テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
アイドル×一般人 「本日、推しがご来店しました。」 ~d×n~
Side翔太
「……俺の指名、また増えてて。いや、嬉しいけど‥‥」
鏡越しに自分の顔を見ながら、ぼそりと呟く。嬉しいくせに、あえてツンとした言い方でごまかすのはいつものクセだ。
美容師になってまだ数年、スタイリスト歴なんて“ひよっこ”と笑われるくらい浅い。なのに、ここ最近──週末の予約表に俺の名前を指名してくれる客が確実に増えてきた。
「なんかあったんじゃないの?ってくらい、最近多くない?」
カット台に置いたタブレットを軽くタップして予約スケジュールを眺める。空白の少ない午後、連続する“指名・渡辺”の文字。
思わず顔がにやけそうになるのを、慌ててタオルで隠すように顎をぬぐった。ほんと、こういうの、慣れてない。
俺は“人懐っこいタイプ”じゃない。営業スマイルも下手だし、最初の頃はお客さんに話しかけられるだけで挙動不審だった。
でも──技術には、誇りを持ってる。細部にこだわる性格が、カットラインに出るらしくて「丁寧だね」「持ちがいい」って、じわじわリピーターがついてきた。
美容師って、結局“ひとの顔”に直接触れる仕事じゃん。カットの長さひとつで、その人の印象も人生も変わることがある。
簡単に指名されて、簡単に切って、じゃない。“この人じゃないとだめ”って思われたい。そのためなら、睡眠時間削ってでも練習するし、最新トレンドも全部追う。
「……今日の午後の予約『宮舘様』…」
ふと、今日の午後の予約に目を戻す。“紹介・VIP”の文字が添えられた、初めての男性指名客。名前は──宮舘。
どこかで聞いたことがあるような、ないような。
ま、変に意識して失敗したら意味ない。いつも通り、丁寧に、ベストを尽くすだけ。俺は俺のやり方で、勝負する。
―――――――午後の光が、サロンのガラス扉をやわらかく透かしていた。
ドアに取り付けられた小さな鈴が、ちりん、と高く澄んだ音を鳴らす。
それだけで、ふと胸の奥がざわつくのは、なんとなく、感覚が先に察知していたからかもしれない。
「いらっしゃいま──」
振り返って、言葉が一瞬、喉に引っかかった。
扉の向こうから入ってきたのは、背の高い男だった。
品のいいロングコートを纏い、深くツバのあるキャップを目元に落としながらも、隠しきれない整った輪郭と、肌の滑らかさがやたら目を引く。
首筋から肩、胸元にかけてのラインには無駄がなく、佇まいそのものが洗練されていた。
ゆっくりと顔を上げたそのとき──目が合った。
──え、なにこの人。
めっちゃカッコいい人……てか、芸能人みたい。
たった一瞬。なのに、全身の空気が変わる感覚がした。
肌が静電気でも帯びたようにゾワリと震えて、心臓の鼓動が一拍、遅れて跳ねる。
「……ご予約の、宮舘様ですか?」
意識して声を整えたつもりが、ほんの少しだけ掠れていた。
情けない。いつもの自分ならもっと自然に出せるはずなのに。
「はい。」
「本日担当させていただきます。渡辺と申します。よろしくお願いいたします。」
「……よろしくお願いします」
男は、やわらかい声でそう言って、小さく会釈をした。
その所作すら、どこか舞台の上のようで、妙に目が離せなかった。
俺は慌てて表情を整え、カウンセリングシートを取りにカウンターへと向かう。
背中越しに深呼吸。いや、落ち着け、渡辺翔太。お前、何人もモデルカットやってきたし、アイドルの案件だってアシスタント時代に間近で見てたじゃん。
なのに、何この動揺。手、汗かいてるし。
シートを手に戻ると、彼はもう鏡前の椅子に腰をかけていた。
