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夏の弾けるラムネ瓶 君に溶けた恋と夏
夜桜 美彩/Mia Yosakura
夏の終わりの気配が混じる、強い西日が旧校舎の廊下に差し込んでいた。
「……ねえ、これ、どうやったら開くの?」
その声の主は、学年一の才女と呼ばれ、氷のような冷徹さで知られる学級委員、雫(しずく)だった。いつもは完璧に整えられている彼女の黒髪が、今は湿り気を帯びて首筋に張り付いている。
放課後の旧校舎。美術部員の陽太(ひなた)は、サボり場所を見つけたつもりが、とんでもない現場に居合わせてしまったらしい。
「ラムネ? 雫がそんなもん持ってるなんて珍しいな」
「……うるさい。自販機でボタンを押し間違えただけ」
嘘だ。この旧校舎の裏にあるのは、たまにボタンがバグることで有名な、化石のような自販機。彼女はあえて、それを選んで買ったはずだ。
「貸せよ。コツがあるんだ」
陽太は瓶を奪うと、プラスチックの蓋を剥き、青い玉を掌の付け根で勢いよく叩いた。
──パシュッ!
弾ける音と共に、透明な飛沫が二人の間に舞った。
「わっ、冷たい!」
「あはは! ほら、開いたぞ」
陽太から瓶を受け取った雫は、恐る恐るそれを口に運ぶ。喉が小さく鳴り、彼女の瞳が驚いたように丸くなった。
「……痛い。でも、甘い」
「炭酸だろ? 夏はこれが一番なんだよ」
雫は瓶を太陽にかざした。中ではビー玉が、閉じ込められた空気のようにキラキラと揺れている。
「ねえ、陽太くん。このビー玉って、どうして取り出せないのかな」
「さあな。壊さない限り、一生そこが居場所なんだろ」
雫の表情が一瞬、翳った。
「……私も、この瓶の中のビー玉みたい。決まった道しか歩けない」
彼女の親が厳しいことは、噂で聞いていた。陽太は少しだけ、彼女が抱えている重荷に触れた気がした。
「じゃあ、この夏休みの間だけ、俺がその瓶を割ってやるよ」
「えっ?」
「放課後、ここで待ち合わせ。俺がラムネを持ってきてやる。君の知らない『外』の話を教えてやるから」
それが、二人の秘密の始まりだった。
夏休み。ひび割れたアスファルトの匂いと、終わりなき蝉時雨。
約束通り、二人は毎日のように旧校舎で会った。
陽太は、雫に「サボり」を教えた。
屋上で食べるぬるいアイス。美術室の隅で、二人でこっそり聴いた音楽。
雫は、ラムネを飲むたびに、少しずつ「氷の美少女」の仮面を脱ぎ捨て、普通の女の子のような、弾ける笑顔を見せるようになった。
「ねえ、陽太くん。ラムネの味って、恋に似てるって本当かな」
「……誰がそんなこと言ったんだよ」
「本に書いてあったの。最初は刺激的で、最後はちょっとだけ、切なくなるって」
そう言って笑う彼女の横顔を、陽太は心に焼き付けるように見つめた。
恋に似ている、なんて。
それなら、俺の心の中は今、炭酸が溢れて止まらない。
だが、楽しい時間は、ラムネの泡のように消えやすい。
八月の終わり、雫が東京へ転校することが決まった。彼女の意志ではなく、親の決定だった。
夏祭りの夜。
浴衣姿の雫は、今にも消えてしまいそうなほど美しかった。
「陽太くん、私……」
「言うな。わかってる」
陽太は、彼女にラムネを渡した。今日が、二人で飲む最後の瓶。
人混みを避け、静かな神社の裏手に座り込む。
「私、怖いの。またあの瓶の中に戻るのが」
雫の目に、涙が溜まる。
「陽太くんが割ってくれるって言ったとき、本当に嬉しかった。でも、やっぱり、私は……」
陽太は、雫の手からラムネ瓶を奪い取り、コンクリートの地面に叩きつけようとした。
「あ……!」
雫が声を上げるが、陽太の手は止まる。
「……本当は、壊したくないんだ。君とのこの思い出ごと、消えてしまいそうで」
陽太は瓶を強く握りしめた。
「雫、行けよ。東京でもどこでも。でも、忘れるな」
陽太は彼女の瞳を真っ直ぐに見つめた。
「君の心はもう、瓶の中のビー玉じゃない。俺が、その栓を叩き落としたんだから」
雫の目から、大粒の涙が零れ落ちる。
「……最低。私のこと、こんなにめちゃくちゃにして」
彼女は笑いながら泣き、陽太の胸に顔を埋めた。
ラムネの甘い香りが、夜風に溶けていく。
二人の想いは、言葉にする前に、夏の暑さの中に溶け出していた。
数年後。
陽太は、大学のキャンパスで一通の荷物を受け取った。
差出人は、懐かしい名前。
箱の中には、ひび割れた、でも綺麗なままの透明なビー玉。
そして、短い手紙。
『あの夏、あなたが私の瓶を割ってくれたから、私は自分の足で歩けるようになったよ。
今は、自由な空の下にいます。
ねえ、覚えている? あのラムネの味。
私は今でも、あの日、君に溶けた恋の味を覚えています』
陽太は、ビー玉を空にかざした。
透き通った青の向こうに、あの日の旧校舎と、炭酸のように弾ける彼女の笑顔が見えた気がした。
「……ああ。俺も、忘れてないよ」
陽太は新しいラムネを手に取り、勢いよく栓を叩いた。
シュワリ、と。
また、新しい夏が始まる音がした。
コメント
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す ご く キ ュ ン キ ュ ン し ち ゃ い ま し た … ! と っ て も 素 敵 な お 話 で す ね ✨️
初投稿という事で読み切りにさせて頂きました🍀* ゚ いいね・コメントよろしくお願いします⸜🙌🏻⸝