『…..嫌いだわ』
お母様の軽蔑するような目が、私の体を刺す。足先から頭まで、サァッっと冷たくなっていくのが分かった。
『お前に興味などない』
奥にいたお父様が言い放つ。すると周りから一斉に真っ黒な人達が、私を指さして口々に言う。
『お前はできない子』『いらない子』『早く死ねばいいのに….』『どうでもいい』『嫌い』『足でまとい』
ああ。私は何をしてしまったというの。
足元を見ると、黒いモヤのようなものがどんどん体を侵食していた。
「いや….やめて来ないで、やめて」
私の願いも虚しく、黒いモヤは首元までせり上がってくる。
「苦しい、誰か助けて、誰か……」
私は勢いよくベットから飛び起きる。息が上がっていて、冷や汗と涙がとまらない。
また….この夢か。
徹夜した次の日は、必ずこの夢を見る。私は目尻に溜まった涙を拭った。
近くにあった鏡を見ると、ひどい顔をしている自分がいる。
「はぁ…….」
ため息を1つつくと、私はベットから降りる。時計の針は午前6時をさしていた。
4時に寝たから….今日は2時間寝れたみたい。
ここのところ成績が悪くて、先日お母様に罵声を浴びせられた。
その影響でここ3日は飲まず食わず寝ずで勉強をしていたせいか、頭がズキズキと痛む。
ふとカレンダーを見ると、『依頼』と書いてあった。
そうだ。今日はグロバナー家からの依頼があるとルカスに言われていたのだった。
「急がないと」
私は身支度を始めた。
あのあと貴族からの依頼を済ませ、デビルズパレスに帰る頃。すっかり日は暮れて、白い月がうっすらと空に浮かび上がっていた。
朝から歩く度にズキズキと痛む頭。
なんとか顔に出さないようにしているが、やはり隠せない部分はある。
「主様、顔色が優れないようですが….いかがしましたか?」
横を歩いていたハウレスが、心配そうに私を見る。
「少し疲れただけ。なんともないよ。」
私は力なく笑ってみるが、うまく笑えているかは自信が無い。
「今日の依頼は疲れましたから、無理もないでしょう。」
「今日は階のリーダーを集めて本邸で会議でしたが….やはり会議は精神的にかなり来るものがありますからね。」
ベリアンとルカスがフォローしてくれる。
連日の徹夜と不摂生な生活。悪夢と頭痛に魘されながら起きて、それに耐えながら会議中ポツポツと聞こえる貴族の陰口への怒りを抑える。
全ては、嫌われたくない。その一心だった。
「痛ッ」
ふいにハウレスが声をあげる。ぼーっとしていた心が徐々に鮮明になっていく。
「ハウレスくん……昨日の傷がまだ痛むのですか?」
ベリアンが心配そうに
昨日の傷…..?
「すみません……吹き飛ばされたところが少し。」
「昨日の傷って、どうしたの…..?」
気が気じゃなくなって、私は立ち止まってしまう。
「昨日、主様がいない間に天使の襲撃があったんです。そのときに悪魔の力なしで戦ったんですが….。
まだまだ訓練が足りないようですね。」
そう言ってハウレスは苦笑いをした。
私の….いない時に。
私が….居なかったせいでハウレスは怪我した。
それは死ぬ可能性があったかもしれなかったってことだ。
「しかし、もう傷は治っているんですよ。こうして歩けているのもその証拠です。」
ハウレスが何か私に話しかけているが、私の耳には届かない。
今回は普通の天使だったから良かったけど、もし知能天使だったら?怪我だけじゃ済まされなかったかもしれない。
私がいなかったせいで、みんなが死ぬ。これ以上の苦痛はない。
ただでさえ、直接戦闘に携われず守られることしかできないのだから。
『足でまとい』
夢に出てきたあの言葉が、私の心をざわつかせた。
頭痛と目眩が相まって、ぐるぐると視界がかき混ぜられる。
「…..主様?」
遠くから執事の声が聞こえる。
しかし、私はもう立っていられないくらいに気が動転しているようだ。
徐々に黒くなってゆく世界と、遠くから途切れ途切れに聞こえる声。
私は息が苦しくなっていくのを感じた。
斜めに傾いた体が、突然何かに当たる。
私はバランスを崩し、床に倒れ込んでしまった。
「主様!」
みんなの声が聞こえる。
「何…?今誰にぶつかってきたんだ?」
私は気を持とうと、頭に鳴り響く声の中から必死に正解を探し出す。
この声は….今日の会議中に聞いたかもしれない。
「化け物」
そんなふうに悪魔執事への悪口をしきりに言っていた。
私はそれだけで吐き気を催す。
ぼんやりとしか見えない視界だが、そいつが私の顔を覗きこんでいるのがわかった。
「おまえは……悪魔執事の主か。」
そう言って、顔を顰める。
すると、突然私の胸ぐらを掴んだ。
執事たちが止めているのが見えるが、そいつはお構い無しに私に向かってまくし立てる。
「お前が現れてから不吉なことばかりおきている」「足でまとい」「お前のせいで天使が居なくならない」「不出来な奴」「無能」
