「海ちゃん!いるんでしょー!?出てきなさーい!」
寮のドアをダンダンと叩く音と、鬼気迫る女の声。
風「ずいぶん騒がしいけど何事?」
あまりの騒ぎに、風ちゃんも食堂に降りてきた。
平野「海人が、彼女に一方的に別れるって言ったらしく、彼女怒っちゃってんだよ」
風「えっ!海ちゃん彼女おったん!?」
海人「彼女っていうかー、いつもお弁当作ってきてくれるから、なんとなくお昼休みは毎日2人で一緒に食べてーみたいな…関係?」
風「彼女やん!そこまで貢がせといて、いきなりふったわけ!?もう!海ちゃん!いつからそんな悪い子になったの!」
海人「ふったっていうか、そもそも付き合ってたのかどうか… (ごにょごにょ)」
廉「こいつ、意外に遊んでんのよ」
風「あれ?れんれん、なんで寮生じゃないのにここにおるん?」
廉「そら風ちゃんに会いに来たに決まっとるやろ~?」
岩橋「え~?海人が修羅場って聞いて面白がって見に来たってさっき言ってませんでした~?」
廉「うっ…、まぁ海人は俺にとってもかわいい弟みたいなもんやからな。心配してきてやったんやぞ!風ちゃん、俺、海人のことめっちゃ可愛がってるから! (アピール)」
風「可愛がるのはいいけど、チャライの染さないでくれる~?」
廉「風ちゃんひどっ!」
俺、髙橋海人は、みんなから“甘えん坊キャラ“とか“赤ちゃん“なんて言われているけど、実は付き合った女の人の数は、廉先輩の次に多いかもしれない。
だけどそれが本当に“付き合っていた“のかどうかは、自分でもよくわからない。
だって、今まで1度も自分から「好きだ」って思った事は無いから。
なぜだかいつも、年上の女の人から好かれる。
それで勝手に毎日お弁当差し入れされたり、「これ海ちゃんに似合うと思って」と言ってマフラーとか服とか急にプレゼントされたり。
なんとなくありがたく受け取っているうちに、「私たち付き合ってるんだよね?」とか言われてしまう。
人を拒絶するのとかすごく苦手だから、なんとなく笑顔でやり過ごしていると、なし崩し的に”付き合っている”ことが既成事実となっていってしまうのだ。
だけど1人の人とそういう関係になったからといって、他の人からのプレゼント攻撃が全くなくなるわけでもなく、また次の人になし崩し的にされていると前の人が怒ってしまう。
この流れをどうやって止めていいかわからない。
ただ今回だけは、“なし崩し的“の流れではなくて、自分から「もうお弁当作って来なくていいよ」と彼女に伝えたのだ。
そしたら、めっちゃ怒ってる…。
平野「海人、自分で話してこいよー?」
海人「いやだよ~。こわいよぉ~。めっちゃ怒ってるも~ん。岸くん助けて~」
岸「全くお前は~。いつもいつも世話かけるなぁ」
ぶつぶつ言いながらも、岸くんが「よっこらしょ」と腰を上げる。
岸「じゃぁまぁ、ちょっくら行ってくるわ」
風「じゃぁ私も姉としてちょっと行ってくる」
廉「じゃぁ俺も、未来の義理の兄としてちょっと行ってくる」
平野「え!みんな行っちゃうの?じゃあ俺も」
神宮寺「なんか最後2人くらい関係ないのもついていったぞ?」
岩橋「うん、完全に楽しんでるよね」
神宮寺「海人、お前もちゃんと自分が好きになった人にしか優しくしないほうがいいぞ?好きでもない人に中途半端に優しくしても、結局相手を傷つけるだろう?」
岩橋「全校生徒に優しくしてる“学園的彼氏“の神宮寺がよく言うよ~」
神宮寺「でも俺にとっての1番はいつも決まってるよ?」
岩橋「えっ…またお前はぁ~!!(照)」
ジンと玄樹はよく喧嘩もするけど、喧嘩の後にはより一層ラブラブになる。
玄樹は人間関係まだリハビリ中だから恋愛って言う感じじゃ無いけど、ジンは本当に誰にでも優しいから、よく告白されている。でも、確かに優しい顔してそういうところはきっぱりと断っているみたい。
紫耀先輩もそう。
1週間に1度は告白されているようなペースだけど、絶対に誰とも付き合わない。
中学時代の元カノが忘れられないって言う噂は本当なんだろうか?
