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篠原愛紀
「リュカで良いから、呼び名。休日まで社長呼びはちょっとね……」
驚いた
驚きと共に
その言葉に刺激された脳が
瞬く間に活発になり
その言葉の真意を求め
加速度的に勘繰りと妄想を誘発する
(さすがにそれは無理……)
(気が引けてしまう……)
(でも……良いのかな?)
(でも、それって……何でだろう?)
(もしかして……私だから?)
(会社の上下関係以上の存在ってこと?)
(いや、そんな事はあるはずが……)
「——さん、水川さん!」
「……え?」
いつもの癖で
長髪で隠した補聴器に手を当てようとするも
結んだ長髪はそこにはなく
手を当てずとも社長の声はよく聞こえた
物思いに耽り
妄想に耽り
どうやらボーッとしてしまっていた私
「大丈夫?包丁持ったままボーっとして危ないよ」
「アハハ……すみません気を付けます」
「じゃあハンバーグのネタ……コネコネお願いします……リュカ」
夫以外の男性を
ビリオネアの男性を
勤める会社の社長を
馴れ馴れしくも名前で呼び
真っ赤に赤面しながら
私はその喜びを嚙み締めた
出来ると言ってはいたが
あきらかに不慣れな手つきで
一生懸命にネタをこねるリュカ
会社にいる時とのギャップが微笑ましい
それを横目で見ながら
茶々を入れるのが楽しい
「それと……私も瑠奈で大丈夫ですよ」
「オッケー瑠奈」
以前にオフィスで
二人きりの際に呼んでくれた私の名前
あれは何だったんだろう?
そして再び
私を名前で呼んでくれた
社長の名前呼びに乗じて
私も名前で呼んでもらえた
たかだかそんな事かもしれない
でも
たかだかそんな事が
枯渇していた心を満たし
私は心底嬉しかった
私の脳は
いつしか妄想せずにはいられない
乙女なお花畑に成り下がっていた
***
リュカの慣れない手捌きで
普段の倍以上の時間をかけ
ようやく成形されたハンバーグ
ようやく仕込みを終える頃には
夜に差し掛かっていた
「何か料理しながら匂い嗅いでたらお腹空いてきたね」
「匂いって……お肉まだ生ですよ?」
「そういうのは焼いてる時に言うセリフです」
どこか天然なリュカに癒されながら
悠久の時が流れる
結局
お腹を空かせたリュカの提案もあり
そのまま調理して食べる事になった
「良い匂いしてきた~何だかお腹空いてきたね!」
「ですね!今度は正解です!」
作ったのはただのハンバーグ
どこにでもある
誰にでも作れる代物
それを
こんなに喜んでくれるなんて
私は
それだけでお腹一杯だった
自宅の事
夫の事
自身が既婚者である事
そして
リュカが勤め先の社長である事——
いつしかそんな小さな事は
すっかり忘れてしまっていた
***
「いただきます!」
共同作業共同制作の産物
二人で作ったハンバーグ
共に卓を囲み
いざ実食
早速ハンバーグに手を伸ばし
一切れ口に運び
互いに顔を見合わせる
「うん、美味しい!」
高級なお店で買った
高級なお肉で作った
シンプルなハンバーグ
味付けはリュカの好み
粗びきの塩と
色とりどりのコショウを挽いた
塩コショウのみ
互いに顔を見合わせ
互いに微笑み
美味しく出来たハンバーグに
一緒に舌鼓を打つ
いつ以来だっただろう
先日夫と共に卓を囲み
一緒に摂った朝食
いつ以来だろう
誰かと笑顔で卓を囲み
笑顔で摂る食事
愛想笑いじゃない
本心の笑顔
笑顔で摂る食事が
こんなにも美味しいなんて
食材が高級なだけじゃない
料理が美味しいだけじゃない
本当の美味
この味に比べたら
愛想笑いで同期と摂るランチも
心を曇らせ夫と摂る朝食も
無味無臭に等しい
余程お腹が空いていたのか
余程美味しかったのか
はたまた私に気を遣ったのか
リュカが一人の時用に作った
作り置き分のハンバーグまで
リュカは全部平らげてしまった
「ふぃ~いやあ美味しかった!」
「ご馳走さま、ありがとう瑠奈!」
育ち盛りの少年の様に
嬉しそうに
美味しそうに
モリモリと食べるリュカの姿
美味しかった
ご馳走さま
そんなありふれた食後の一言
そんな些細な事で
私は幸福に満たされ
私はお腹一杯だった
と同時に
今まで自分が失っていたものに
気付かされた
リュカといるとそうだ
今まで自分が失っていたものを
気付かせてくれる
人狼
ビリオネア
普通じゃない彼が教えてくれる
普通の幸せ