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「何やってんの!? ベルニージュ!」と風のグリュエーが耳元で怒鳴るが、ベルニージュは構わず今焼いた男の死体に駆け寄って検める。
確かに人間の焼死体だ。幻でもない実体に見える。だが想定内だ。
ベルニージュは立ち上がり、ソヴォラの方を振り返る。魔法使いの老女は蹲り、呆けた表情でベルニージュを見上げ、目が合う。
ベルニージュはソヴォラの方へ手をかざし、ゆっくりと、しっかり言い聞かせるように呪文を唱える。
「やめてよ! どうしちゃったの!?」グリュエーがベルニージュの顔に吹き付け、赤い髪をぐしゃぐしゃに掻き混ぜる。
「分かった分かった。もう終わったから大丈夫だよ」とベルニージュは明るい声で返す。
「何が!? 一体どうしちゃったの!?」
「よく見て、周りを」
グリュエーはようやく吹きやみ、周囲を見渡すように渦巻く。さっきまで広場に溢れ返っていた群衆が全て消え失せていた。ベルニージュが焼き尽くした男の真っ黒な遺体も地面の焦げ跡以外に何の痕跡もない。
「一体、何が起きたの?」
「説明は後。まずはグリュエーを取り戻さないと」
ベルニージュは、群衆の誰かが持っていたのであろう広場に落ちていた四冊の魔導書を拾い上げ、消え失せることを恐れるように身を抱えて震えているソヴォラを尻目にチェスタたちの去って行った方角へと急ぐ。
「つまりね。人を再現する呪いだったってことだよ」とベルニージュは木々の間を、根に盛り上がった波打つ坂道を走って下りながら風に語り掛ける。
風は疑問を投げかける。「ソヴォラさんは?」
「ソヴォラさんが呪われていた人ってこと。何かしら否定的な感情を抱いている相手、あるいは状況かも、を再現するってところかな。レモニカの呪いと似てるね」
「ソヴォラさんが呪われていて、その結果が村人たちってことか。そっか。苦しんでいたのはソヴォラさんだけだもんね。でも、それじゃあ、グリュエーたちが生贄にされたのって……」
「そういうことだね。呪いによって、あんなことをしでかしたのではなく。呪いに再現された人々が元々ああいう人たちだったんだよ。だからこそソヴォラさんも恐れていたんだろうし」
「そんなあ」とグリュエーは溜息をつく。「でもなんで分かったの?」
ベルニージュは少し頭の中を整理して話す。
「いくら元の人々がどうしようもない邪な風習に囚われていたとしても、呪いを放った術者やその仲間である救済機構の人間が襲われないようになっていたんだよ、呪いの仕組みとしてね。だからチェスタや加護官たちは呪いの標的にならなかった。正確には標的になったとしても逸らされるようになっていたってことだね」
「あの魔法使いたちは?」
「キーグッドたちは救済機構の協力者に過ぎなかったからだろうね。あくまで迷宮派の魔法使いだったってことじゃないかな」
未だチェスタたちの姿は見えないが、風のグリュエーは正確に本体の方向を把握し、ベルニージュを導いている。
「ここの土地神が祟り神として顕現しないのはなんで?」とグリュエーは尋ねる。「どこの土地でも呪いに影響を受けて暴れてたのにさ。救済機構の放った呪いが嫌な人を再現する呪いなら、誰かソヴォラさんが嫌いな人を再現して受肉しそうなものだけど」
ベルニージュが少し間を開けて口を開く。
「それはね、えーっと、うん、つまり――」
「ベルニージュにも分からないんだね」
「いいや、今に分かる。つまりこの村には元々ソヴォラさんしかいなくて、あとは呪いに再現された人々だけ。ワタシたちと救済機構とキーグッド率いる魔法使いたち以外は……、あ!」
「ハーミュラー!」とベルニージュとグリュエーは声を合わせる。
