
崩れそうなコンクリートの壁にもたれかかる少年がピクリと反応する。ほぼ反射でインカムを入れた。
「一〇六小隊、如月シオンだ」
『作戦地区エコー・ファイブで救難信号だ。竜人出現。急行しろ』
「了解」
シオンは崩れた壁から身を乗り出し、勢いよく飛び出す。そして隣のビルへと乗り移り、止まることなく駆けだした。
『負傷者一名。処分対象だ』
「……」
『分かっているな? 仕事を果たせ、”竜人殺し”』
「了解」
険しい表情を浮かべつつ、彼は速度を上げた。
◆◆◆
二二〇五年五月十日、旧川崎市工業地帯。
ここも百二十年前は重要な工業地区として栄えていたが、今はほとんどが廃墟となっている。放置された機械は錆びつき、各工場の壁には蔦が張っていた。今やこの場所は、侵入制限区域に指定されている。
「こちら一〇六小隊、シオン。現着した。竜人を確認。捕食中だ」
『最優先は竜人だ』
「負傷者が増えているが?」
シオンが問いかけると、舌打ちが返ってきた。
耳障りな雑音もあって眉を顰める。
『錯乱した通信があったが、やっぱりか。救援要請してきたのは研修中の新人小隊だ』
「四の付く奴らか」
『別動隊が四〇八試験小隊の回収に向かっている。付き添いに三一七小隊がいたはずだが全滅したか? 状況を把握している暇はない。そちらは竜人を最優先で始末。それと後処理もだ』
「……了解」
廃墟の影から現場を目視する。
近くで倒れている者たちが合計で五人。彼ら彼女らの内三人は生きていることが遠目でも分かった。しかしかなり苦しんでいるようだ。残り二人はピクリとも動かないし、かなりの出血量である。
そしてもう一人、竜人に捕食されている。彼は既に体の半分がない。
(竜人……厄災に侵された、成れの果て)
赤い鱗が肌に浮かび、髪もまた深紅に染まる。額からは天を衝くような角。そして口は頬まで裂けて牙からは血肉が滴っている。人の形をしているが、まるで化物だ。
シオンは物音を立てぬよう潜みつつ観察を続ける。
すぐにでも飛び出さないのには、訳があった。
(これは一人じゃ厳しいな)
地上を巨大な影が通過する。
目を上げれば真っ赤な巨体が空を悠然と飛行していた。それは竜人と同じ赤い化け物。いや、竜人がその化け物に似ているというべきなのだろう。
「オペレーター。ドラゴンが寄ってきている。小型だが俺一人では対処できない」
『何? 少し待て』
通信の声すら命懸けだ。
空を舞う化け物、世界を終わらせた竜という厄災。小型ですら自動車ほどの巨躯を誇り、個人が所有する程度の武器では傷一つ付かない。その竜が、丁度真上を旋回している。
『オペレーターだ。一〇六小隊、聞こえるか?』
「聞いている。援護は?」
『無理だ。生き残った新人の回収が最優先だ。単独で仕事をこなせ。少なくとも竜人と負傷者の始末は確実にだ』
「ッ!?」
『新人の奴ら、ばらばら逃げたらしい。回収が手間取っている』
無茶を言うな、と叫びかけて飲み込む。
下手に騒げばドラゴンに感知され、奇襲の機会を失ってしまう。シオンは今、一人だ。ならば竜人か、ドラゴンか、どちらかでも奇襲で始末しなければならない。
(空からドラゴンが監視している状況だぞ……竜人に奇襲は無理だ。だったらドラゴンの方を先に始末するしかない。だけどそのためにはもっと高度を下げてこないと)
これがチームならば、誰かが囮となることもできた。
むしろそれが一般的な戦術だ。誰かが囮となって空からドラゴンを引きずり降ろし、潜んでいた仲間が奇襲をして仕留める。だが一人小隊のシオンにはそれができない。
「強引に行くしかないか」
シオンは腰のポーチを漁り、シリンジを手に取る。中に赤い液体が封入されたものだ。そして先端の注射針を腕に押し付けようとして、動きを止めた。
パンッと力強い破裂音が響き渡ったからだ。
(銃声ッ!)