岸先輩は…同じ寮に住んでいるのに、なぜかプライベートが見えない。
ああ見えて、結構ミステリアスな存在だったりする。
でも、見たところ全然女っ気はない。
廉先輩は、かなり短いスパンで付き合ったり別れたりを繰り返しているけど、別れ方がうまいのか俺みたいに修羅場になったりはしていない。
好きでもない人に…?
今まで付き合ってきた人たち、好きじゃなかったのかなあ?
でも、
ご飯くれる人は好き。
ものを買ってくれる人も好き。
優しくしてくれる人好き。
甘やかしてくれる人、世話を焼いてくれる人、だから基本年上が好き。
「もぉー!海ちゃんは!」なんて怒ってくれる人が好き。
「海ちゃん!海ちゃん!」って呼んでくれる人が好き。
そっか、今まで俺が付き合ってきた人たちって、
たった1人の面影を追い求めていたんだ…。
またきっと まだずっと…
髙橋海人、8歳。
姉・夏海、10歳。
いとこの風ちゃん、8歳。(学年が一つ上だけど、風ちゃんが3月生まれで俺が4月3日生まれだから、ほぼ1年間同じ年齢となる)
夏海「私は今10歳だから”天才”(10さい)!海人と風ちゃんは8歳だから”野菜”(八さい)ね!二人とも”クサイ”(9さい)を通り過ぎなければ、私みたいな天才にはなれないのよ!」
今思えば、お姉ちゃんも10歳にしてかなりアホっぽいことを言っていたと思うが、その頃の俺と風ちゃんは本気で“クサイ“になるのが嫌で抱き合って怯えた。
俺の母親と風ちゃんの母親が姉妹で、家も近所だったために、何かとどちらかの家に預けられて一緒に過ごした。
本当の姉弟みたいに育ったけど、やっぱりどこか本当のお姉ちゃんとは違った。
風ちゃんのほうが年が近かったから一緒に遊ぶことも多かったし、やっぱり本当の姉弟じゃない遠慮があったのか、お姉ちゃんよりも優しかった。
お姉ちゃんは2つ年上で、何かと俺たち2人にいばりたがったし、いろいろな知識を教えたがった。
だから俺たち3人の関係は、いつも”おませなお姉ちゃん”と”下の子2人”と言う感じだった。
夏海「私はね、大きくなったらキムタクと結婚するのよ」
その頃お姉ちゃんは、アイドルに夢中になっていた。
夏海「海人、あんたは誰と結婚するの?」
海人「うーん、お姉ちゃんと風ちゃん!」
夏海「あんたバカ?まず結婚は1人の人としかできないし、家族では結婚できないのよ!」
海人「え~じゃあどうしよう~~(困)」
夏海「あ、でも知ってる?姉と弟では結婚できないけど、いとこ同士は結婚できるんだって」
海人「じゃぁカイね、風ちゃんと結婚する!ねっ?いいでしょ?風ちゃん!」
風「うん、いーよ!私も海ちゃん、だーいすき!大人になったら結婚しよーね」
風ちゃんがニコニコと答える。
やったー!お姉ちゃんより風ちゃんの方が優しいから好きだもん!
お姉ちゃんはお部屋の中でお人形遊びをしたりするタイプで、俺と風ちゃんは外で遊ぶのが好きだった。
特に2人の中で流行っていたのが“探検ごっこ”。
家の近所で「この森を抜けたら、一体どこに出るんだろう?」とか言って、知らない道を探検するのだ。
大人になったら、その森を抜けた先もすごく近所だということがわかるけど、子供の頃の2人にとっては大冒険だった。
ある日、隣街との間に流れているちょっと大きめの川を、「どこまで下れるか行ってみよう!」と言う冒険に繰り出した。
川の両端にせり出している岩の上をぴょんぴょんと飛んで、川に落ちないように下流へと進んでいく。
海人「風ちゃん!ここは離れてるから僕が先に飛ぶよ!」
そう言って、先に向こうの岩に渡り、「つかまって!」と言って手を出す。カイの手につかまって、風ちゃんもこちら側に渡ることができた。
たった数週間しか誕生日が変わらないのに、学年が違うと言うだけで風ちゃんはやっぱりカイのことを弟扱いする。
だけど探検ごっこをするときは、運動神経の良いカイが風ちゃんをリードできるから、ちょっと自慢なんだ!
