◻︎病院へ、そして知る事実
足取りは重かったが、検査結果を確認しないとこれからのことが何も決められないと思い、意を決して病院へ来た。本当ならば、桃子が家族として付き添ってきてくれるはずだったのに。
「小沢さん、どうですか?具合は。薬はちゃんと飲みましたか?」
初老の担当医師はにこやかに、言う。
「いや、あの……あの薬って、飲んで効果があるんですか?」
「効果がなかったのですか?まだ胃は痛みますか?」
「まぁ、ストレスが重なって胃の痛みは良くなってないです。というか、痛みを抑えるだけの薬なんですか?もう手遅れだということですか?」
「は?手遅れ、ですか?」
「はっきりおっしゃってください、僕の症状は……?」
医師はカルテを始めから読み返している。
「申し訳ありませんでした、検査結果をきちんとお伝えしてなかったようですね。なかなか来院されなかったので」
「え、えぇ、忙しくて来れなかったんです」
「ストレス性の胃炎ですよ。なのでお薬を飲んで、ストレスのもとを解消することができれば治ると思われますが」
「胃炎?ストレス性の?」
でも薬が…と言いかけてやめる。
「効果がなかったのなら、お薬を変えてみましょうか?」
「あ…はい、お願いします」
薬局で薬をもらい、効能書きを確認する。どう見ても胃炎の薬だった。急いで家に帰り、前回処方された薬をもう一度確認する。今回の薬とは違うけれど、改めて検索してみた。
___胃炎の薬だ
「やったぁ!!僕はまだ生きられるぞ!」
思わず大声で叫んでしまう。もしかしたらもう余命宣告があるんじゃないかとハラハラしていたから、そうじゃないとわかったことがまるで宝くじにでも当たったようにうれしい。
僕は早速、桃子に連絡を取ることにした。僕は大丈夫だから、結婚しようと。
……が、全て連絡が取れなくなっていた。
___病気で金もない男は、いらないってことか
あんなに愛し合ってると信じていた桃子は、簡単に僕を捨てて出て行った。僕のことを欲しいと言っていたのに、いらないと。あの激しい夜も、愛の言葉も、愛美に向けた嫉妬心も、全てまやかしだったのか。
桃子という女の性格に今頃気づいても、もう遅すぎる。桃子のことをそういう女だと見抜けなかった僕は、そんな女のために家族を捨ててしまった……。
___なんて、浅はかな男なんだろう
肉欲に溺れた、ただの中年男だったのだ。若い女をこの手にできるほどのいい男だと勘違いしていただけだ。
でも、何故?どうして?
あの日、桃子と愛美とここで確認した時は、これは胃がんの治療薬だったはず…。
___もしかしたら?
そういえばと思い当たることがあった。
愛美の父親が、胃がんだったことを思い出したのだ。これは愛美の策略かもしれない、と思った。
でもそれをいまさら確認することはできない。証拠もないし、あの日以来電話もLINEも全て拒否されているのだから。
「そうだ!」
娘の莉子と絵麻とは、今でも連絡ができる。
〈莉子、元気にしてるか?〉
長女にLINEを送ってみる。気持ち悪いと言われてしまったカエルのスタンプを添えて。しばらくして返事があった。
《うん、元気だよ》
〈そうか、それならよかった。お母さんも元気にしてるか?〉
《うん、めっちゃ元気。お父さんは?》
ここで、なんて返事をしようか迷った。実は体調が良くないと答えた方がいいのだろうか?薬のことを勘違いしたままで、弱っている方が愛美にとっては『ザマァみろ!』という気持ちになっていいのではないか?なんて考えてしまう。
でも。
『さっさと病院に行って結果を聞いて、ちゃんと看病してもらいなさいよ』
あの日の愛美の言葉を思い出す。こんなひどいことをした僕に“さっさと病院に行く”ことをすすめたのは、もしかして……?
そこまで考えて返事を打つ。
〈莉子、お母さんに伝えて欲しいんだけど。僕は元気だから、心配しないでと〉
《わかった》
病院に行けば本当の病名がわかるから、早く行きなさいと言ってくれたんだと思う。桃子に看病してもらいなさいって言葉は、桃子の僕に対する気持ちを確認しなさいってことだったのかもしれない。
夫婦でいた時間の長さで、愛美は僕のことをしっかり見ていてくれたのだ。だからきっと不倫していたことも気づいていたんじゃないのか。すべては愛美の手のひらで転がされていたのだろう。
「はぁーっ」
深くため息をつく。愛美というとても大きな存在をひどく傷つけて失った僕には、もう贖罪のしようがない。せめて、これからの3人の暮らしのために、せっせと働いて養育費を払うことにしよう。
もう残っていないかもしれないと思っていた命が、ただの勘違いだった、それだけでもありがたいのだから。
《お父さん、来月の私の誕生日、忘れてない?プレゼント期待してるからね!》
莉子からのLINEが届いた。
〈あぁ、何がいいか考えておいて〉
会社での風当たりも強くなり、本社から支店への出向になった。それでも構わなかった。
家族のために働くということが、こんなに幸せだと、今頃になって気づいたのだから。
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