すぐに竜人を確認すると、再び三度の銃声が鳴って仰け反る。赤い粒子が飛び散り、捕食を強制的に中断させられていた。
「こっちよクソ竜人! その人から離れて!」
シオンから見て右手側の廃墟から、少女が飛び出してきた。彼女は抱えた小銃の引き金を引き、竜人を撃ち続ける。しかし弾は全て外れていた。
奇襲で仕留めきれず、追撃も当たっていない。
(……馬鹿!)
脅威は空からやってくる。
銃声に反応した竜が、その顎を開いて急降下した。
◆◆◆
神無月セリカは竜狩りだ。
より正確にいえば、その研修生にあたる。訓練を積んでいる途中で、今日は実際にドラゴンを狩る実戦に挑んでいた。新人研修のための四〇八試験小隊の一人として。
(許さない……竜人!)
初めての実戦は緊張もあり、高揚もあった。
だが一瞬で死の恐怖に塗り替わってしまった。接触禁忌種、竜人の襲撃を受けたからである。先ほどまで笑っていた同じ新人が、首筋を噛み千切られて即死した。彼の恋人だった同じ小隊の仲間は発狂。監督役として付き添っていた三一七小隊たちが壁となり、自分たちを逃がしてくれた。
「あああああああ!」
セリカも逃げていたはずだった。
だが必死で気遣う暇もなく、いつの間にかはぐれていた。心細さから右や左へとにかく逃げ回り、探し回り、そして気付けば元の戦場に戻っていた。
彼女が目の当たりにしたのは、同期に食らいつく竜人。そして倒れ伏す彼の恋人、また先輩たち。気が付けば引き金を引き、飛び出していた。
「許さない! 許さない!」
苦楽を共にした仲間が一瞬で殺された。
彼を慕っていた恋人はセリカの親友でもあった。
実戦の教導をしてくれていた先輩たちは、頼れる人たちだった。
怒りは彼女の視野を狭くし、ただ憎らしい竜人だけを注視する。あれをこの世から消すことだけを考えていた。だから空から振ってくるドラゴンの姿に、ギリギリまで気付けなかった。
「死ね! 死ね死ね! 死んで――ッ!」
もはや彼女自身ですら何を叫んでいるのか、はっきりしない。
それほど錯乱していた。
だから己に影が落ち、また狂うほど恨めしい竜人の視線が上に向いているのを見てようやく気付いた。自分は狩られる側なのだと。
(あ……)
振り返れば、目前まで死が迫っていた。
小型に分類されるドラゴンでも、自動車ほどある巨体だ。このまま押し潰され、惨めに死ぬ。仲間の仇も取れないまま死ぬ。
情けなさ、悔しさ、そして仲間たちとの思い出。
(これが走馬灯、なんだ)
あれほど煮え滾っていた怒りが冷めるほど、死というものを自然に受け入れていた。
しかし死を前にした走馬灯は、強制的に中断させられる。
「ぼさっとするな!」
ドラゴンの片翼が断ち切られれ、鋭い蹴りが腹に刺さった。それによってセリカへの直撃は避けられる。これを為した少年は着地するや否や、真っ赤な刀をドラゴンの胸元に突き刺した。
(長い首の真下、ドラゴンの弱点……心臓)
座学の知識が自然と浮かび上がる。
ドラゴンは傷ついても再生し、首を切り落としても死なない。だが心臓を貫くか、その近くに存在するコアを破壊すれば殺せる。だから奇襲して心臓を壊せ。そう習った場所だった。
「その場から飛べ! ぼさっとするな!」
セリカは恩人の怒声を浴びて反射的に右へ転がった。彼が散弾銃を抜いてこちらに向けていたから、というのもある。
彼はセリカが飛びのくと同時に引き金を引き、そして銃弾は竜人を射抜いた。まさにセリカの背後を襲おうとしていたところだ。彼女は転がった先で、自分が助けられたことを悟る。
「あ、銃」
ストラップで肩から下げているので、銃は取り落としていない。しかし慌てていたからか構えるのにも手間取ってしまう。
そしてようやく銃口を向けた瞬間、竜人は胸を貫かれていた。彼女を助けてくれた、少年の刃によって。彼が引き抜くと赤い粒子が血のように飛び散り、竜人は仰向けに倒れる。
「オペレーター、一〇六小隊のシオンだ。対象の竜人は始末した」
『確実か?』
「あぁ」