ある程度のところまで行くと、岩場はなくなって、水が広がりそれ以上進めなくなった。
岩場がなくなった分、下りられるようになっている砂場が広がっていて、そのサイドに林があった。
しばらく林で遊んでいると、「あ!一番星!帰らなきゃ!」と風ちゃんが言った。
いつもママに、「一番星が出たら帰ってきなさい」って言われているんだ。
だけど、林の中に入り込みすぎて、川がどっちかわからなくなってしまった。
歩いても歩いても、同じような木ばかりが並ぶ。
「海ちゃん、どうしよう…。私たち、おうちに帰れなくなっちゃった…」
風ちゃんが半べそになる。
カイも泣きそう…。
だけど…
ここでカイが泣いたら、風ちゃんはもっと不安になる。
カイは男の子だ!弟だけど、甘えん坊だけど、男の子なんだ!
男は女の子を守らなくちゃいけないんだ!!
きょろきょろと辺りを見回すと、木から落ちたばかりの花が落ちていた。
まだきれいに色づいている。
さっとそれを拾う。
海人「風ちゃん見て!勇気の花だよ!」
“勇気の花“とは、その頃2人ではまっていたテレビアニメに出てくる魔法の花で、空にかざすとその花が進むべき方向を導いてくれると言うアイテムだった。
風「ほんとだ…綺麗ー」
海人「あ!もう引っ張ってる!」
花を握った手を前に出し、引っ張られているみたいにヨロヨロとへたくそな演技をした。
海人「行こう!風ちゃん!」
不安を与えないように、満面の笑顔を作って振り向いて手を出した。
風ちゃんがカイの手にそっと自分の手を重ねる。まだ泣き顔だ。
カイは泣かないぞ!男の子だ!
本当はうっすら見える富士山の方向を頼りに進んだ。富士山がある方向は北だから、多分そっちに進んでいけば間違いない。(カイはバカそうってよく言われるけど、意外と野生を生き抜く力は持っている)
そうしてやっと川に出た。
海人「やったね!風ちゃん!ここまで来たら、あとはこの岩を登って帰るだけだよ!」
風「でも、来るときもけっこう難しいところあったのに、行けるかな…?」
海人「大丈夫!カイが先に行ってあげるから!カイが風ちゃんを必ず無事に助け出すよ!」
自信たっぷりの笑顔で言う。
暗くて、行きよりも難しいところもあったけど、そこはカイの運動神経の見せどころ!
華麗に岩を飛び移って、風ちゃんを引っ張り上げた。
こうしてやっと家にたどり着いた時には、もう空は星だらけになっていた。
ママ「海人!風ちゃん!どこに行ってたの!こんなに暗くなるまで…!!」
家では大捜索が行われていたらしく、うちのママと迎えに来ていた風ちゃんのママも青ざめた顔で駆け寄ってきて、それぞれの子供を抱きしめた。
夏海「海人!!心配したんだから!!バカ!!」
お姉ちゃんが怒ったような顔で、ママの横から抱きしめてくる。
「ごめんなさい…」
二人とも小さな声で謝るのが精いっぱいだった。それくらい疲れていたのだ。
ママ「本当に心配かけてごめんね…。海人ったら、女の子を危険な川に連れまわしてたなんて…」
風のママ「そんなことないよ。うちの風のほうがお姉さんなのにまったく…」
車に乗り込んだ風ちゃんのママとうちのママが互いにペコペコと頭を下げあっている。
そうだ…!勇気の花、風ちゃん「綺麗」って言ってたからあげよう…!
