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「蜷川、ごめんな。お風呂まで付き合わせて……。今から帰ったら、家着くの相当遅くなるやろ?」
申し訳なさが口をついて出る。明日も仕事やし、この時間から帰宅させるのは忍びない。かと言って「泊まっていくか?」と提案するには、替えの服がないのが現実的じゃなかった。
俺の身長は178センチでそこそこ高い方やけど、蜷川はそれをゆうに超える183センチのモデル体型や。俺のスーツを貸したところで、手足がツンツルテンの情けない姿になるのは目に見えている。
「朝早く起きて、一回着替えに帰るって手もあるか……?」なんて、答えの出ないシミュレーションを頭の中で繰り返していると。
「……え、それってもしかして『泊まっていく?』っていう意味ですか?」
蜷川が、嬉しそうにニヤニヤしながら顔を覗き込んできた。
図星を突かれたというか、心の内を見透かされたようで心臓が跳ねる。……いや、そんなん無理に決まってるのは分かってたけど、もしおってくれたら心強いな、なんて甘い考えが透けてしもたか。
「……待って、元宮さん顔真っ赤ですよ?」
「へっ!?」
慌てて両手で頬を押さえる。嘘やろ、ええ歳したおっさんが何を動揺してんねん。
「ふふっ、ただの男の後輩相手に、そんなわけないですよね。ごめんなさい、ふざけすぎました」
蜷川はいつもの愛嬌のある笑顔でそう言うと、手際よく帰り支度を始めた。
……今の、なんて返すのが正解やったんやろう。結局、何も言えないまま玄関まで付いていく。
「……ごめんな、送って行けんで。ほんまに今日はありがとう」
「いえ、俺も新鮮で楽しかったです。子供と遊ぶのなんて、ほぼ初めてみたいなもんでしたし」
「え!? あれで!? 俺、てっきり甥っ子でもおるんかと思ってたわ!」
驚いて声を上げると、蜷川は「いえいえ」と控えめに首を振った。
普通、慣れない子供二人を相手に風呂まで入れるなんて、戸惑って右往左往するのが当たり前や。それをあんなに楽しそうにこなすなんて。
「何でしょうね……母性本能みたいなのがムクムクと。自分でもびっくりしました」
ふふっ、と穏やかに笑う蜷川を見ていると、こっちの気持ちまで丸くなっていくのが分かる。
「そう言うてくれると嬉しいわ。また四人でご飯食べような。お願いしたい日、連絡させてもらうから」
「はい! もちろん! お待ちしてます!」
爽やかに手を振って、蜷川が夜の闇へと消えていく。
一人になった玄関で、ふっと息を吐いた。……なんか急に静かになって寂しいな。
でも、あんまり頼りすぎてもあかん。新先生はプロやけど、蜷川はあくまで仕事の後輩や。
自分の、楽さを優先して、相手を疲れさせてしまったら……それこそ奥さんの二の舞になってまう。
それだけは、絶対に避けなあかんから。
俺は玄関の鍵を閉め、自分に言い聞かせるように、暗い廊下を寝室へと歩き出した。
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