少年、シオンが目を向けると、倒れた竜人は赤い粒子となって昇華しつつある。ドラゴンが死ぬ時と同じだ。また最初に奇襲で始末した小型ドラゴンの昇華は既に終わっていて、真っ赤な球体が転がっていた。
「小型もついでに始末できた。コア回収も可能だ」
『よくやった』
「それともう一つ。新人らしき奴がいる」
『何? 名前を確認しろ』
シオンは一度通信を止め、腰を抜かしたセリカへと向く。未だに銃を手放さず、グリップに手形が付くほど握りしめていた。
「竜人出現の報を受けて駆け付けた。一〇六小隊、如月シオンだ。所属と名前は?」
「……ぁ、あの、四〇八試験小隊、の……神無月セリカです」
「オペレーター、神無月セリカだそうだ」
『そうか。彼女で最後だ。無事に新人の保護は完了したな。後始末の後に彼女をデルタ・スリーまで誘導せよ。迎えのヘリを送る』
「了解」
シオンは軽く周囲を確認し、他にドラゴンがいないことを確かめた。
そしてまだ生きている怪我人たちの元へと歩み寄る。まだ呻きつつも苦しんでいる男女が三人。胸に穴が空き、折り重なるように倒れている女性が二人。
へたり込んでいたセリカもようやくそれを思い出したらしく、足をもつれさせながら駆け寄ろうとした。
「来るな」
だがそれはシオンの冷たくも鋭い一声で止められる。
彼は血のように赤い刀を抜いたまま、セリカを睨みつけた。
「竜人による負傷だ。介錯の必要がある。知っているだろ?」
「そん、な……だめ……駄目です!」
「方法はない。竜人から傷を受けたドラゴンスレイヤーは、間もなく竜人に転ずる。だから接触禁忌種なんだ。普通のドラゴンと違ってな」
シオンは刀を逆手に持ち直し、振りかざした。
ただしすぐには振り下ろさず、視線を下げて問いかける。現在進行形で苦しむ髭面の男だ。
「遺言は?」
「くそ……ったれ、が」
「そうですか」
刃は垂直に降ろされる。
セリカは胸の内で叫んだ。止めてと、声にならない悲鳴を上げた。喉からそれが出る暇もなかった。あっさりと、刃は男の額を貫く。
「なん、で」
あっさりと殺人が行われた。
この滅びゆく世界で、同胞であるはずの者に殺された。シオンは止まることなく、再び刀を振りかざす。次に狙いを定めたのは、同じく苦しむ女性だった。
「死にたく、ない」
再び刃が額を貫く。
「やめて、くれ」
残るもう一人が懇願するも、シオンはやはり刀を振り上げ、狙いを定めた。
そして残念そうに、彼に告げる。
「傷口に竜の鱗が浮き出ています。急性侵蝕赫竜病です」
「いや、だ。僕には、子供が……」
「残念です」
聞く耳は持たなかった。
三人目も同じく、額を刀で貫かれて死亡する。そして最初から血を流して動かなかった残り二人。彼女たちは一目で、既に死亡していることが分かった。ならば『処理』の必要もない。
「あ、あぁ……」
死んだ。いや、殺された。
「あ、あ」
頼れる先輩たちだった。実戦の引率として、緊張する自分たちを気遣ってくれた。時に冗談を言って、和ませてくれた。ドラゴンを狩る、その手本を見せてくれた。
「い、やぁ……」
同期たちは一生の仲間だと思っていた。
才能を見出され、学び舎で寝食を共にし、この力で家族や友を守るのだと誓い合った。だが夢を語っていたリーダーは体の半分を竜人に喰い散らかされ、彼の恋人だった少女は胸を貫かれて死んでいる。
死。
死。
こんなはずではなかった、死。
ふらふらと、彼女は吸い寄せられるようにしてシオンに近づく。この理解の及ばない感情が、彼女を突き動かしていた。
「あ、あああああああああ!」
乾いた音が鳴る。
平手でシオンの頬を打った音だった。足元も覚束ない、不意打ちにしても無様な一撃。しかしシオンはあえて受け入れていた。
涙を浮かべ、どうしたらいいのか分からない表情を浮かべるセリカ。彼女のような反応は何度も見てきた。
「満足か?」
汝、希望を捨てよ。
苦難の赤に染まった世界で、望みを抱くべきではないからだ。
セリカは目の前が真っ暗になった。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
#コンプレックス