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グランド脇でスパイクを履き、練習着に着替えた魔王。あらためて部員達を見回した。
シュート練習だ。
二人一組でパスを繋ぎながらゴールに向かい、どちらかがシュートをする。一年生から三年生までの総勢四〇名弱が同じ練習をしていた。
ゴール隅に突き刺さるシュートを放つ者もいれば、ゴールキーパーの真正面へ打ち損じる者もいる。
魔王は生ぬるさを感じた。
ボールに威力がない。
ちょうど早坂がシュートした。ボスっと間の抜けた音とともに「あーっ」と彼の腑抜けた声が聞こえた。ボールはゴールバーの遥か上をヒョローっとすっ飛んでいく。何人かの部員がゲラゲラと笑った。
弛緩した空気が漂う。
緩みは弱み。軍の士気劣化と敗北に繋がりかねない。
魔界にいた頃、軍の視察をしていた魔王は、たるんだ雰囲気を醸しだしていた魔物達を処刑した。手遅れになる前の見せしめだ。
「もう一回お願いっ。イクまでお願いっ」
なよなよっとした声で早坂が再度のシュートを希望する。誰かが早坂に「さっさとイッちまえ」とグラウンダーの速いパスを蹴った。
ボスッ
「あーっ」
我慢の沸点を超えた魔王は、右手を胸もとの高さまであげていた。幾多の命を奪った炎系打撃呪文を唱え――られなかった。魔力が不足している。指先に、ぽっ、とライターの火みたいなものが灯った程度だ。
ちっ。
魔王は大地を削らん勢いで駆けだした。
「パスっ!」
呆気にとられた表情で魔王のダッシュを見る部員達。しかし、キャプテンの藤堂が反応してくれた。魔王に向けてパスを蹴る。
ぐーんと伸びるボールは足で合わせるには高い軌道を描いていた。頭で合わせるヘディングシュートが常道だろう。それでも、ボールのスピードが速い。合わせること自体が至難のパスだった。
魔王は跳んだ。
魔界ならば『跳ぶ』どころか空を『飛ぶ』ことさえ可能だった。本気の跳躍をすれば、ヒューマンになったとはいえ校舎を一跨ぎぐらいはお手の物だ。
実際、マジ跳び寸前のところで自分がヒューマンに転生していたことを魔王は思い出した。まだ身バレは、したくない。
ゆえに抑えたジャンプを披露する。それでも充分に高い。
魔王はくるりと身体を捻った。
脳裏にはイメージが描かれていた。事前学習の動画や、『キャプツバ』と略されているサッカーマンガで見た動き。
オーバーヘッドキック。
宙で無重力を実演するように、魔王が頭を下、足を上の、逆さまの姿勢でボールをキック。夕陽の残滓が魔王のスパイクを輝かせた。
バスッ、とゴールネットにボールが突き刺さる。
常人ならば背中から地面に落ちるところを、魔王は身体を捻って両足で着地する。猫のようなバランス感覚だ。
部員達が歓声をあげて魔王のもとへ駆けてくる。
「うをおおおおっ! スゲーよおまえ!」
「翼君以外でオーバーヘッドなんて初めて見たよ。あ、おまえも同じ苗字『大空』か」
やんややんやと部員達は騒ぎ、練習中断は二〇分近くに及んだ。
「入院中に何してたの?」と聞かれるも、魔王は「別に」と顔をプイと背けた。
途中、部室で遭遇したロリ顔栗色髪が、人さし指どうしをツンツンさせながら部員達の輪に加わる。
彼女は碧人が入院中にサッカー部に入ったマネージャーで、名を古手川マミと言うそうだ。
古手川マミ。魔王よりも三歳上の三年生。すなわち、一年留年している一九歳だ。
魔王はあっという間に彼女に関する情報を部員から集めた。スパイ並みの技能で。
彼女の趣味はお人形遊び。性格は大人しく、主張しない性格。住所は学校から徒歩五分の戸建て住宅で一人暮らし。いつも指どうしをツンツンくっつけ合うのが癖。妖精が見えるとのたまう不思議ちゃん。
練習が再開されると、キャプテンの藤堂が「碧人が超人になったから、俺達の目標は全国だ!」なんて言いだした。
部員達は浮かれ気分でボールを蹴る。キャプテン藤堂の『いざ全国!』発言に気持ちが昂っているのだ。
汚れた衣服を洗濯しにマミりんがグランドを離れ、オスどもはきゃいきゃいとボールを蹴る。
――と、いきなり、空気がピリリとした。
猥談に花を咲かせて練習していた早坂の表情が一転する。
「キボコー、ファイッ!」
こめかみに青筋を立てて叫ぶ早坂。ちなみにキボコーは、希望ヶ丘高校の略称である。
「オウッ!」
勇ましい応答が部員達から返ってくる。先ほどのきゃいきゃいは消し飛んでいた。
ボールを蹴る音がビシビシと鋭い音に変化していた。
「小汚い豚ども、結構。結構」
魔王の背後からハスキー声が聞こえた。
振り返った魔王が視界に収めたのは、黒のタイトスーツに身を包んだ若い女性だ。
「集合!」
キャプテン藤堂がはきとした声で号令をかける。
ざざざっと土煙をあげながら一斉に部員達が女性の前に並んだ。皆、背筋を目一杯伸ばしている。
「碧人が帰ってきたのね」
女性が魔王に話しかけた。どこか慈愛に満ちた顔つき。聖母と呼ばれるメスは、このような眼差しでオスを安心させることを、魔王は学習済みである。
「はい」と魔王は無難に返事をする。少し大きめに声をだした。張り詰めた緊張感からして、このメスは上級士官レベルだと、魔王はいち早く判断した。
それにしても眼前の女性はヒューマン離れした美しい顔面を持っている。
肌の露出部分が広く、短いスカートからはナマ足がすらりと伸びている。
早坂がごくりと唾を飲み込んだ。
彼女の背中まである黒髪が、さらさらと風でなびいた。
それを合図にしたように、腕で腕を抱く女教師ポーズを解いた彼女がハンドバックの中から漆黒のムチを取り出した。
(へ?)
