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陵辱され乱暴された果ての姿で発見されたゾフィーの死は、事件を解決に向かわせるどころか更に混迷を深めるかのようで、事件を担当するヒンケルの顔は日を追うにつれて険しい物になっていく。
彼女が生きて発見されたのならば彼女自身が関わっていた人身売買の組織について様々な情報を入手し、可能ならば司法取引も出来たかも知れないが、発見されたゾフィーは既に物言わぬ骸と成り果てていて、彼女が遺したものから事件を推測するしかなかった。
そもそもの発端となったチェコ出身の少女が殺害された事件については、ゾフィーと一緒に発見された二人の男が実行犯であることが彼らを解剖した結果ほぼ断定でき、被疑者死亡のまま事件の解決を見たのだが、今度は三人を殺害した犯人探しが始まってしまう。
ひとつの事件が終わりを迎えたにも関わらず今回の事件の捜査を担当している刑事達の顔には事件が終わった安堵や歓喜の色はまったく見えず、それどころか上司の顔色と比例するように険しいものになっていった。
ゾフィーが死体で発見されたことで人身売買という国を跨いだ犯罪を解明する手口が途切れた不満が警察内で膨れあがっていたが、それと同時にまだ極秘中の極秘の懸案となっていたのは、ゾフィーの身内であるリオンへのあるかないかの隠蔽疑惑よりも遙かに重大な、事件が佳境に差し掛かっている時に虚偽の休暇申請を取り音信不通になったジルベルトと、フランクフルトから派遣されてきたロスラーがゾフィーと同じ組織に属していた事実が判明し、地方警察の一刑事の身内が引き起こした不祥事など些末に感じる事実への対応についてだった。
新聞やゴシップ誌などは現役の刑事とその姉が巻き起こした事件をまるでリオン自身が不祥事を起こしたかのように騒ぎ立てていたが、まだ公表されていない、本当に内部調査をしなければならないのは姿を消したジルベルトとロスラーである事実をどのタイミングで公表するかを、昨日フランクフルトから駆けつけたロスラーの上司である警部とヒンケルは部長や署長らを交えて話し合ってもいた。
この街だけではなく別の州の現役刑事も犯罪の片棒を担いでいた事実が公表されると大騒ぎになるのは火を見るよりも明らかだったためにそのタイミングを見計らっているが、ひとまずはリオンの身の潔白を証明するための内部調査-だとヒンケルらが頑なに言い張った-に協力する為、過去にリオンが担当した事件の関係者の元をヴィーラントらが尋ねる為の手助けをコニーらも渋々行っていた。
今日はバルツァー会長に会いに行くことをヒンケルらに伝えたヴィーラントだったが、会社へと連絡を入れると会長は不在だと教えられ、社長秘書と名乗る女性から折り返し返事をするから待っていて欲しいと伝えられてしまう。
さすがに大企業の会長ともなればすぐに面会など出来るはずも無いと、一応の理解を示した彼女たちだったが、程なくして掛かってきた先程の秘書の女性が言うには、本当に珍しい事だが自宅に来て欲しいと伝えられ、行き先を変更することになる。
そしてその日の午後バルツァーの会長宅へと出向くのだが、戻ってきた二人の顔は怒りとそれに似た感情に彩られていて、コニーやヒンケルが内心危惧していた、会長に手ひどく言い負かされたのだろうと気付き、こっそりと溜息を吐くのだった。
その日の夕方、バルツァーの会長であるレオポルドの自宅へ一台の高級車が走っていた。
その後部シートでは書類に読みふけるギュンター・ノルベルトがいて、両親が自宅にいることを確かめる通話を終えたばかりだった。
ギュンター・ノルベルトの父であるレオポルドが若い頃に手に入れた自宅はまるで美術館や博物館を連想させる立派なもので、玄関に通じる階段前の噴水なども訪れた客を感心させるようなものばかりだった。
その噴水横にギュンター・ノルベルトを乗せた車が止まり、運転席からスーツを着ているが隙の無いこなしの男が降り立ち、後部シートのドアを開けて書類を読んでいる彼に声を掛ける。
「ギュンター様」
「ああ、ありがとう、ヘクター」
手にしていた書類をシートに置いて車から降り立ったギュンター・ノルベルトは、全くと溜息を吐いてドアを開けてくれたヘクターと一緒に階段を上る。