「あれは祟り神が化けた姿だった? でも、ソヴォラさんはハーミュラーと面識ないはずだよね。シシュミス教団のことも知らなかったし」とグリュエーは確認する。
「それは本人に聞けそうだよ」と言ってベルニージュは立ち止まる。
村の端でチェスタたちは足を止めていた。加護官たちを足止めするように村の入り口にハーミュラーが立ちはだかっていた。
「まだこんな所にいた。チェスタ、本当に村を全て家探しするつもりだったの?」とグリュエーが訝しむ。
「元焚書官だよ。やり口は一つだけでしょ」とベルニージュは吐き捨てる。
「ともかく本体の方に戻るね。早く助けてね」と言い残してグリュエーは吹きやむ。
加護官の一人に抱えられていたグリュエーは全てを察し、ベルニージュを見つめ返す。
「どういう対立?」とベルニージュは軽口めいて話しかける。「シシュミス教団と救済機構の争いは無しじゃなかった?」
「私もお聞きしたいですね」ハーミュラーは余裕のある表情で答え、尋ねる。「グリュエーを再び攫い、辺境の村を焼き尽くそうとしていた理由を」
「村を焼き尽くした灰の中からいったい何を見つけられると思っているんだろう」と言いながらベルニージュはこれ見よがしに魔導書を見せつける。
「これは困りましたね」とチェスタも余裕を見せて答える。「私たちの大事な護女を焼き殺されてはたまりませんよ」
グリュエーを抱えていた加護官は集団の中の方へと移動していた。
どうにも先ほど立てた仮説、この村にいたハーミュラーが祟り神の化けた姿だという推測に反して、このハーミュラーにソヴォラを苦しませようとする意図はなさそうだ。
「ところで、本物のハーミュラーなの? 祟り神ではなく?」とベルニージュは問いかける。
「え? そうですが、私の偽物がいるんですか? 祟り神?」とハーミュラーは小首を傾げる。
「ハーミュラー!? ハーミュラーなの!?」という痛々しいまでの声色で問いかけたのはソヴォラだった。
ベルニージュが驚いて振り返ると転げ落ちそうな勢いでソヴォラが駆けてくる。転げる前に手を貸して、そのまま加護官のところへ飛び込みそうなソヴォラを押し留める。
「じゃあ、お子さんは……」とベルニージュは言い淀む。
ソヴォラの細い指が掴む手にきつく食い込んでいる。
「そうよ。ハーミュラーなのね? あたしの娘、あたしの一人きりの家族! そうなのね!?」
ベルニージュはハーミュラーの表情をじっと観察する。驚愕、憎悪、侮蔑。
「違います」とハーミュラーは冷たい声音で答える。「私に親はいません。この村に戻ってきて、全てを思い出しました。私を育ててくれたのはこの村の皆です。素朴で、温かみがあって、少し頑固な彼らが皆で、奇怪な私を育ててくれたのです。全てを思い出しました。私は、ここで、生まれ、育ち、そして……」
ハーミュラーの視線が宙に留まる。その場にいた誰もが、思わずその視線を追う。軒下の、蜘蛛の巣だ。僅かに露を帯びていて、緑の陽光に煌めいている。風が吹くと意味ありげに揺らめき、幾つかの雫が示唆的に滴る。
そしてハーミュラーの眼は泳ぎ出し、声を震わせて尋ねる。「あなたが私の母だというのなら、私の父は誰ですか?」と。
「それは、あたしは……」
ソヴォラは言い淀む。
「あなたは石女だった」とハーミュラーが突きつけるように言う。ソヴォラは言葉を失くし、ハーミュラーは続ける。「そのはずだった。なのに、あなたは孕み、私が生まれた。私は、私は……」
消え入るようなハーミュラーの声に誰もが耳を傾け、俯く巫女の次の言葉を待った。だが、次の言葉はなく、顔をあげたハーミュラーは恍惚とした笑みを貼りつけていた。
そして突如その姿を消す。まるで黒く冷たい濡れた闇に溶け込むように。グリュエーが消えたのもほとんど同時だった。
ベルニージュは怒鳴るのを堪え、ありとあらゆる探索の魔術を方々へ放つ。しかし放った魔法のどれもグリュエーに触れられなかった。