脚を軽く組んで、静かに待っている。サロンの照明がその横顔を照らし、鼻筋の通りの美しさと、睫毛の影までもが計算されたアートのように思えた。
「本日は……カットと、整える程度のスタイリングで大丈夫でしょうか?」
なるべくいつも通り、落ち着いたトーンで話しかける。
目の前の相手が誰であろうと、仕事は仕事。プロとして、ちゃんと“普段通り”を貫かなきゃ。そう思って言葉を続ける。
「髪質すごく綺麗ですね。乾燥しにくそうだし、扱いやすいと思います。全体のフォルムは今の印象を大きく変えずに、少しだけメリハリつけた方が似合いそうなんで……もしよければ、提案させてもらってもいいですか?」
相手は小さく微笑んで──「お願いします」と、優しく頷いた。
その声が、やたらと耳に残った。
なにこれ、今までにない緊張感。
普段通り、って思ってるのに、心拍だけ勝手に先走ってる。
目の前に座っているこの人が、
自分の手で触れていい相手なんだって事実に、
まだちゃんと慣れてない。
だけど──はさみを持った瞬間、
俺はプロだ。震えた指先に、しっかり力を込めて。
今日は“自分が選ばれた”その理由を、ちゃんと仕事で証明するんだ。
シャンプークロスを首に巻くとき、ふわっとした香水の匂いがかすかに鼻をかすめた。
柑橘とウッドが混じったような、清潔で深い香り。きっと服の生地に自然と馴染んでるんだろう。高級感があるのに、どこかあたたかい。
「苦しくないですか?」
「うん、大丈夫。ありがとう」
その声が、すごく柔らかい。
圧のない低音。耳に心地よく響いて、緊張していたはずの自分の肩が少しだけ、ふっと緩むのがわかった。
手早くスプレイヤーで髪を湿らせて、分け目を見ながら丁寧にコームを入れていく。仕事モードに集中しながらも、横顔の表情をチラリと盗み見る。
──たぶん、この人は“優しい”って、言葉がよく似合う人だ。
「今日は、けっこうお仕事忙しかったですか?」
なるべく自然な声色を意識して問いかけると、彼は軽く笑った。
「まあ、ぼちぼち。でも、こういう時間って貴重なんだよね。髪を整えてもらうのって、なんか、リセットされるっていうか」
「……わかります。俺も、実はやってる側なのに、誰かにシャンプーされるのすごく好きで」
「へぇ、そうなんだ。じゃあ、誰かの髪を触るのも好き?」
「好きですね。言葉にすると気持ち悪いかもですけど……人それぞれ違う髪の質とか生えグセとか、なんか、話しかけてくる感じっていうか」
「うん。全然気持ち悪くない。むしろ、いいなって思うよ。そういう感覚」
──え、なにこの人、話しやす。
自然と会話が続いてしまう。言葉を選んでくれてるというより、そもそも“ちゃんと人と向き合うのが好き”な人なんだろう。
話しながらも、舘様はきちんと目を見て頷いてくれる。それだけで、言葉のキャッチボールがずっと楽になる。
「……あ、宮舘さん、ちょっとお聞きしていいですか?」
「うん、なに?」
「もしかして……音楽、やってます?」
質問した自分に驚いた。けど、どうしても気になった。話し方とか、空気のまとい方とか、所作のひとつひとつに“リズム”があって──それがどこか、舞台の上の人のような気がして。
宮舘さんは、ほんの一瞬だけ目を細めてから、優しく微笑んだ。
「うん、まあ、少しだけね」
「あ、やっぱり……なんか、あるんですよ、そういうの。声のトーンとか動き方とか、流れるような感じっていうか」
「すごいね、そういうの分かるんだ」
「……いやいや、勝手な推測ですけど」
なんだこの空気。
お客さん相手にこんなに普通に話せるなんて、俺にしては珍しい。
なのに今は、仕事をしてることすら忘れそうになるくらい、ただ“会話”が楽しい。