「……父さんも母さんもエリーまであいつを認めているようだが、俺は絶対に認めないからな」
「……ギュンター」
まだそのことを言っているのかと問われて当たり前だと、背の高い玄関の度を開けてくれる家人に頷いたギュンターだったが、彼の中で絶対に認められない思いをつい口にすると、家に入った途端に背後のヘクターが身に纏っていた気配が変化し、口調も変化をする。
「そうだろう、ヘクター。俺の大切なあの子が……」
身内の内部調査を受けるような男と付き合っていることなどどうして認められると、廊下で振り返りヘクターに指を突きつけたギュンターだったが、リビングのドアが開いて呆れたように声を投げかけられて二人揃ってそちらへと顔を向ける。
「そんなところで何を言い争っているんだ」
「会長、今日の調査への協力、お疲れ様でした」
「おお、確かに疲れたぞ」
リビングのドアから顔を出したのはこの家の主でありギュンター・ノルベルトの父であるレオポルドで、二人の刑事がやって来たが腹が立ったから追い返してやったと笑い、ギュンター・ノルベルトとヘクターが顔を見合わせる。
「追い返した?」
父に問いかけながらリビングに入った二人は、ソファでゆったりと寛いでいる母、イングリッドの姿に気付き、レオポルドがその横に座ると同時にどう言うことだと問いかける。
「リオンが疑われたことにレオが腹を立てたのよ」
「…………ふん」
己が気に掛ける人間が謂われない疑いを掛けられたことが許せなかったのねと夫の本心を見抜いた妻が柔らかい声で問い掛けて金髪を撫で付けると、その細い手首を掴んだレオポルドがそっぽを向いたままあいつが警察を辞めればいいのにと呟き、何かに気付いたように目を瞠る。
「……しまった。不手際があまりにも酷すぎてどうにも出来ないから辞めさせろと言えば良かった」
そうすれば無職になったリオンを俺のシークレットとして雇うのにと、心底悔しそうに呟く夫の頬にキスをしたイングリッドだったが、息子は心底驚いたように目を見張り、反対だ、あいつを雇うなど断固反対だと拳を握る。
「そう? 仕事熱心だから良いと思うけど」
母の言葉に父もしきりに頷いてリオンに対する期待の大きさを教えるが、ギュンター・ノルベルトにしてみれば大切な大切なウーヴェの恋人というだけでも気に食わないのに、不祥事を起こしたかも知れないという一事も更に不愉快だった。
だからその思いから断固反対と告げると、ウーヴェの選択を尊重してやれとレオポルドにそっと諭されて言葉を飲み込む。
「あの子は、自分に必要なものを理解出来る男だ」
そんなウーヴェが選んだ男なのだ、リオンを信じるのではなくリオンを信じているウーヴェを信じてやれとも諭され、高い天井を見上げて溜息を吐いたギュンター・ノルベルトは、隣でそうだなと頷く秘書であり友人でもあるヘクターの言葉にもう一度溜息を吐き、気分を切り替えるように視線を窓の外へと向ける。
「……ヘクター、帰りを頼んでも良いか」
「もちろん」
「父さん、少し飲まないか」
「おお、いいぞ。ヘクター、世話を掛けるが後を頼む」
「はい」
バルツァーの会長と社長という関係ながらもお互い多忙で会社ではあまり顔を合わせることもなくこうして膝を突きつけて話す機会も得られないため、せっかく父の家に帰ってきたのだからとギュンター・ノルベルトが酒を飲もうと父に誘いかけ、父もそれに応じるように頷いた為、イングリッドが程々にしなさいと二人に忠告をし、ギュンター・ノルベルトを自宅に送り届ける役目を仰せつかったヘクターを労うために家人を呼んで簡単な食事を用意させるのだった。
リオンが愛してるの言葉を残して行方不明になった数日後、その身を案じつつも己の仕事に向かわなければならないウーヴェが心を押し殺しつつ患者の診察をこなし、リアにもテキパキと指示を与えて日常の業務をこなしていた。
だがその心は今すぐにでもリオンを探しに出かけたい思いが溢れていて、姿を消した翌日にはベルトランや友人達にリオンを見かけたら連絡をくれと伝え、自身も日に何度も携帯のリダイヤルを押してみるが当然ながらリオンの声が聞こえてくることはなかった。
あの夜、人々の喧噪が背後に聞こえる場所、何となく駅やバスターミナルのような空気を感じ取っていたウーヴェは、本当に何処に行ってしまったんだと舌打ちをしては悪い想像をしてしまう脳味噌に負けないように鍵の形をした約束に手を当てていた。