そんな言葉が私の頭を飛び交う。いつもなら受け流せているはずの言葉が、一つ一つ心臓に刺さる。
その場面が、今朝の悪夢とリンクした。記憶が蘇ってくる。
そいつは散々私を暴言を浴びせたあと、
「おまえみたいな使えないやつが1番嫌いだ」
そう言い、乱暴に胸ぐらを放した。
執事たちがなにやら私に向かって話しかけているらしい。
しかし、あまりにもぐちゃぐちゃになった私の脳内には届くはずも無かった。
全部、私のせい。
棘のついた言葉がいっせいに私の方に向かってくるのを感じる。
このままだと、執事たちにも嫌われてしまう。
そんな思考が頭に取り付いて離れない。
とめどなく溢れる涙と、うまく吸えない息。
意識を保とうと目を開けると、そこにはぼんやりとハウレスの顔が。
私は震える手を、彼の頬に添える。
こんなにも無能で足でまといで、みんなから存在を否定されても、やっぱり願ってしまうらしい。
「嫌いに…..ならないで」
絞り出した声は、ハウレスに届いたかは分からない。
キーーーーーーーーーーン。
耳鳴りがした。それと同時に、とどめを刺すかのような頭痛が私に襲いかかる。
当然耐えられる訳もなく、私は呆気なく意識を手放した。
目を開けると、そこには何も無かった。
私は暗闇に1人、ぽつんと佇んでいる。
真っ暗で、何も見えない。
すると背後から突然、暴言の書かれたナイフが、私の背中を刺す。
「痛い……」
刺された痛みに顔を歪めていると、
『嫌い』『足でまとい』『無能』『不出来な奴』『死んでしまえばいいのに…』『目障り』
次々と暗闇からナイフが飛び出してきた。
私は恐怖に逃げ惑う。
走り続けていると、途中で誰かに足を引っ掛けられて派手に転んでしまった。
顔を上げると、デビルズパレスのみんながいた。
私はみんなに助けを求める。
「み、みんな助けて…..」
その瞬間、私は気づく。
みんなは私をゴミを見るような目で見下ろしていた。
『お前は主なんかじゃない』『お前がいなければ、天使はもうすでにいなかったかもしれないのに』『迷惑』
みんなの手にはナイフが握られていた。
私は絶望する。目の前にいた執事が、私へ目掛けて腕を振り下ろす。
そのナイフには
『嫌い』
と書かれてあった。
〈ハウレスside〉
主様が、意識を失ってから、2日が経った。
ベットに横たわる主様は、とても苦しそうな表情をしている。
そっと額に手を当てると、驚く程に熱い。
主様がこんなになるまで、俺は…..。
確かにあの日は顔色も悪く、会話も心に在らずな感じがしていた。
それに、帰りがけに俺が主様がいない状態での戦闘で怪我したことを伝えてから、様子がおかしくなり始め、その後あの貴族に……..。
主様に浴びせられるひどい言葉の数々。俺は手が出そうになるのを必死に抑えたが、主様がこんなになってしまうのならあのとき我慢せずに殴っておけばよかった。
ダメだとは分かっていても、そんな後悔ばかり考えてしまう。
ルカスさん曰く命に別状はないとのことだが、主様の精神状態がよくないことは確かだ。
ふと横を見ると、主様は涙を流していた。
そして
「助けて……」
そうポツリと呟いた。
俺は歯を食いしばる。出来ることなら、代わってあげたい。主様をその苦しみから救いたい。
しかし何も出来ないことがあまりにももどかしい。
あのとき主様が言った、「嫌いにならないで」という言葉。
彼女は一体今までどんな重荷を抱えて生きてきたのだろうか。
主様は強がったりはぐらかすことが多々ある。俺にはそれが、少しだけ寂しい。
いつか、主様の心の拠り所になれたら……。
すると、主様が寝返りをうつ。額のタオルが熱くなっていた。
「替えてきますね」
俺はタオルを桶にいれて主様の部屋を後にした。
それから何度か主様の部屋にお邪魔したが、やはり主様は変わらず魘されていながらも目を覚まされなかった。
その後執事の仕事を終わらせ、夕飯や風呂を済ませると、時計は10時を回っていた。
俺は主様の様子を見に、主様の部屋の前まで来ていた。
扉をノックする。
……やはり返事は無い。
「失礼します」
俺は扉を開ける。
そこには、ベッドから上半身を起こしている主様がいた。
「主様っ!!!目が覚めたのです….ね…..」
思わず声を上げてしまったが、様子がおかしい事に気づく。
主様は虚ろな目で、ただ一点をぼうっと見つめていた。
「主様……」
俺はベッドに近づき、一言声をかけて主様の背中をさすった。
俺に出来ることなんて….これくらいなのだから。
すると主様はようやく、俺の存在に気づいたようだ。
虚ろな目をしているが、たしかに俺の方に顔を傾ける。
「まだ熱は下がっていないようですね…..」
その華奢な背中は、前よりももっと細くなっている。きっと食事も摂れていなかったのだろう。
「なにか飲み物をお持ちしましょうか?」