呆気にとられる魔王を除き、その場で部員達が凍りつく。
ひゅん。女性がしならせたムチが地面を叩く。鋭い弾音。攻撃魔法が大地に着弾した時のような土煙が上がる。
女性の目つきががらりと変わった。剣呑そのもの。
「この腐れ豚野郎どもがああああっ! 誰が球遊びやれって許可したのぉおおおっ! きゃいきゃいやってんじゃないの!」
ビシっ。再び大地の砂粒が爆ぜた。
部員達はかしずくように片膝立ちの姿勢を一斉にとった。頭を下げ、顔を俯かせる。
少し遅れたタイミングで魔王もならった。この上ない屈辱だが、身バレを回避するためにはしかたがない。
「あら碧人……ちょっとたるんでるんじゃない?」
魔王の足もとすれすれのところにムチが振り下ろされた。
魔王は平然とした態度を崩さない。対して、早坂がブルブルと震えだした。ブルブルが連鎖し、周囲の部員達も身体を戦慄かせる。
魔王がゆっくりと顔を上げようとした時、
「申し訳ございません!」
キャプテン藤堂が従順な言葉づかいで一歩前に進み出る。
この殺伐とした雰囲気……魔王は好きである。ただし、魔王が配下を従える状況に限った話であるが。自分がやられる立場に回るのは憤懣やるかたない。
「碧人は今日が復帰日です。ぬけたところがある奴ですので、どうか大目に見ていただけると幸甚です!」
キャプテン藤堂が述べる人物評は大空碧人のものであって、魔王のものではない。
分かってはいるが、魔王は自分が『ぬけている奴』と評された気がした。思わずハスキーヴォイスをねめつける。
ぷつぷつっと魔王の腕に鳥肌が立った。魔王は内心で自分の体の反応に驚くも、表情にはおくびにも出さない。
視線が交わる。
「ほお」
魔王から目を逸らさずに彼女が嗜虐的に笑った。笑い声もハスキーヴォイスだ。
「碧人」
一度言葉を切った彼女が、感心したように頷いた。
「肝がすわるようになったじゃない。気に入ったわ……だから、今日はあなたじゃなく藤堂で我慢してあげる」
更なる緊迫感が生まれた。
名指しされたキャプテン藤堂は立て膝を震わせ「ありがとうございます!」と裏返った声で絶叫する。
彼女の足もとまで膝歩きで歩み寄るキャプテン藤堂。正座の姿勢で、両腕を背中で組んだ。上体を屈める。
直後、ムチがしなった。
「ああっ!」
キャプテン藤堂が悲痛の声をあげる。
「ああっ、ああっ、……ああっ」
ムチ打ちされる度に声をあげるキャプテン藤堂。だが、苦悶に歪む顔にじわりと恍惚の色が灯りだした。それは、彼女も同様で、回数を重ねるにつれ「うふふふふ」と笑みが濃くなっていく。
魔王は唸った。
ムチ打ちは、魔界では軽めの罰ではあるが、懲罰であることに変わりはない。甘んじて受けるムチに、嬉しそうにもっともっとぉとなることが俄かには信じられなかった。
明らかに、今、キャプテン藤堂はもっともっとぉ状態だ。
その後、彼女はなにくわぬ顔でサッカー部の練習を再開させた。
一年生から三年生をごちゃ混ぜにして二チームをつくり、試合形式で戦う。いわゆる紅白戦。
ムチ打ちを受けズタボロになったキャプテン藤堂。しかし、キレッキレの動きを見せ、本日の得点王となった。彼女から頭を撫でられていた。
部員のうち一人がポロリと零す。
「いいなあ。俺も次こそは」
……なるほど。魔王は納得した。
配下を手なずける方法が独創的だ。どうやら『調教』とも言われるらしい。
「毎度釘を刺しておくけど、他言無用よ」
部員を見渡した彼女は、最後に魔王で視線を止めた。それはコンマ数秒のことなのに、じっくりと反応を観察されたように魔王は感じた。
グランドから去っていく彼女の背中を見つめながら、魔王は早坂に尋ねる。
「あいつは誰だ?」
「は? おまえ頭打った? 監督代理の美神さんだろ」
「美神……侮れぬ奴よ」
マミりんが指先をツンツンさせながら一時間に及ぶ洗濯から戻ってくるまでに、魔王は美神についての情報をあらかた収集した。
美神美玲――メス。独身。二五歳。
大空碧人の入院中に、原因不明の高熱と大量の抜け毛で苦しんだ前監督・磯野波兵衛が、死の直前に招へいした美人サッカーコーチ。(磯野監督の死後、監督代理となった)
人間離れしたカリスマ性を有し、部員を絶対的な支配下に置いている。
なお、美神監督代理の就任後、キボコーサッカー部は絶好調で、高校総体グループリーグAで上位に位置している。ムチ打ちについては部員のみの秘匿事項として何故か外部には漏れていない。
だそうだ。