テラーノベル
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第七十七話 建物の裏側
古い建物の裏側に回ると、
表とはまるで違う空気が流れていた。
人通りはほとんどない。
建物の壁はところどころ色が剥がれ、
細い路地には雑草が伸びている。
彼は立ち止まり、ゆっくりと辺りを見渡した。
「……ここだ」
彼女が隣で足を止める。
「何か思い出した?」
「まだ、はっきりとは……」
彼は目を閉じた。
すると、頭の奥に一瞬だけ映像が浮かんだ。
――雨。
――濡れた路面。
――この建物の角。
そして、その先に立っている誰か。
「……いた」
彼女が小さく聞き返す。
「誰が?」
「分からない。でも……ここに誰かいた」
彼は建物の奥へ視線を向けた。
「俺は、あの人を見てた」
「事故の直前に?」
「たぶん」
二人は慎重に歩き始めた。
路地の先には、小さな階段があった。
以前見つけた写真に写っていたものとよく似ている。
彼は階段の前で立ち止まった。
「この階段……」
「知ってる?」
「いや。でも、足が覚えてる感じがする」
一段目に足を置く。
その瞬間。
頭の中に、また別の記憶が流れ込んできた。
『こっち』
誰かの声。
振り返る。
そこには――
青いリボン。
「……っ」
彼は思わず手すりを掴んだ。
「大丈夫?」
「うん……大丈夫」
そう答えながらも、
視線は階段の上から離れなかった。
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まくら
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みおん
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「今、声が聞こえた」
「何て?」
「『こっち』って」
彼女は少し考えてから、階段の上を見る。
「じゃあ……その人について行ったの?」
「分からない。でも、俺はこの道を進もうとしてた」
二人は階段を上った。
上には、建物の裏手へ続く細い通路があった。
その先に、小さな鉄の扉がある。
彼は扉の前まで行き、手を伸ばした。
だが、触れる直前で止めた。
「……怖い」
彼女は何も言わず、隣に立った。
「無理に開けなくてもいいよ」
「いや」
彼は首を横に振った。
「ここまで来たから」
ゆっくりと扉を押す。
――ギィ。
古びた音が響いた。
中には何もない。
ただ、床の隅に小さな紙が落ちていた。
彼女が拾い上げる。
そこには、見覚えのある丸に
一本線を入れた印があった。
そして、その下に短く書かれていた。
『ここで、待っていた』
「……待っていた?」
彼が紙を見つめる。
「誰が?」
「分からない」
彼女は紙を裏返した。
何も書かれていない。
そのとき。
彼のスマホが震えた。
知らない番号からだった。
メッセージは一行だけ。
『そこにいたのは、君が探している人じゃない』
彼は眉を寄せた。
「……どういう意味?」
続けて、もう一通。
『その人は、君を探していた』
彼女も画面を覗き込む。
「じゃあ、この人は……」
「俺を知ってたってこと?」
返事はすぐには来なかった。
二人はしばらく黙っていた。
やがて、画面に新しい文字が表示された。
『事故の日、君がここへ戻ろうとした理由を思い出して』
彼はスマホを握りしめた。
その瞬間だった。
――雨の音。
――走る足音。
――誰かの声。
そして、自分の手の中にあった何か。
「……箱」
彼が呟いた。
彼女が振り向く。
「箱?」
「俺……ここに戻ろうとしてたんだ」
「どうして?」
彼は答えようとした。
けれど、言葉が出てこない。
代わりに、別の記憶が浮かんだ。
雨の中。
誰かが自分の前に立っている。
その人の手には、あの小さな箱。
そして――
『これを渡したら、全部終わる』
「……」
彼は息を止めた。
「今、何か思い出した?」
「うん」
「何?」
彼はしばらく黙ってから、ゆっくり答えた。
「俺は……箱を受け取るためだけに戻ったんじゃない」
「じゃあ?」
「誰かに……返そうとしてた」
彼女の表情が変わる。
「何を?」
彼は自分の手のひらを見た。
そこには、今も銀色のチャームがある。
「……分からない」
そのとき、スマホがもう一度震えた。
『返そうとしたものは、箱じゃない』
二人は顔を見合わせた。
そして、その下に続く最後の一文を読んだ。
『それを返す前に、事故が起きた』
彼は目を閉じた。
雨の音が、また頭の中で鳴り始める。
今度は、ほんの少しだけ。
事故の直前。
自分の前にいた「もう一人」の姿が――
初めて、こちらを振り向いた。
コメント
1件
もう、なんだろうこの空気感……。建物の裏側に行っただけで世界が変わったみたいで、すごく好きでした。特に「足が覚えてる感じがする」っていう表現、記憶ってそういうものだよなあってじんと来ました。青いリボンの人がちらっと出てきたところと、最後の「もう一人が振り向いた」で終わる余韻がたまらなかったです。謎が少しずつほどけていく感じ、続きが気になりすぎます……!