そんなある日の午後、ヴィーラントと名乗る刑事が来ているとリアが伝え、聞き覚えのない名前であること、リオンやその愉快な面々が働く警察署ではない部署から来たことも教えられて軽く目を瞠り、とにかく診察室に通してくれと伝えたウーヴェは、ヴィーラントと呟きつつメモ帳に思いつくスペルを書き殴る。
今まで知り合ってきた人たちの中にもヴィーラントという名前は無く、何のことだと訝りつつノックを受けてどうぞと声を掛けると、リアとはまた違った無表情の女性が静かに入ってくる。
「ヴィーラントとマニンガーです。少しお話をお聞きしたいのですが」
「そちらにどうぞ……フラウ・オルガ、お茶の用意を」
二人の後ろに控えているリアに頷いたウーヴェは、二人を窓際の応接セットに案内し、自分はお気に入りのチェアに腰を下ろし、二人が座るのを待って口を開く。
「何をお聞きになりたいのですか?」
初対面の人間には不愉快な印象を残さないように気を付けるウーヴェが切り出すとヴィーラントが書類を収めているファイルを取りだし、ケーニヒ刑事のことですと伝えると自然とウーヴェの背筋が伸びる。
「ケーニヒ刑事? 彼がどうかしましたか?」
彼とは親交があるために仕事上でも様々な意見を求められることがあったことを伝え、その彼がどうしたと再度問い掛けると、今まで彼が担当してきた事件の関係者に話を聞いていると教えられてウーヴェが目を瞠る。
「で、私に聞きたい事とは?」
「ケーニヒ刑事が担当した事件の時、彼の態度はどうでしたか」
他の関係者にも聞いている事だが刑事らしからぬ態度を取っていなかったか、刑事の行動規範を越えたことをしていなかったかと問い掛けられて思わず失笑してしまったウーヴェは、冷たい目で見つめられて掌を立てて失礼と詫び、刑事の行動規範など一般市民が知るはずがないから越えたかどうかは分からないと返し、刑事らしからぬと言えば存在自体がらしからぬものだと笑って二人の目を軽く見開かせてしまう。
「彼のようにふざけているのか真面目なのか、一見しただけでは判別がつかない刑事など初めて見た気がする」
そんな刑事らしからぬ態度はあるが、事件に対しては誰よりも真摯で熱心に向き合っている姿をよく見かけたことも伝え、あなたが望む答えは何だと問いながら足を組む。
「私たちが望むのは彼が刑事として公明正大であったか、被疑者や被害者に不愉快な思いをさせていなかったかという事実です」
「私自身彼とはその事件で知り合ったが、不愉快な思いはしなかったな」
初対面でこちらが冷たい態度を取ったことへの報復的な慇懃無礼さはあったが、それ以降別の事件で偶然出会った時はまったく不愉快なことなど無かったと告げ、本当に知りたいのはその事なのかと目を細めると、マニンガーが僅かに上体を乗り出してくる。
「今新聞を賑わしている事件について何か知りませんか?」
「新聞やテレビの報道で知る程度なら」
「本当に?」
その言葉にウーヴェがヴィーラント以上に冷たい目をマニンガーに向け、奥歯に物が挟まったような物言いは好きではない、言いたいことがあるのならはっきりと言えばどうだと掌を向けるが、ノックをしたリアが入ってきたために足を組んで一つ溜息をつく。
「失礼します」
「ああ、ありがとう」
お茶の用意をした後に一礼をして下がるリアを見送ったウーヴェは、本題に入ればどうですかと笑みを浮かべて膝に手を置き、彼との関係を知っているのでしょうと促せば二人が視線だけを合わせた後に小さく頷く。
「あなたがケーニヒ刑事のパートナーであることは知っています」
「で?」
「仕事が終わった後、彼と事件について何か話をしたことはありませんか」
ヴィーラントの言葉にウーヴェが顎に手を宛って考え込むが、今回の事件について初めて彼が話をしたのは少女の遺体が発見された日だったと思うと答え、シスターが起こした事件についてはどうだと問われてそれについては何も聞かされていないと返すと無表情に見据えられてしまい、ウーヴェの腹が瞬間的に冷えた後に何かが据わる。
「二人でいるときは仕事の話は殆どしなかったからシスター・ゾフィーの事件についても当然聞かされていなかった」
「人身売買に関わっていることを知っている、そんな素振りを見せたことは?」
