ミセスとしての活動を再開できる。
休止してから……いや、元貴が一度休みたいと言ったあの日から、ずっと待ち望んで来たこれ以上ない知らせだ。
やっとギターに触れることができる。また元貴と共に音楽を創り上げることができる。ファンのみんなの前に立てる。
待ってくれているであろうみんなのことを思うと胸が熱くなった。
なのに。
どうしようもない寂しさが拭えない。
先の見えない日々に折れそうになる心を涼ちゃんと支え合って、行き場のない気持ちを吐き出して慰め合って。少しずつ築いてきた、ここは2人だけの世界だった。
毎日朝起きれば彼がいて、取り止めのない話をして、お互いの作ったご飯を一緒に食べた。
彼が作ったご飯はいつもきのこが入っていて、でもちょっとしょっぱくて、今日もお米がいっぱい食べられるねって笑うまでがセットだった。 俺の好きな味付けを覚えてくれた。俺の作ったちょっと失敗したご飯も美味しいってたくさん食べてくれた。些細な工夫に気づいて褒めてくれるのが嬉しくてSNSで調べていたら、タイムラインにレシピばっかり出てくるようになったっけ。
ダンスのレッスンが終わった後は2人で毎日自主練した。汗が煌めく彼の真剣な表情を鏡越しに盗み見るのが好きだった。叱られたところは教え合って、うまくできた時は顔を見合わせて笑って、どうしてもダメな日はその涙が乾くまでそばにいた。
手を繋いで階段を登り、部屋の前まで送って行ったことも数え切れない。 ドアの隙間から顔を出して、俺のおかげで眠れると小さく笑ってくれた。おやすみと手を振ってドアの向こうに消えていく彼の姿が脳裏に浮かぶ。
この柔らかな幸せに包まれた日々が、いつまでも当然に続くものだと思ってしまっていた。
一緒に住んでいるから、なんて都合のいい言い訳だった。もっと彼に近づきたいと思いながら、それを実現できない自分への慰め。彼との信頼関係を崩してまで想いを告げる勇気なんか、俺は待ち合わせていないんだから。
この生活が終わったら、俺達はただのメンバーに戻る。
長い夢から覚めたような気分だった。
「………涼ちゃんにはさ、まだ言わないであげて。ちゃんとスケジュール決まってからじゃないと、きっとすごく待っちゃうから」
「ん、わかった。チームとも相談しとく」
さて、と立ち上がった元貴がソファに向かう。
「これ起こしてもいいの?このまま朝まで寝かす?」
プレゼントに囲まれたソファですやすやと眠る涼ちゃんを指さして問われる。 起こすのはかわいそうな気もして少し考えるけど、ここではちゃんと眠れないだろう。
「起こそっか。ベッドで寝た方がいいよね」
頷いた元貴が涼ちゃんの頬を両手でムニっとつまむ。
「おーい、りょうちゃーん、俺帰るよ?俺におやすみのご挨拶は?」
「ん〜〜、、、……ばいばい」
目を閉じたままおざなりに伝えられた挨拶に元貴が目を細めて笑う。頰から手を離して頭に伸ばし、優しく髪を撫でる。
「またね、近いうちにちゃんと話そうね」
その慈愛に満ちた目に胸が軋む。
休止前、精神的に落ち込んだ元貴を支えるのは涼ちゃんの役目だった。そして多分、涼ちゃんが落ち込んだ時には元貴がそれを受け止めていたんだろう。涼ちゃんはその関係の中に自分の居場所を見出していたんだと思う。
今は俺がそばにいるから涼ちゃんは辛い気持ちを俺に伝えてくれる。
でも、活動を再開したら?
眠れない夜、彼はどこに拠り所を求めるんだろう。
元貴が帰って行ってからしばらく、俺はソファ近くの床に腰を下ろして涼ちゃんの寝顔を眺めていた。
閉じられた瞼から伸びる睫毛の影、すらりと高い鼻梁、閉じると意外と小さい唇。
ふと、元貴がつねっても起きなかったな、と思う。
腕を持ち上げて人差し指でその頬に触れる。力を込めないようにふにふにとつつき、滑らかな感触を楽しむ。
それから指先をそろりと唇に移す。薄い上唇をつたい、ふっくらとした下唇をなぞった。
こんな風に寝ている間に触れるなんて卑怯だと思う心と、もう寝顔を見られる機会なんて無くなるんだから少しくらい、と思う心が拮抗する。
気がつけば俺は腰を浮かし、彼を間近で覗き込むように顔を寄せていた。
あと少しで唇が触れてしまいそうだ。
その時、見つめていた彼の瞼が震え、ん……と唇から音が漏れた。
俺は反射的に顔を引き、尻餅をつくように床の上を後退する。
薄く開いた瞼が細かに瞬き、それからゆっくりと開けられた。床に座り込む俺に焦点が合う。
「あ……れ?わかい?おれ寝て………あれ、みんなは?」
あっなんかいっぱいある!と体を起こしてソファの上に正座し、周りに積まれたプレゼントをキョロキョロと見回す彼を直視できず立ち上がる。
「涼ちゃん寝ちゃったから、みんなおめでとうって言って帰ったよ!俺達も寝ようぜ!俺先にシャワー使うね!」
早口で伝え、逃げるようにリビングを後にした。
コメント
6件
りょつぱにお帰りなさい🤭笑 更新ありがとうございます💙💛 元貴くんと涼ちゃんの繋がりは、どうしても気になっちゃうところですよね…💦 しかも、同居解消した後の涼ちゃんの拠り所は何処になるのか、と考えるところに、また若様の切なさが…🥺💙 まだまだ、自分に来てくれる!とか、俺が支える!とまでは思えないんだよねぇ、若様😢 私も、涼ちゃんの気持ちがあまり見えなくて、ドキドキしてます🥺 続きが楽しみです❣️
「俺におやすみのご挨拶は?」にときめきが……🤤 同居生活の夢と浪漫と一抹の寂しさが交錯していて、いつも楽しみにしております☺️
コメ失礼します。 毎回ドキドキしながら読ませていただいてます。実は「同居生活=2人の世界」だと思っているので、今回は特にグッときてしまいました。優しい若井さんの気持ちが報われますように…。 続きも楽しみにお待ちしております!