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「エレディア、来たよ」「ルイっ!入って入って!」
白く無機質な空間に小鳥のように可愛らしい声が響く。
エレディアは生まれた時から重い病を患っており、こうしてわざわざ病院の別棟に隔離して治療していても尚、未だに治る見込みはない。屋外に出ることも許されておらず、ずっと閉塞的な病院の中に閉じ込められたまま、外の空気に触れることなく育ってきた。
十歳という幼く小さい体にたくさんの管を繋ぎ、それでも見舞いに来た俺に向かって花が咲いたような笑顔を浮かべるのだから、なんとも健気で、あまりにも痛々しい。その姿を見るだけで心が苦しくなるのを貼り付けた笑顔で隠し、ベッドの傍に置かれた椅子に座った。
「ねぇルイ、エレね、今日はいつもより元気なの!ルイが来たからかなぁ」
「ならよかった。エレディアが望むなら、これから毎日来るよ」
「ほんと!?でも、さすがに毎日はルイがたいへんだよ。ルイがほんとにひまな時に来てくれるだけで、エレうれしい!」
「エレディアのためなら時間なんて予定を削ぎ落としてでも作るのに…でも、ありがとう」
俺がそう言うと、エレディアは少し頬を染めてはにかむ。彼女の笑顔を見るだけで、荒んだ心が癒される。毎日お見舞いに来たいというのは本心だ。このクソみたいな生活の中で、価値のない自分の世界に鮮やかな色がついたのは、他でもない彼女のおかげなのだから。むしろいつまでも彼女がいるこの場所に逃げていたいくらいだ。
「ルイ、さいきんいそがしそうだもんね。いっぱいおべんきょうしてるの?それとも、またコンクールに出るのっ?」
「………………っ」
エレディアの純粋な問いかけに、言葉が詰まってしまう。父親と同じ道を進むために大学で歯学を専攻し、勉強しているのは本当だし、前までは趣味でやっているピアノのコンクールに出ていたことも確かだ。しかし、今はそれ以外にも、愛する彼女のもとへ来れない理由がある。
離婚した父親が別の女と再婚し、母親の暴行がエスカレートしたのだ。
元々、彼女は少々ヒステリックな一面があった。そして夫と別れた今、教育熱心な彼女は俺をさらに束縛するようになった。
しかしそれだけでは収まらず、彼女が父親の再婚の知らせを聞くと、ついに抑えが効かなくなって俺に暴力を奮うようになった。それは離婚した理由の元である俺への怒りであり、また彼女の行き場のない不満をぶつけているようでもあった。
日に日に増していく拘束時間は、俺個人の時間さえも奪う。俺が何かやらかすと彼女の暴行はさらに増すだろうから、勉強も疎かにするわけにはいかない。そうしているうちに、唯一の安息であるエレディアとの交流時間が減っていってしまったのだ。
母親との付き合いは辛い。けどエレディアと会って話したい。だからどんなに苦しくても、心がボロボロになっても生きてきた。死ぬ気で生にしがみついた。限界が近かった。いや、もう限界なんて越えているのかもしれない。でも頑張った先には、エレディアがいる。エレディアは俺の存在意義で、この生活の確たる理由だった。
だからエレディアに、自分の本当のことを話して、悲しい顔をさせたくない。そんな顔を見るために生きているんじゃない。だから愛を込めて、嘘をついた。彼女の好きなルイヴィナで在り続けるために。
「…実はね、大好きなエレディアに曲をプレゼントしようと思って。だからその練習を頑張っているんだ」
「えぇっ!そうなの!?ルイ、エレのためにきょくを作ってるの…?」
「そうなんだ。いつもこんな俺と話してくれるエレディアのためにね」
「わぁ…っ、うれしいなあ。エレ、すっごくたのしみにしてるね!またあのピアノでひいてね!」
「エントランスのピアノでね。もちろん」
それを弾く日は、果たして来るのだろうか。いや、絶対に弾いてみせる。エレディアだって、またいつ容態が悪くなるか分からない。そんな彼女が楽しみにしているのに、嘘を嘘のままで終わらせられない。
「あっ、そうだ!プレゼントで思い出したんだけどね、エレからもルイにわたしたいものがあるの!」
エレディアはそう言うと、ベッドの横に置かれている小さな棚からスケッチブックを取り出し、あるページを開いて見せた。そこには俺の似顔絵と…名前の分からない花が描かれていた。花は全体的に黄色の華やかな形をしていて、中心にいくつかの赤く小さい線が入っていた。
「エレディア、これは…?」
「これはねぇ、ルイと、アルストロメリアっていうお花なの。ずかんを見ながらかいたんだ!」
「あるす…ごめん、なんて?」
エレディアはくすっと笑うと、棚から分厚い図鑑を取り出した。どうやら花の図鑑のようだ。ペラペラとページをめくっていくと、あの絵と同じ花の写真を見つけた。
「あった!これだよ、すっごくきれいでかわいいお花!」
「本当だ。まるでエレディアみたいだね。でも、どうしてこの花を描いたの?」
「ルイは花ことばって知ってる?お花ごとにちがったいみがあるんだよ」
エレディアが指差した先を見ると、アルストロメリアの花言葉がふりがな付きで書かれていた。『凛々しさ』『持続』『未来への憧れ』…どれも縁起が良く輝かしい意味だ。
「ヴァントに教えてもらいながらえらんだんだけど、この『凛々しさ』は、かっこいいルイにぴったりだし、『持続』とか『未来への憧れ』は、これからもエレとルイが、なかよく生きていけますようにって思って!」
「エレディア…」
「だからね、この絵をルイにあげよう…って、わぁっ!?ルイ…っ?」
俺は感激のあまり、エレディアの小さな体を強く抱きしめた。あぁ、なんて愛おしいのだろう。ずっと病院のベッドに拘束されて、運動も勉強も満足にできなくて、不自由で苦しくて辛い生活を送っているのに、それでも俺をこんなにも想ってくれているなんて…
俺はこの先なんとしてでも生きなければならない。自分のためではなく、彼女のために。彼女を幸せにするために。
「…エレディア。本当に愛しているよ。辛いこと、たくさんあるけど…エレディアのために、生き続けるから」
「ルイ…えへへ。エレも、ルイが大好き。いっしょに長生きしようね」
「うん。エレディアを置いていかないよ。一緒にずっと、生きようね」
これから先、お互いどうなるか分からない。
だけどいつか、愛するエレディアと共に、明るい未来を生きる。そう心に誓った───
「…なんだか入りづらい雰囲気になっちゃったな。今日はルイヴィナの誕生日だから、サプライズでもしてやろうと思ったが…後にするか」
病室の外、一人の男がその様子を微笑ましく見守っていたことに、愛を誓い合う二人が気づくことはなかった───