ちょっとだけ開いた後部座席の窓に手を入れて勇気の花を渡そうとした。
ママ「こら海人!何やってんの!車出るのに危ないでしょ!!あんたはもう~、ほんっとにぼーっとしてるんだから!!」
ママがとっさにカイの腕をグイっと引っ張った。
違うよママ、カイはこの花を風ちゃんに渡そうとしただけだよ。
落ち込んでる風ちゃんが、少しでも元気になればって思っただけだよ。
でも、なんか言えないんだ。
いつもそう。思ったこと、すぐに言葉にするのが苦手。それで本当に気持ち、わかってもらえないことも多いけど、「まぁいいや…」って諦めちゃう。
一瞬発進をためらった風ちゃんのママに「行って行って」とママがジェスチャーをして、風ちゃんを乗せた車は出発した。
風ちゃんは「?」な顔をして、後ろの窓からずっとこちらを見ていた。
その後、あの事件のことは忘れちゃったみたいに、やっぱり風ちゃんはカイのことを弟扱いしてくる。
”泣き虫カイちゃん”なんてからかったりもしてくる。
あの時は、完全に風ちゃんのほうが”泣き虫風ちゃん”で、カイのほうがしっかり者で風ちゃんを助けてたのになぁ。
だけど、ある日の本当にふとした瞬間、風ちゃんが言ったんだ。
「あの時、海ちゃんがずっと笑顔でいてくれたから、私怖くなかったよ。もし、海ちゃんも一緒に泣いちゃってたら、もう怖くて歩けなくなってたと思う。
助けてくれてありがとう、海ちゃん!」
そう、だからその日から、カイね、ずっと”笑顔でいる”って決めたんだ。
岸「いや~、なんとか落ち着いて帰ってくれたね!」
海人「岸くーん!いつもいつもありがとう~!やっぱ神だよ岸くんは」
戻ってきた岸くんにすりすりする。ほんっと岸くんって、人をなだめるのが得意なんだ。
もう何度もお世話になってる。
風「なんか~、話してるうちに、あの子、岸くんのこと好きになりそうな雰囲気やなかった?」
廉「それ、岸くんの常套手段やねん。失恋した女子の相談聞いてるうちに落とすって」
岸「別に落としてねーから!」
平野「いや、前も海人の元カノ、岸くんのこと好きになってたじゃん」
風「えっ!そうなん!?やっぱり…」
なんとか岸くんが場を収めてくれて、修羅場を乗り切った。
風「そういえば、前から気になってたんやけど、なんで平野は”平野”で、れんれんは”れんれん”で、岸くんは”岸くん”なん?」
廉「確かに、岸くんは”岸くん”やねんな。みんな”岸くん”やな。俺はたまに”優太”って呼ぶけどな」
海人「岸くんはね~、長老だからだよ~。今日みたいに誰か困った人がいたら、代表して出て行って場を収めてくれる村の長老って感じ!そう!神っていうか村長さんだね!」
岸「おいっ!格下げになってるじゃねーか!長老ってなんだ!じいさん扱いすんなや!」
廉「ま、ほんまにじいさんやからな~。一人だけもう17歳やからな」
風「え?どういうこと?」
廉「こいつ、留年してんのよ。ほんまは高3の年やねん。こいつ、ほんまアホなんよ」
風「えぇーーっ!?そうなん!?だからこんなに落ち着いてたんか…」
岸「廉~っ!お前、それ言うなや~!」
海人「だから、岸くんはおじいちゃんだよ~~」
岸くんの腕にまとわりつく。岸くんは「はいはい」といった感じで好きにやらせてくれるから好き。
平野「前に、玄樹と舞川のこと、”妹”なんて言ってたけど、本当は”孫”だったんだな!」
岸「いや、海人は孫でいいけど、玄樹と舞川ちゃんは妹くらいにしといてよ~」
海人「なんで俺だけ孫でいいんだよ!子供扱いすんな!」
廉「お前は子供じゃなくて赤ちゃんやろ?」
海人「むぅ~~~!」
平野「むぅ~~~!」
紫耀先輩が俺の真似してほっぺを掴んでくる。
風「もぉ~、そんなに海ちゃんのこといじめんでよ~。私のかわいい海ちゃんなんやから~」
岸「おっと、海人のことあんまりいじめると、舞川ちゃんに怒られるぞ?」
廉「まったくお前は風ちゃんに甘やかされてんなぁ!」
まだ紫耀先輩がほっぺをびよびよして、「もぉ~平野やめなって!」と風ちゃんに怒られていた。
みんないつも俺を赤ちゃん扱いするけど、廉先輩だって1月生まれでそんなに俺と年齢変わらないんだよ?
でも、なんか確かにお兄さんなんだよなぁ。
風ちゃんだって、断然俺とのほうが誕生日近いのに、なんかやっぱり2年生組と一緒にいるときのほうがしっくり来てる感じ。
俺がもし、あと2日早く生まれてたら…。
あの3人と一緒になって、風ちゃんと対等に接することができてたのかなぁ…?