「ちなみに、どんなジャンルが好きなんですか?」
「うーん、色々聴くけど……クラシックも好きだし、最近はシティポップとか。あ、でもね、バンドサウンドもいいなって思うことある。重ためのピアノが入ったロックとか、好き」
「うわ、それ分かります。ピアノ入ってるバンドって、すごい表情出ますよね。ギターとかベースとは違う空気感というか」
「そうそう。空気を“泳がせる”感じっていうか」
その表現に、思わず手を止めた。
“泳がせる”。なんか詩人みたいな言い方。たぶん、音楽だけじゃなくて、物事全体を“感覚で捉える人”なんだ。
「渡辺さんは? 好きな音楽とかあるの?」
「あ、えっと……意外かもですけど、実はピアノソロとかよく聴きます。夜、疲れてるときとか、イヤホンで聴くとまじでリセットされるんで」
「へえ、意外。もっとEDMとか好きそうなのに」
「失礼じゃないです?(笑)」
ふたりで小さく笑ったあと、またいつものサロンの音がふわっと戻ってきた気がした。ハサミの音、ドライヤーの風の響き、BGMで流れる控えめなジャズ。
でも、不思議だった。
そのなかで、なんだか自分の鼓動だけが少し浮いてるみたいだった。
ハサミの刃が髪を滑るたびに、かすかな音が空気の中に溶けていく。
リズムよく交差するコームと指先。手のひらで整えるたび、やわらかな髪質が指に馴染んで、自然と集中が深まっていく。
横顔にかかる前髪をそっと持ち上げると、宮舘さん──いや、“舘様”のまつげがふわりと揺れた。整った骨格に沿って毛先を調整しながら、ふとした拍子にまた会話が始まる。
「……なんか、音楽の話してたら、久しぶりにカラオケ行きたくなってきました」
「カラオケ、好きなの?」
「めっちゃ好きです。というか──実は俺、歌うのが好きなんです」
自分でも意外なくらい、素直に口をついて出た。
カット中にこんなこと話すの、初めてかもしれない。
「へえ。そうなんだ。ちょっと意外」
「そう見えないでしょ? こんなクール気取りな顔してますけど……小学生のとき、親の影響で90年代のアイドル曲とか歌いまくってて。気づいたら、人前で歌うのが楽しくなってました」
「いいね、そういうの」
宮舘さんは、鏡越しに小さく微笑んだ。
その表情が、からかいでも驚きでもなくて、ただ純粋に“いいと思う”って言ってくれてるのが、わかる。
「高校生の頃までは、本気で目指してたんですよ。アーティストとか、ステージに立つ側とか。……まあ、現実見えてからは、美容師の道に切り替えましたけど」
「そっか」
「それでもやっぱ、憧れますね。アイドルとかアーティストとか、華やかに見える分、たぶんめちゃくちゃ努力してると思うし。……舞台の上に立つ人って、尊敬します」
ハサミを止めずに、でも想いだけは止まらずに、ぽつぽつと本音が出てくる。
言葉にするたび、胸の奥にまだ残ってる“諦めきれない何か”が小さく疼くのがわかった。
「……渡辺さん、歌ってるときって、どんな気持ち?」
その問いは、思いがけず、まっすぐだった。
「え?」
「いや、さっき“楽しい”って言ってたけど……どういう瞬間が、いちばん好き?」
思わず手が止まりそうになるくらい、いい質問だった。
少し考えて、ゆっくり答えた。
「……声が響いたとき、空気が自分のもので満たされる感じ、っていうか。ちゃんと“届いた”って実感する瞬間が、好きかもしれないです」
「……なるほどね」
宮舘さんは、それ以上多くを語らず、小さく頷いた。
目元がほんのわずかに柔らかくなっていて、それがどこか、懐かしさを含んだ表情に見えた。
(もしかして──この人も、ステージに立ったことある人なのかな)
