テラーノベル
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第11章 名前のない約束
「ちょっと待ってよ」
息を切らしながら声を上げると、前を歩いていた照が振り返った。
春の光を背に受けて、眩しそうに目を細めている。
「もうバテたの?」
「バテてない……ちょっと、慣れてないだけ」
言い訳みたいに返すと、照は小さく笑って、少しだけ歩幅を緩めた。
山道は思っていたよりも柔らかくて、
踏みしめるたびに、湿った土の匂いが立ち上る。
雪解け水が細く流れて、光を反射していた。
「ほら」
差し出された手に、自分から指を絡めた。
冷たいと思っていた指先は、
春の空気の中で、ほんの少しだけ温かかった。
「転ぶぞ」
「子供じゃないんだけど」
そう言いながらも、離す気はなかった。
繋いだ手の温もりが、どこか現実じゃないみたいで、少しだけ、強く握り返した。
こんな場所に来るなんて、少し前の自分なら考えられなかった。
山の麓に店を構えておきながら、外に出るのは、どこか苦手で。
湿った空気の中で、同じ景色だけを見ている方が、ずっと楽だった。
ここで、静かに暮らしていくんだと、そう思っていた場所。
〝世界変わるから〟
なんてキラキラと、少年のような眼差しを寄せた君に、騙されたつもりで、二つ返事で連れられて、渋々と店の外に踏み出した。
………あんな顔、されたら、断れるわけがなかった。
隣に居たいと思った。
――それだけでいいはずなのに、どうしてか、それ以上を望んでいる自分がいた。
「……着いた」
照の声に顔を上げると、視界が一気に開けた。
さっきまでの木々が嘘みたいに途切れて、空が、近い。
まだ少しだけ残った雪が、陽の光を受けて、静かに溶けている。
冷たい風の中に、確かに春の匂いが混ざっていた。
「ほら」
隣に立った照が、当たり前みたいに肩に触れる。
その距離が、もう自然になっていることに、少しだけ驚いた。
「……すご」
思わず漏れた声に、照が小さく笑う。
綺麗な岩場を見つけてリュックを下ろす。
恐る恐る、足を踏み出して、そのまま、頂に立つ。
足元がふわりと浮いたみたいで、思わず息を呑んだ。
一歩踏み外せば、そのまま落ちていきそうで。
自分の小ささを、思い知らされた。
そこは風が強くて、足を目一杯踏ん張って遠くの空を見た。
吸い込まれそうなほどの高さに、恐怖で足が竦んで、思わず、繋いだ手に力が入った。
「……怖い?」
からかうみたいに聞かれて、悔しくて、何も言えなかった。
代わりに、繋いでいた手を引いて、照の腕にしがみつく。
「うわ、なに急に」
笑っているくせに、離そうとはしなかった。
「……落ちそう」
「落とさないって」
そう言って肩を抱き寄せられる。
「そんなにくっつく?」
からかうみたいに笑われて、
悔しくて眉を寄せた。
「……だって怖いし」
「ふはっ、やっぱりアマエッティ」
「だからなんだよ、何それ」
「甘えん坊の妖精」
「意味わかんない」
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そう言って、肩を抱き寄せられる。
強く吹いた風が、二人の間を通り抜けていく。
それなのに、胸の音の方が、ずっと大きかった。
照の服に額を押しつけたまま、しばらく、その温もりに甘えていた。
ふと、頭上からの気配が消えた気がして、顔を上げる。
照が、じっと俺を見ていた。
――いや、
俺じゃない、どこかを。
次の瞬間、顎を軽く掴まれて、唇が重なった。
優しいはずなのに、どこか、確かめるみたいなキスだった。
――まるで、誰かを重ねているみたいに。
右上の唇を、なぞるように触れられて、胸の奥に、何かが、引っかかった。
「……どうした?」
何でもないみたいに言う照に、
少しだけ、引っかかりながらも、
「なんでもない」
そう言った自分の声が、少しだけ、頼りなかった。
「次はもっと早くに登ろう。一緒に朝日を見よう」
一言で世界が変わるくらい、ぱっと花開いたように……
「うん!」
その声に自分が一番驚いた。
一緒に居られることより、次の約束がある事が嬉しかった。
――終わらない理由を、もらえた気がした。
思ったよりも大きな声で、子供みたいに返事をしてしまって、恥ずかしかった。視線を逸らしたまま、繋いだ手だけ、離せなかった。
「何?可愛いんだけど」
「……うるさい」
そう言いながら、
照の腕に、軽く額を押しつけた。
照 side
「……うるさい」
そう言いながら、俺の腕に額を押しつけてくる。
本当に、どうしようもないくらい――甘い。
さっきまで必死に強がっていたくせに、
こういう時だけ、何も隠せていない。
繋いだ手も、離す気なんて、最初からないみたいで。
少し力を込めれば、きゅっと、握り返してくる。
……分かりやすい。
こんなふうに、まっすぐ求められたのは、久しぶりだった。
守りたくなるとか、そういう綺麗な言葉じゃなくて。
ただ、離したくないと思った。
歩幅を合わせてやれば、ちゃんとついてくるくせに、
少しでも離れると、すぐ不安そうな顔をする。
無意識に、俺の服の裾を掴んでいたり。
――本当に、子供みたいだ。
風に煽られて、視線が自然と、あいつの唇に落ちる。
右上。
あの黒子。
――あの日と、同じ場所。
忘れたはずの感触が、指先に残って離れなかった。
気付いたら翔太の顎を掴み唇を重ねていた。
その黒子が、
離れていきそうに見えて、
思わず上唇を食んだ。
「……どうした?」
何でもないみたいに、そう聞くと、
翔太は、
何も知らない顔で笑った。
「なんでもない」
――その言葉が、
少しだけ、引っかかった。
消えないほどではないのに、
なぜか、残ったまま。
胸の奥に、引っかかったまま。
コメント
3件
誰かと比べてるの? それにしても💙ちんまくて可愛いなあ。