最近風ちゃんはMr.Kingの3人と本当に仲がいい。クラスが一緒だから当たり前だけど。
廉先輩はどこまで本気でどこまで冗談かわからないけど、いつも風ちゃんを口説いていて、風ちゃんも軽くあしらっていて面白い関係性。
紫耀先輩ともけっこう気が合っているみたいだけど、それはただの”友情”って感じ。
たぶん風ちゃんが好きなのは…
風「そっかぁ~、まさか岸くんが年上だったとはねぇ。でも言われてみれば納得。それでリーダー感あるんやね。なんか頼りになるもん!」
”年上”って響きに完全に今までよりもさらに目がハートになってる。
(留年してるって、本来マイナス要素のはずなのに…)
”頼りになる”とか”しっかりしてる”とか、そういうの、女子は弱いよね。俺は断然母性本能くすぐるタイプが好き!って女の子に強いけど、風ちゃんは”引っ張ってってもらいたいタイプ”なんだ。
それ、俺に一番足りない部分…。
あと2日早く生まれてたら…。たったあと2日だったのに…。
でも、誕生日だけの問題じゃないか。俺はきっとあと2日早く生まれてたとしても、きっと同じ俺だ。
最近まで自分のこと「カイね、カイね」とか言っちゃってた甘えん坊の弟だ。
海人「部屋戻って、宿題やろ~っと」
まだ楽しそうにワイワイやっている2年生組を尻目に、立ち上がる。
またいつもの腹痛…じゃなくて胸のところがギューって痛くなる。
風「あれ?海ちゃん、えらいね。めずらし~」
また風ちゃんがお姉さん口調で言う。Mr.Kingの3人としゃべってるときは、どことなく安心しきっているというか、甘えてる感じになってるくせに。
部屋に戻って引き出しを開ける。
”勇気の花”はまだ取ってある。
すっごく久しぶりにその花を入れた缶を開けてみた。
あ…。
花は枯れて、茶色くボロボロになっていた。
当たり前か。もう何年経ってると思ってるんだ。
せっかく大事にとっておいたと思ったのにな。
あんなふうにしとけばよかったのかな。ほら、枯れない花。ブリザーブドフラワーだっけ?
でも、やり方わかんないし。
コンコン。
ドアをノックした音がして、ドアが開いてひょっこりと風ちゃんが顔をのぞかせた。
慌てて引き出しを閉める。
風「海ちゃん、今日は大変やったな。
でもさ、今日の彼女みたいな、ああいう軽はずみな恋愛はもうしないでね。海ちゃんには、ちゃんと心から好きだって思える人と真剣に付き合ってほしい。海ちゃんは私の大切な弟なんだから、幸せな恋愛をして、本当に好きになった人と付き合って、本当に好きになった人と結婚してほしいんよ」
結婚…。大人になったら俺と結婚するの、風ちゃんじゃなかったの?約束したじゃん。
返事をしないで机を見ている俺に、「うん?」といった感じで風ちゃんが顔を覗き込む。
がんばって満面の笑顔を作って、顔を上げる。
海人「うん、わかったよ!風ちゃん!」
風「うん、それならよかった!海ちゃんの笑顔、ほんと癒されるね。みんなが好きになっちゃうのもわかるわぁ」
風ちゃんはそう言って、部屋を出て行った。
好きになるのわかるんなら、好きになってよ…。
他のだれかと幸せな恋愛して結婚することなんか、望まないでよ…。
「大好き」って言ってくれたのに…。
「大人になったら結婚しよーね」って言ってくれたのに…。
あの日、車の窓から渡せなかった。出せなかった勇気。
ずっとしまい込んでいたら、いつの間にか枯れて形を消していた。
俺の中に芽生えてしまったこの気持ちも、ずっと封印していればいつかは色あせて朽ちて消えていくものなの?
そうすれば、この胸の痛みもなくなるの?
いつも自分に自信がなくて、自分の意見を主張することができない。
玉砕するとわかっていて、自分の気持ちをぶつける勇気なんてとてもない。
終わるくらいなら、始まらないほうがいい。
そして、好きな女の子を困らせたくない。
だって、風ちゃんはまたきっと言うでしょ?
「海ちゃんは、弟みたいな存在だよ」って。
だったら俺がこの気持ちを封じ込めればいい。
そして、いつか消えてなくなればいい。
風ちゃんを苦しめることなく、ただ綺麗になくなっていけばいい。
最初からなかったみたいに。
いっそ本当の弟だったらよかったのに。
なんでいとこなんだよ。お姉ちゃん、なんで「いとこは結婚できる」なんて教えたんだよ。
じゃなきゃ、あんな約束しなかったのに。
もし勇気の花を上手にドライフラワーにできていたとして、この引き出しの中でまだ綺麗に咲いていたとしても、きっとこの先ずっと俺はそれを渡すことはできないのだろう。
だったらいっそ、自然に枯れて消えたほうがいいんだ。
”弟みたい”って頭よしよしされる。そんな偽りの幸せの中で、この先もずっと思い続けるより、いっそこの思いを消してしまったほうがいい。
8歳の風ちゃんが無邪気に笑う。
風「海ちゃん、だーいすき!大人になったら結婚しよーね」
少しだけ開いていた引き出しを、コトンと閉めた。
海人「風ちゃんの嘘つき…」
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!