「一度もない」
付き合いだしてもう何年かになるが彼が二人でいる時に仕事の話をしたことは数える程だったこと、しかもそれら総ては解決したばかりの事件についての話であり、追っている事件について話すことはなかったと答え、彼女がその犯罪に関わっていることを彼は私たちと同じく彼女が行方不明になってから知ったとも答え、行方不明と呟かれて苦笑する。
「彼が児童福祉施設に戻ったときに彼女と今回の事件について話をしたが、あんたにだけは言えないと言われたそうだ」
「それは、シスターがケーニヒ刑事に言った事ですか?」
「泣きながら彼にだけは話せない、そう言ったそうだ」
シスター・ゾフィーが涙を見せながら話したことを聞かされた時の様子を脳裏に描きながら伝え、彼は本当に何も知らなかったはずだとも伝えると二人が視線を交わしあう。
「あなたの前ではそんな素振りを見せなかっただけでは?」
その言葉は想定内のものだったために素っ気なく頷き、確かにそうかも知れないが彼がそんな嘘を吐くとは思えないし、またいくら刑事らしからぬ言動を取ることが多い彼であっても刑事なのだ、罪を犯した人を目前にして手を拱くなどしないだろうしまた出来ないだろうとひっそりと伝えると、あれでも刑事の良心を持っていると断言する。
「……現役の刑事の身内が犯罪者だった、その事実については?」
ヴィーラントの一言がウーヴェの耳から心の奥に落ちていき、据わった腹の上に積もると冷笑となって口から姿を見せる。
「下らないな。彼と姉は別の人間だ。家族だから共犯者であるという思い込みで調査をしてるのか?」
「そういうことではないが……」
「そうではないのか? 現役の刑事の身内が犯罪者だった、それについてどう思うとわざわざ問い掛ける理由は何だ? 姉が犯罪者ならば弟もそうだと言っているのと同じではないか? ――この国はまだ第三帝国なのか?」
「!?」
あのチョビ髭伍長に支配された頃のままなのかと冷たく問い掛けながら足を組み替え、肘置きに肘をついて頬杖をついたウーヴェは、彼の姉は罪を犯したが彼自身はその犯罪に何ら関与していないどころか彼自身が姉を逮捕し罪を償わせるつもりだった、そんな彼をも犯罪者と決めつけるのかとリオンを思っていつも以上に厳しい声で伝えるとヴィーラントとマニンガーの顔色が悪くなる。
二人が顔色を変えた理由は、先日ウーヴェの父であるレオポルドに話を聞いた際に己が思うような展開で質問が出来なかったために悔しい思いをしたことを思い出したからだったが、ウーヴェにそんなことが分かるはずもなく、ただ己が不愉快に感じたことを最も冷たい声音で伝え、彼女の罪が係累であるリオンに、そして二人を育てたあの児童福祉施設の関係者にまで及ぶのであればこちらもそれなりの対応を取らせて貰うと目を光らせる。
「今回の事件を新聞やマスコミの報道よりも先にリオンが知ったのは事件の捜査をしているからであり、決してシスター・ゾフィーの口から聞かされたわけではないし、彼女やリオンが育った児童福祉施設の関係者が事実を知って教えた訳でもない」
係累にまで罪が及ぶなどという前時代的な考えを持って調査をすると彼の本当の姿など見えないだろうし、そもそも曇った眼鏡で世界を見ようとしているあなたに真実が見えるのかと冷たく弾劾するとヴィーラントが唇を噛み締める。
「……人を侮辱するような言動は控えて欲しいものだな」
青ざめたヴィーラントの横でマニンガーが声に険しさを混ぜて身を乗り出してくるが、そんな彼にもウーヴェは態度を改めるどころか鼻先で冷笑して肩を揺らす。
「先に侮辱したのはどちらだ? 彼の姉が罪を犯した、だから彼も犯罪に加担していたのではないか、その気持ちも分かるが今までの調査でその片鱗でも見つかっているのか?」
リオンが犯罪に手を貸していた-もしくは見て見ぬふりをしていた-形跡が見つかったのか、その証拠があってリオンを侮辱するのならばまだしも、あなた方の下らない思いこみで彼を、私のパートナーを侮辱しないでもらいたいと言い放ち、立ち上がってデスクに近寄ると受話器を取り一言二言何かを告げるが、そんなウーヴェの耳に飛び込んできたのは予想外の言葉だった。
「さすがは親子だな。大人しくこちらの質問に答えていれば良いのに」
