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「ただいま!」
勢いよく玄関のドアを開けると、待っていましたとばかりに賑やかな声が飛んでくる。
「おとうや!」
「おとう、おかえり!」
「元宮さん、おかえりなさい」
新聞紙を丸めた剣を手にした弦と洸が、早速俺を標的にして容赦ない攻撃を仕掛けてきた。その奥では、奥さんが置いていった、可愛らしい花柄のエプロンをつけた新が「もう、困りました」という顔で立っている。
「めっちゃお尻攻撃されるから、全然料理が進まないんです」
困ったように言うてはいるけど、新の柔らかな笑顔を見ていたら、その状況すら楽しんでいるのが伝わってきた。
「遅なってごめんな、俺も手伝うわ」
二人の猛攻を両手で上手いことかわしながら、リビングまで進む。それを見た新が「元宮さん、すごいです!」と本気で感心しているのが可笑しくて、思わず笑うてしもた。
「お、今日はカレー?」
「はい。トマトもあったので、一緒に煮込みまくってます」
「うわ、うまそう。これ、明日も絶対美味いやろな。昨日の二日目の煮物も、めちゃくちゃ美味かったし」
「ふふっ、嬉しい」
珍しく新が敬語を外して、こちらを向いて微笑んだ。
うわぁ、なんやろ。こんな綺麗な顔で真っ直ぐ微笑みかけられたら、世の人間は一発で恋に落ちてまうんやろな。副園長先生の気持ち、今ならちょっとだけ分かる気がする。
「……蜷川も『煮物とハンバーグ、意外と合う!』って、子供みたいにはしゃいで食べてたわ」
ポテサラ用のきゅうりを薄く切りながら、さりげなく新の表情を伺う。
「……ふふっ、『なんで、煮物とハンバーグやねん!』ってならなかったんですね?」
「そうやな。俺らのリクエストでって説明する間もなく、『美味しい!!』って勢いよく食べてたわ」
俺がそう返すと、新はボウルの中のポテトを丁寧に潰しながら、どこか遠くを見るような、それでいて穏やかな目を向けた。
「……見た目通り優しい方ですね。蜷川さんって」
「……そうやな。俺の周りは、みんな優しい人ばっかりや」
「……それは元宮さんが優しい人やからです。だから、返したくなるんです。きっと」
穏やかに笑いながらも新の手は止まらない。玉ねぎとハムを手際よく切って、ポテトにに加えて味付けし、あとは俺の切ったきゅうりを加えるだけの状態まで持っていった。
……いや、すご。手際よすぎやろ。
子供二人の相手をしながら、俺が帰るまでのわずかな時間でここまで仕上げたんか。
いや、待てよ。子供の世話をしながらやと、これだけの作業をするにも息をつく暇もないくらい、時間に追われるはずや。
奥さんも、毎日こうやって必死に……。
「……」
あかん。また思考がナーバスな方へ引きずられそうになる。
今は、目の前のこの温かい時間を大事にせなあかん。俺は包丁を動かす手に力を込め、強引に気持ちを切り替えた。
「……さあ、ポテサラも完成です。弦くん、洸くん! ご飯にするから、剣のお片付けしよう!」
新の明るい声に、子供たちが「はーい!」と元気よく返事をする。
新が作ってくれたカレーの匂いと、蜷川が昨日残していった賑やかな空気の余韻。
二人の全く違う「優しさ」が、この家の欠けていた部分を埋めてくれている。
さっきまで感じていた、奥さんへの申し訳なさや、自分を責めるような暗い気持ちが、3人の笑顔を見ているうちに少しずつ解けていった。
「……新、ほんまにありがとうな。助かるわ」
不意に名前で呼ぶと、新は一瞬だけ驚いたように手を止め、それから耳の裏まで真っ赤にして「……はい」と、少し照れたように返事をした。
「こう、きょう、あらたせんせといっしょにおふろはいる!」
カレーを食べ終わった頃、それまで黙々と食べていた洸が、突然決心したように声を上げた。
「……お風呂?」
「いや、洸、それは無理やわ。おとうと弦と洸、三人で入ろ」
「なんで? くうちゃんはいいのに、あらたせんせはあかんの?」
いや、もう洸、今にも泣き出しそうやん。
蜷川はあくまで俺の友達として来てるからまだええけど、新はそうはいかん。なんやかんや言うても現職の担任の先生や。園で「新先生とお風呂入った!」なんて無邪気に言いふらされた日には、それこそ大問題になりかねん。
「あらたせんせい……おんなのこなん?」
新も俺も、なんと返答すべきか言いあぐねていたら、今度は恐る恐る弦が口を開いた。
その斜め上の発想に、思わず二人で目を合わせて「ぶふっ」と吹き出してしまった。
「……ふふっ、新先生は女の子じゃないねんけどな。……どうしましょっか、元宮さん?」
新は笑い混じりに俺にパスを出してきた。困ったように眉を下げているが、その瞳には洸の願いを叶えてやりたいという気持ちも見て取れる。
「でも、もしバレたら、それなりに園で気まずいやろ?」
「……じゃあ、元宮さんの濡れてもいい服、借りてもいいですか? 僕、中で二人のお風呂のお手伝いをします」
「うわぁ、ごめんな? 何から何まで……助かるわ」
「その間に、お片付けお願いしますね」
「勿論です。仰せのままに」
俺がふざけて敬礼すると、新は満足そうに笑って、子供たちを連れて脱衣所へと向かった。
「うわぁ! 見事にカレー地獄やね」
脱衣所から、黄色く染まった服を脱がせながら笑っている新の声が聞こえてくる。
俺はクローゼットから、なるべく濡れても気持ち悪くなさそうなTシャツと短パンを選んで持って行った。
「新、これ使って……って、うわ。派手にやられたな」
脱衣所のドアを少し開けると、新が苦笑いしながら、真っ黄色になった花柄のエプロンをつまんで見せてきた。
「元宮さん、見てくださいこれ」
「こうがおくちふいたん!」
「おれもあらたせんせいで、ふいたった!」
自慢げに胸を張る二人の姿に、新は「拭いたった、じゃないやろー」と優しく嗜めている。
……いや、ほんま、新がエプロンをつけてたのはナイスプレーすぎる。それがなかったら、自前の服が再起不能になっていたところや。
新は俺が渡したTシャツに手早く着替えると、袖を捲り上げて風呂場へと消えていった。
バシャバシャと景気のいい水音と、楽しげな声が響き始める。
ダイニングに戻り、俺は片付けを始める。
蜷川の時は、一緒に裸でワーワー騒ぐような賑やかさやったけど、新はこうして一歩引いて、でも確実に子供たちの心に寄り添ってくれる。
昨日、一昨日まで、この家はあんなに暗くて静かやったのに。
新と蜷川。
性格もアプローチも正反対の二人が、俺と子供たちの止まっていた時間を、それぞれのやり方で動かしてくれているのが分かった。