テラーノベル
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第九十三話 消された記録
病院へ向かう道の途中、
二人はほとんど話さなかった。
少年の頭の中には、何度も同じ言葉が浮かんでいた。
『なぜ忘れたのか』
事故の衝撃だけではない。
そのことは、ずっと前から分かっていた。
けれど、今まではその先へ進むことができなかった。
「……病院に行ったら、全部分かるのかな」
彼女が小さく尋ねる。
少年は少し考えてから答えた。
「分からない」
「うん」
「でも、何かは残ってると思う」
二人は病院に着くと、
以前見せてもらった古い記録の場所へ向かった。
受付で事情を説明し、過去の資料を確認する。
しばらくして、古いファイルが出てきた。
事故直後の記録。
面会者の記録。
そして、以前見つけた一文。
『本人には、まだ伝えない。』
少年はその文字を見つめた。
「……やっぱりある」
彼女が隣から覗き込む。
「この記録、誰が書いたのか分かる?」
少年は紙をめくった。
担当者の名前。
日付。
時間。
けれど、肝心の面会者の欄だけが空白になっている。
「……変だ」
「何が?」
「この日、面会者がいたって記録はあるのに、名前がない」
彼女も気づいた。
「前に見た写真では、誰かが病室にいたよね」
「うん」
少年は次のページをめくった。
そこには、さらに短い記録があった。
『本人、面会中に混乱あり。』
その下。
『特定の人物について質問するも、回答せず。』
少年の指が止まった。
「特定の人物……」
「誰のこと?」
「分からない」
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381
けれど、胸の奥がざわつく。
さらにページをめくる。
『本人より「誰かが来ていた」との発言。』
その下には、赤い線が引かれていた。
『記憶が戻るまで、本人への説明は保留。』
「……」
少年は黙った。
「説明って……何を?」
彼女の問いに、少年は答えられない。
そのとき、ファイルの間から一枚の紙が落ちた。
二人で拾う。
正式な記録ではない。
手書きだった。
『記憶を消す必要はない。』
その一文に、少年は目を見開いた。
「……え?」
彼女も読む。
その下には、
『ただし、思い出す順番を間違えると、同じことが起こる。』
と書かれていた。
「同じことって……?」
少年は紙を握った。
「分からない」
その瞬間。
頭の中に、病室の光景が浮かんだ。
白い天井。
窓。
ベッド。
そして、自分の横に座っている誰か。
顔は見えない。
けれど、その人が何かを話している。
『全部、忘れていいよ』
「……!」
少年は目を閉じた。
違う。
これは、以前にも思い出した言葉だ。
『忘れてもいいよ』
でも、続きがあった。
『ただ――』
そこで途切れる。
「ただ……何?」
彼女の声が聞こえる。
少年は必死に記憶を追った。
『ただ、あの約束だけは……』
――そこで、別の声。
『今は言わないで』
少年は目を開いた。
「……二人いた」
「え?」
「病室に、二人いたんだ」
彼女が驚く。
「青いリボンの人と?」
「分からない。でも……一人じゃない」
少年は手書きの紙を見る。
そして、あることに気づいた。
紙の端に、あの印がある。
丸い記号。
「これ……」
「また同じ印」
「うん」
その横に、小さな文字が書かれていた。
『二人目は、本人が思い出してから。』
少年は息を呑んだ。
「二人目……」
「じゃあ、一人目は?」
少年はゆっくり顔を上げた。
「たぶん……俺が守ろうとした人」
そして二人目。
事故の日に自分を呼んだ声。
病院にもいた誰か。
そして、
今も知らない番号から連絡を送ってくる人物。
すべてが一本につながりそうになっていた。
そのとき、
受付の奥から職員が一枚の追加資料を持ってきた。
「こちらも一緒に保管されていたようです」
少年が受け取る。
封筒だった。
宛名はない。
裏には、あの印。
封筒を開くと、中には一枚の写真。
病室の外。
廊下に立つ二人の人物。
一人は、青いリボンを身につけている。
もう一人は――
顔が見えない。
けれど、その人物の手には、
見覚えのある小さな箱があった。
少年の呼吸が止まる。
「……この人」
「知ってるの?」
「分からない」
それでも、手が震えていた。
写真の裏には、一言だけ。
『この人が、君に忘れさせたのではない。』
少年は文字を読む。
その下に、もう一行。
『君自身が、忘れることを選んだ。』
二人は、言葉を失った。
事故のせいでもない。
誰かに記憶を奪われたわけでもない。
もしこの記録が本当なら――
あの日、自分自身が何かを忘れることを選んだ。
そして、その理由だけが。
まだ、思い出せない。
コメント
1件
読ませていただきました……! 「自分が忘れることを選んだ」という一文、すごく響きました。これまで事故のせいだと思っていたことが、本人の意思だったかもしれないって、真相が一気に深くなる展開ですね。それに、病室に二人いたという新事実と、「同じことが起こる」という警告も気になりすぎます……! この話の不気味でありながら優しい空気感、クラリスさんの筆致が本当に素敵です。続きが待ち遠しいです🌸