その一言が聞こえた瞬間、室内の温度が一気に下がったような錯覚を抱かせる顔で受話器を置くと、父に何を言われたのかは知らないが父は父で自分は自分だと言い放つ。
「……二人がお帰りになるそうだ」
ドアを開けて一礼するリアに冷たく言い放ったウーヴェは、リオンが前時代的な考えに縛られた人たちに調査とやらをされて気の毒なこと、もう二度とこの二人がここに来ることはないだろうと告げてドアを二人のために開け放つと、顔を青くして拳を震わせるヴィーラントとマニンガーに目礼する。
「……私たちを侮辱したこと、それについての謝罪を今後求めるわ」
「姉を暴行されて殺害されたばかりのリオンを共犯者と決めつけ、刑事である彼を侮辱したことへの謝罪を先にしてもらいたいものだな」
人のパートナーを侮辱したことへの謝罪はして貰おうと伝えて出口はあちらだと顎で示したウーヴェを睨んでいった二人は、リアにも無表情に見送られてクリニックを後にする。
「ウーヴェ、あんなことを言って大丈夫なの?」
「ちょっと頭に血が上ったことは反省している」
リアの不安そうな顔に肩を竦めて己の言い過ぎを反省したウーヴェだったが、だが告げた言葉に嘘はないことを呟き、ヒンケルかコニーに一報を入れておいた方が良いだろうと苦笑するとリアが小さく頷いて胸に手を宛う。
「リオン……何処にいるのかしら」
リオンが姿を消したことをウーヴェから教えられたリアは涙を滲ませた目でウーヴェに詰め寄り、早く見つけてあげてくれ、一人で寂しがっているんじゃないかと、今までシスター・ゾフィーの役目だったことを知らずに引き受けたように懇願し、ウーヴェも彼女の肩を抱いて大丈夫だから心配するなと宥めたのだ。
「大丈夫だ、リア。……警部に電話をするか」
「え、ええ」
ウーヴェが携帯を手に取り登録してあるヒンケルの携帯を呼び出すと程なく表情を連想させる厳しい声が流れだし、バルツァーですと名乗れば安堵と心配が混ざった声が聞こえてくる。
『リオンから連絡はあったか?』
「いえ、こちらには。そちらも無さそうですね」
『ああ』
重苦しい溜息にウーヴェが申し訳ないと断りを入れつつ先程追い返したヴィーラントとマニンガーに伝えたことを掻い摘んで説明すると、更に重苦しい溜息がこぼれ落ちる。
『バルツァー会長の時にも不機嫌になって帰ってきたが、まさかドクまであいつらを不機嫌にさせるとはなぁ』
「………………」
先程吐き捨てられた言葉のように父も二人に不愉快な思いをさせていたことに気付いて言葉に詰まるものの、申し訳ないと苦笑する。
「どうしても我慢できなかった」
己が全身全霊を掛けて愛する男を侮辱されたのだ、到底許せるはずがなかったと目を伏せたウーヴェに非難している訳じゃないとヒンケルが苦笑し、リオンに掛けられた疑いなどすぐに晴れると教えられて目を瞠る。
「どういうことですか?」
『詳しい話はまだ出来ないが、近々警察から発表がある。それを見てくれ』
「分かりました」
とにかく二人は怒り狂っているだろうからその怒りのとばっちりを食らわないように気を付けてくれと伝えて通話を終えたウーヴェは、リアが目を丸くして見つめていることに気付いて肩を竦める。
「近いうちに警察発表があるそうだ。それを見てくれと言われた」
「何かしら……?」
ヒンケルの声がいつにも増して厳しさと重苦しさを感じさせるものだったことに一抹の不安を感じたウーヴェは、とにかく発表があるまで待っていようとリアに告げ、駄目だと思いつつリオンの携帯に電話を掛けると、久しぶりに呼び出し音が聞こえた直後、リオンのものではない誰かの声が応答したために携帯を取り落としそうになる。
『……ウーヴェか?』
「!?」
応答することにも驚きだがその誰かがウーヴェの名前を呼んだことに更に驚いてしまい、誰だと声を低くして返事を待つが、聞こえてきたのは通話が途切れて不通になった事を示す音だった。
「どうしたの?」
「今誰かがリオンの電話に出たんだが、すぐに切れた」
「!?」
今まで何度電話を掛けても電源が入っていないことを教えるアナウンスが流れるだけだったのにと、驚きに目を丸くするリアにウーヴェも同じような顔で頷き、誰だったんだろうと疑問を口にして再度携帯を呼び出してみるが、やはり聞こえてきたのは電源が入っていないと言うアナウンスだけだった。