高熱を出しているんだから、汗もかいているだろう。
俺は水をついでこようと、主様のベッドから離れようとする。
すると、服が引っ張られる感覚があった。
「?」
後ろを向くと、主様が俺の服を掴んでいた。
その目には大粒の涙が溢れている。
「あ、主様?どうかなさったのですか?」
主様に服を掴まれた事実と、急に涙を流す主様に困惑してしまう。
「…..らないで」
「主様?」
「嫌いにならないで…..っ」
そう言いながら苦しげな表情をする主様を見ていると、いても立ってもいられなかった。
「主様。失礼します。」
次の瞬間、俺は主様を抱きしめる。主様の体はひどく熱く、手先は冷たかった。
「主様。俺は何があっても、一生主様のことを嫌いになんてなりません。俺の名にかけて誓います。」
主様は、俺の服をぎゅっと握っていた。
俺は一つ一つの言葉を、言い聞かせるようにはっきりと話す。
「俺たち執事は、主様のことが1番大切です。もしも辛いことがあったとき、自分で抱え込むのではなく、話してください。どうか、俺たちに支えさせて欲しいです。」
五分ほど間が空いて、主様が口を開く。
「……いいの?本当に?」
その声は弱々しくて、不安げだった。
「もちろんです。主様が自分のことを話してくれるのはすごく嬉しいです。同時に、とても愛おしくなります。」
「心配かけるかもしれないし、面倒臭いかもしれないよ?足でまといになるかもしれないよ?」
主様は嗚咽を漏らしながら、必死に話し続ける。
その間も、彼女は俺の服を力強く掴んでいた。
「心配は掛け合うものですよ。それに、そんなことはありません。主様を守れるのは、俺たちの誇りですから。足でまといとは断じて違います。」
ゆっくりと、諭すように。俺は主様を落ち着かせる。
「主様の心がきつくなったらいつでも頼ってください。俺たちはどんなときも絶対に主様の味方ですからね。」
背中をトントンすると、昔トリシアにこうして寝かせていたことを思い出す。
そうしているうちに、主様の体はだんだんと震えが収まっていた。
ふと、主様から泣き声が聞こえなくなった。顔を見てみると、そこにはいつになく清々しい表情をした主様がいた。
「…….ありがとう」
そう微笑む主様の目はもう虚ろではなく、キラキラとした光が宿っている。
余程安心したのか、主様の体から力が抜けていく。
そしてそのまま、スゥっと再び眠りについてしまった。
俺の言葉….届いたみたいだな。安らかに眠る主様は、かすかに微笑んでいた。
そんな主様を見ていると、自然と頬が緩んでしまう。
「フフッ。ゆっくりとお休みください。」
午前9時。私は先日あったことを思い出していた。
悪夢を見続けて苦しかったあの日の夜。
夢と現実の判断も付かず、ただ絶望していた。
ハウレスが私の部屋に来て、悔しそうな表情をしていたのを思い出す。
そして私は気づいたらハウレスの服を掴んでいて、気づいたら抱きしめられていた。
彼が話す一つ一つの言葉に重みがあって、不安定だった私の心を落ち着かせてくれた。
『俺たちはどんなときも絶対に主様の味方ですからね。』
そう言ったハウレスの顔はなんだか兄を感じさせて、トリシアちゃんになった気分だった。
私は怖かったのかもしれない。彼らに心を完全に開いて、信頼した後に嫌われるのが。
私は幼い頃から嫌いだとしか言われてこなかったから。
だから彼の言葉に、ひどく安心したんだと思う。
その後は夢も見らずに、ただただ爆睡した。悪夢が続いてろくに寝れていなかったし疲労もあって、丸々3日間寝ていたらしい。
私はそんなに睡眠が必要な方では無いため、かなりびっくりした。
私が起きて下に降りると、執事のみんなは良かったと、心から安心したように私を労わってくれた。
そして、みんなはあの日の帰りがけの貴族について謝られた。でも、多分あいつがいなくても私は倒れていただろうし全然気にしていない。
頭を深々と下げるみんなに、慌ててそう伝えると申し訳なさそうに顔を上げた。
その後、私はみんなに自分の過去と何故倒れてしまったのかを説明した。
時々言葉に詰まってしまったが、ハウレスが支えてくれた。
なんとか説明をし終えると、執事のみんなは話してくれてありがとうと、笑いかけてくれた。
勇気のいる話をした後のみんなの笑顔はすごく心強くて、胸が暖かくなった。
そして『反抗してみてはどうだろう』とミヤジの一声により、私が辛い思いをしなくていいように一緒に打開策を考えてくれた。
反抗なんて、考えたこともなかった。
そして今日。私は親に自分の意見を伝える。
「これは私の人生だから、好きに生きる。」
思った通り罵声を浴びたけど、不思議と耳には入ってこなかった。
怖がる必要なんてなかったんだ。だって、私にはデビルズパレスのみんながいてくれるから。
その日は快晴だった。
金色の指輪が太陽に照らされて、きらりと煌めいていた。