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伊織
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横領事件は、侍女長の拘束だけでは終わらなかった。
取り調べが進み、彼女の配下だった侍女数名と、財務部の一部職員も共犯として拘束された。
そして取り調べの最中、侍女長はたった一つだけ名を口にしたという。
「……ヴァルド商会」
それきり、何を聞かれても固く口を閉ざした。
だが――。
翌朝。地下牢の独房で、その身体は冷たくなっていた。
死因は、即効性の猛毒。
厳重な警備をすり抜け、誰が、どうやって毒を持ち込んだのか――いまだ分かっていない。
(……どう考えても、口封じよね)
(そこまでして、隠したいものがあるってこと……?)
騎士団はすぐさま、ヴァルド商会の調査に乗り出した。
名義人は、多額の賭博の借金を抱えた下級貴族。拘束して問い詰めても、
「俺は名前を売っただけだ!」と繰り返すばかりだった。
実際に商会を運営していたのは別の男。
しかも、その名前すら偽名だった。
幸い、1000万ルクのうち、500万ルクは差し押さえることができた。だが、残る金は、実体のほとんどない複数の商会を経由していた。
(わざと何社も挟んで、お金の流れを隠してる……?)
けれど、肝心の行き先までは掴めない。
そして、さらに古い帳簿を遡ったことで――もっと恐ろしい事実が判明した。
今回の横領は、氷山の一角にすぎなかったのだ。
同じような架空発注や水増し請求が、次々と見つかった。
少なくとも――10年以上前から。
被害総額は、現在も調査中だ。
***
事件が明るみに出てから、数日後。
「お嬢様。ヴァンクロフト公爵様からお手紙ですよー!」
「……また?」
アンナから封書を受け取り、中身を開く。
『お前は一体、何をしている。皇太子妃になったからといって、分をわきまえぬ振る舞いは許さん』
『皇宮の政務に深入りし、余計な騒ぎを起こすな。お前の役目はただ一つ。皇太子殿下を支え、一日も早く世継ぎをもうけることだ。これ以上、私を失望させるな』
「…………」
ビリリッ!
「また破ったー!?」
「何よ! 今度は子どもだけじゃなくて、仕事にまで口出し!?」
手紙をグシャグシャに丸め、屑籠へ放り投げる。
「ほんっと、いちいちうるさいんだから!」
「……公爵様。今回のことをもうご存じなんですね?」
「…………」
言われてみれば。
(……ずいぶん耳が早いわね)
事件が明るみに出たのは、ほんの数日前だ。
(まあ、帝国でも指折りの公爵家だもの。皇宮内に情報網くらいあるわよね……)
黒幕へ繋がる決定的な手掛かりも、長年消えていた金の行方も掴めないまま――一か月が過ぎた。
***
複式簿記を基礎にした新しい会計制度の導入で、皇宮内はてんてこ舞いだった。
カイル殿下は、皇帝陛下の政務補佐に加え、横領事件の後処理。
私は、帳簿の記入方法をまとめた『会計手引書』の作成と、各部署への指導に追われていた。顔を合わせても――。
「財務部から、記入漏れの確認が届いている」
「こちらは監査部門へ回してくださいませ」
――仕事。
「この決裁書に署名をお願いいたしますわ」
「ああ」
――また仕事。
(夫婦らしい会話をする余裕なんて、1ミリも存在しないんですけど!?)
それでも、新しい会計制度はようやく軌道に乗り始めていた。
***
その夜。騎士団の夜間訓練と執務を終えたカイルは、ソフィアの執務室を訪れた。
「……ソフィア」
声を掛けようとして、ピタリと足を止める。執務室のソファの上。
ソフィアはドレスのまま横たわり、すやすやと寝息を立てていた。机の上には、うず高く積まれた書類の山。
その横には、インクも乾ききっていない、書きかけの会計手引書が置かれている。
窓から差し込む青白い月明かりに照らされた横顔は、いつになく無防備だった。
「…………」
カイルは音を立てずに歩み寄り、ソファの隣へ静かに腰を下ろした。
額にかかった柔らかな髪を指先でそっと払い、その毛先へ、壊れ物に触れるように優しく唇を落とす。
「お前はきっと……この国を共に背負える、最高の伴侶だ」
返事はない。
「昼間のお前は、爪を立てる猫のようだが……」
カイルは愛おしそうに目を細めた。
「……今はただ、こうしてお前のそばにいたい」
――まさに、その時だった。
「フガッ……!!」
静寂をぶち破り、豪快なイビキが部屋に響いた。
「……スピー……グー……」
さらに。
「……3000万……」
「……?」
「予算……絶対に……もぎ取る……ムニャ……」
カイルは、しばらくその寝顔を見つめた。
(寝顔は、こんなにも愛らしいのに……)
(言っていることが物騒すぎるぞ?)
思わず苦笑し、彼女の肩へふかふかの毛布を掛け直す。もう一度だけ、名残惜しそうにその寝顔を見つめ――。部屋を後にした。
***
その晩。私は、不思議な夢を見た。
見渡す限り、真っ白な花が咲き乱れる庭園。
その中央に――。私とまったく同じ顔をした、儚げな女性。本来のソフィアが立っていた。
「……ありがとう」
「え……?」
彼女が優しく微笑んだ、その瞬間。
知らないはずの記憶が、濁流となって頭の中へ雪崩れ込んできた。
(……っ!?)
ドレスの内側に仕込まれた、無数の鋭い針。
冷め切ったスープに沈む、細かなガラス片。
すれ違いざまに浴びせられる、嘲笑と蔑み。
廊下で突き飛ばされても――誰一人、手を差し伸べてくれない。
冷笑を浮かべる使用人たちの中に、見覚えのある顔があった。
(この人たち……!)
今回の横領事件で拘束された、侍女長と侍女たち。
前世でプレイした乙女ゲームでは、たった一文。
『使用人たちからも嫌われ、完全に孤立していた悪役令嬢』
それだけで片付けられていた。けれど――。
(こんなの……ただ『嫌われていた』なんて、生易しいレベルじゃないじゃない……!)
私が知っていたのは、ゲームで描かれた表面的なシナリオだけ。本来のソフィアは、この悪意に満ちた皇宮で――。ずっと、たった一人で耐え続けていたのだ。
「私の心は、今――やっと救われたわ」
彼女の輪郭が、淡い光へ溶けていく。やがて、その姿は無数の白い花びらとなり――。ふわりと空へ舞い上がった。
(……ええ)
(任せておきなさい)
(あなたの分まで図太く生きて、最高の幸せを掴み取ってみせるから!)
コメント
1件
うわぁ第27話、めっちゃ重くて深くて泣ける…😭💔 侍女長の毒殺で一気にシリアス度上がったね…!「口封じ」とか「ヴァルド商会」ってだけで黒幕の影がヒシヒシと…💦 でもそこからソフィアがガッツリ会計改革に乗り出してて、仕事できる女強すぎて惚れるわ…✨ で、極めつけはカイルの夜の執務室シーン!!「今はただ、こうしてお前のそばにいたい」って…っっっ!! その直後の「予算…絶対にもぎ取る…ムニャ」のギャップで草ww 笑いとキュンを同時に持ってかれた🤣💕 そして最後の本来のソフィアの記憶…「使用人から嫌われてた」じゃ済まないレベルの地獄やったんやな…涙 でも「あなたの分まで図太く生きる」って決意に胸熱すぎる🔥🔥 ソフィアの成長と覚悟が最高にエモい回でした!!