一瞬、そんな考えがよぎったけれど、それ以上は詮索しなかった。
彼が何者であろうと、この時間、この空間、この鏡の前で過ごす数十分は、ただの“客と美容師”としてのものだ。
「……あ、でも、アイドルの振付とかダンスとかは無理です。鏡の前で自分が踊ってる姿見ると、自滅するタイプです」
思わず笑って言うと、宮舘さんがくすっと小さく笑った。
「いや、俺も昔はそうだったかも」
「え、ほんとですか?」
「うん。最初は自分の動きが気持ち悪くて、鏡見て落ち込んでた」
「それ、なんか……ちょっと安心しました(笑)」
ふたりで笑い合った、その一瞬。
目と目が合って、ふと、言葉のない空気が流れる。
そのなかで、なぜか翔太は確信した。
──この人、きっとほんとに“あっち側”の人なんだ。
それでも、正体は何も明かさず、ただ静かに「そうなんだ」って、聞いてくれるだけ。
それがなんだか、すごくあたたかくて、嬉しかった。
―――最後の毛束にハサミを入れた瞬間、心の中で小さく息をついた。
コームで毛流れを整え、ドライヤーで軽く熱を加える。
サロンの天井から落ちる光が、鏡越しに髪の艶を際立たせた。
「……整いました」
そう言って、ひとつ深呼吸をしてからクロスを外す。
静かに立ち上がって、鏡の前に立つ舘様に、仕上がった姿を見せた。
彼は、数秒間、じっと自分の姿を見つめていた。
その横顔は真剣で、どこか祈るような静けさがあった。
やがて──ふっと目元がゆるみ、口元に微笑が浮かぶ。
「……すごいね。こんなにしっくりくるの、久しぶりかも」
その一言に、胸の奥がふわりと熱を帯びた。
「ほんとですか?」
「うん。全体のバランスも、毛先の動きも。あと……この前髪、ちょっと軽めにしたのも、いい。目元が明るく見える」
舘様は、まるで舞台の本番を終えたあとの役者みたいな、静かな充足感を纏っていた。
そして何より、鏡を見ながら何度も髪に触れて、その仕上がりを確かめる様子が、どこか少年のようだった。
俺はというと、プロとして“当然”のような顔をしながら、内心ではもう全力でガッツポーズを決めていた。
──よし。やった。
「似合うと思ったんですよ。顔立ちが綺麗なんで、思い切って輪郭を少しだけ強調するバランスにしてみました」
「ありがとう、渡辺さん」
その声に名前を呼ばれた瞬間、ほんの少しだけ、胸の奥で何かが弾けた。
舘様が立ち上がり、コートに袖を通しながら出口の方へ向かう。
俺はいつも通り、エントランスまで並んで歩いた。
今日の客としての時間が終わることに、なぜか名残惜しさを感じてしまうのが自分でも不思議だった。
ガラス扉の前で、彼がふと振り返った。
「また来るよ」
たったそれだけの言葉だった。
でも、飾り気のないその一言が、嘘じゃないってわかった。
「──……はい、ぜひ」
本当は、もっと嬉しい気持ちを伝えたかった。
でも言葉にすればするほど、軽くなってしまいそうで。だから、いつもより少しだけ深く頭を下げて、想いを込めた。
扉が開いて、鈴の音がちりんと鳴る。
外の光に溶けるように、舘様の姿が見えなくなるまで見送って、ようやく深く息を吐いた。
心臓が、まだ少しだけうるさい。
“また来るよ”。
たった一言が、こんなにも心に残るなんて。
この街のどこかで、今日、自分の手がひとつの印象を変えたんだ。
そう思えることが、美容師として、何よりの誇りだった。
だけど、それ以上に。
あの人の「また」が本当に来る日を、もう数センチ先の未来で、心が待ち始めているのを感じていた。
続きはnoteで作者名『木結』(雪だるまのアイコン)で検索して下さい。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!