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発進した当初は、
「俺は今日ほど車は凶器という言葉を実感したことはない」
と言っていた京平だったが、目的地近くの交差点まで来て、止まった頃には、少し感心したように、
「上手いじゃないか」
と言ってきた。
「あれだけ運転しただけでわかるんですか?」
とのぞみが訊くと、
「いや、走りがスムーズで、横に乗っていて、ストレスがない」
と京平は言ってくる。
「ありがとうございます」
「これでなんで卒業に時間がかかったんだ?」
と逆に不思議に思ったらしく、訊いてきた。
「それが、マニュアルで免許取ったんですが。
どうしても、交差点をサードで曲がってしまって」
スピードが落とせなかったんです、と言うと、
「やはり、基本、不器用なんだな……」
最初からオートマで取れ、と言われてしまった。
「だが、まあ、安心したぞ。
そうだ。
運転好きなら、車両部に配属してやろうか」
と京平は、さも親切そうに言ってくるが。
「それ、実質、会社から出されるってことですよね……?」
車両部は別の会社が運営しているからだ。
なんとか、私を切り離そうとしているようだ、と思ったが、せっかく運良く大企業に就職できたのに、出されたくはない、と思っていると、
「坂下と聞いたとき、嫌な予感がしたんだよな」
京平は前を見つめ、そんなことを言い出した。
「お前のことはよく覚えていたからな」
と言われ、つい、どきりとしてしまったのだが、京平の語りに、そのどきりもすぐに消え果てる。
「俺は、今まで、数千人の女生徒を相手にしてきたんだが」
「先生、なにかいかがわしく聞こえます……」
「覚えているのは、特別よく出来た奴と、特別よく出来ない奴だけだ」
私はどちらですか、とは訊きたかったのだが、まあ、訊くまでもないような気もしていた。
「ああ、そこだぞ」
と京平が左手を指差す。
街路樹の向こうに昼の日差しに眩しい大きなビルが見えた。
取引先の会社では、本当にただ、専務が顔を出す、ということが重要だったらしく、たいした話はなかった。
だが、外に出た瞬間、京平は妙にホッとした顔をする。
「よかった。
居なかったな……」
誰が?
なにが?
愛人とか? と思ったあとで、
いや、先……、専務、独身だったな、と気づく。
っていうか、愛人と出くわしたとしても、見てるの私だけだし。
最悪、私の口を塞げばいいだけだ、と思った瞬間、さっきの、『お前を食べるためさー』が頭に浮かんでしまった。
明るい街中で、そんな妄想に耽っていると、妙に軽やかな気分になっていたらしい京平が、
「ちょうど昼だな。
なにか食べてくか。
奢ってやろう。
なにがいい?」
となどと言ってきた。
「え、そんな申し訳ない……」
と言いながら、なんとなく、近くの店を見回していると、すぐ近くに会社のショールームがあった。
ガラス張りの向こうに、これ、何処の家が設置するんだと思うような豪華な浴室が見える。
ショールームを見るのは楽しいが、家を建てるわけでもないのに入るのもな、と思って、いつも通りかかるたび、眺めるだけなのだが。
小さなブティックに入ったら、買うまで出られないような圧迫感を感じるが、それとちょっと似てるかな、と思っていると、
「なんだ。
見たいのか。
そうか。
たまには覗いていくか」
と京平が言い出した。
「いや、いきなり、専務に来られるとか。
ショールームの人たち、抜き打ち検査みたいで、緊張するんじゃないんですか?」
と言ったのだが、京平は、
「知らんだろ、俺の顔なんぞ」
と軽く言ってくる。
まあ、確かに。
私も知りませんでしたしね、と思っている間に、行動の早い京平はもうショールームに入ってしまっていた。
慌ててついて入ると、
「いらっしゃいませ」
と制服姿の素敵なお姉さんが微笑みかけてくる。
京平は軽く、
「今度、家を建てるので、少し見せてもらってもいいですか。
ああまだ、具体的に設計士と話してはいないので、見るだけで」
とお姉さんに言っていた。
はい、では、ごゆっくりと微笑んで、お姉さんは居なくなったが。
……今度家を建てるのでって言ったら、なんか私たちカップルみたいなんですけど、とのぞみは赤くなってしまったが。
自社の製品を眺める京平はまるで気にしていないようで、ちょっと腹立たしい。
「あのー、全然、軽く眺める感じになってないんですけど……」
京平の後ろをついて歩きながら、のぞみは言う。
京平の目線が完全に業者のものだったからだ。
なんか競合他社の人が偵察に来たみたいな雰囲気なんですが、とさっきのお姉さんを気にしたのだが、お姉さんは、ちょうど入り口で他の客を出迎えていて、気づいてはいないようだった。
のぞみは最新の浴槽設備の並ぶ店内をぐるりと見回し、
「それにしても、ときめきます、ショールーム」
と微笑んだ。
「ジャクジーとかミストとか、豪華な浴槽とか。
見てるだけでも楽しいですよね」
「そうか。
奥の方に実際に入ってみられるスペースもあるぞ」
と京平が言ってくる。
えっ、とちょっと喜びかけたが、
「でも、お風呂でゆだって、赤い顔して帰ったら、みんなに怒られますよね」
と笑って言い、
「……どんだけ長湯するつもりなんだ」
と言われてしまった。
そのとき、
「京平じゃないか」
という張りのある男の声が後ろでした。
京平がぎくりとした顔をする。