「本当に……何処にいるんだろうな」
ウーヴェの呟きにリアも同意を示すように頷き、帰ってくることが無理でも連絡ぐらい欲しいと、心配しているあまりに怒り出しそうになってしまい、ウーヴェが苦笑しつつ彼女を宥めると、ヒンケルが言っていた警察発表が気になると思案顔になる。
「今回の事件についてのことかしら?」
「リオンに掛けられた疑いなどすぐに晴れると言っていたが、さっきの調査に関係しているのなら、やはり今回の事件に絡んだことだろうな」
ヒンケルが重苦しい中にも僅かの希望を混ぜた声で伝えた言葉を反芻しながら顎に手を宛がったウーヴェは、シスター・ゾフィーの事件で何か新展開なり新発見なりがあったのだろうと頷き彼の言葉通りに待っていようとリアにも同意を求め、今日の業務を終える儀式のような挨拶を二人で交わすのだった。
ウーヴェの名前を呼んだと同時に奪われた携帯をじっと見つめたカインは、己の目の前でふらふらになりながらも携帯を取り戻すと同時にソファに座り込んだ幼馴染みを細めた視界で見つめる。
数日前、どれだけ酒を飲んでも酔えないんだ、そう暗く嗤いながらドアベルを押したのは青い瞳をアルコールと悲哀とで曇らせたリオンだった。
その時カインの部屋には仕事関係で知り合った女が裸のままベッドで待っていたが、リオンの顔を見るなり無言で女に服を突きつけて追い出し、最低のホモ野郎という罵声を無表情で聞き流したカインは、俯き加減のリオンを招き入れると誰も使うこともない部屋にマットレスを無造作に置いてそこで寝ろと行動で示した。
そんなカインにリオンも幼馴染みの心やすさから何も言わずに無言で頷き、シーツとだけ答えて望みのものを受け取った後、カインが何も言わずに何も聞かずにいる前でマットレスに倒れ込み、腕で顔を覆い隠す。
『……明日は一日仕事だから好きな時に出て行け』
何処にも出向く気力がないのならばここに好きなだけいろと、冷たい声であってもリオンにとっては優しい言葉を投げ掛けて唸るような返事を聞いたカインは、ビールも食い物も一応冷蔵庫に入っているとも伝え、静かにドアを閉めた。
その寸前に聞こえた嗚咽にも似た声がゾフィーの名前とウーヴェの名前を繰り返したのをしっかりと聞き届けていたカインは、何日ぐらいでリオンが立ち直るだろうかと思案し、先程追い出した女が忘れていったらしい手土産のワインを無造作に開けてボトルのまま口を付けてから女を追い出した部屋のベッドに横臥したのだ。
それ以降、カインが仕事に出ている間は何処かに出掛けているらしいリオンだったが、カインが戻る頃に不思議と帰って来ては酒臭い息でお休みとだけ告げてマットレスに倒れているようだった。
リオンが口を開かない限り、カインからも聞くことは無かった。
話したくなれば自ら話すだろうし、無理に聞き出したところで己に出来る事は居場所を貸し与えてやるだけだと思っているカインは、リオンが立ち直るのを静かに待っているようだった。
だが、仕事を終えて女の香水の匂いを身に纏ったカインが戻って来た後に暗い顔のまま戻って来たリオンがソファに倒れ込み、直角に置いたソファにカインが腰を下ろした夜、まるで胎児のように身体を丸めたリオンが、ゼップにゾフィーを殺されたようなものだと呟いた為にカインが無言で先を促すと、ゾフィーを殺した犯人は刑事になってからずっと一緒に仕事をしてきた仲間だったと答えられてさすがに絶句してしまったのだ。
『ジルをぶっ殺してぇ』
『……ああ』
だが自分たちの姉を殺した男はフィレンツェに向かうと残して消息不明になってしまったこと、ジルベルトを発見して殺したとしてもゾフィーは帰って来ないと嗤うリオンにカインも頷いて同意を示すと、あと少しだけ部屋を貸してくれと告げられて気にするなとだけ返すものの、ウーヴェに連絡を入れなくて良いのかと呟いて返事を待つ。
『………………』
だがいくら待ってもリオンからの返事は無かった為、カインもそれ以上は何も聞かずにいたのだが、翌日、リオンが携帯を放り出したままシャワーを浴びていた時、昨日話題にしたウーヴェからの着信があったのだ。
だから咄嗟に携帯を手に取りウーヴェかと問い返したのだが、背後から伸びてきた水を滴らせたままの手が携帯を奪い取り、無造作に電源をオフにしてソファに投げ出したのだった。
「……良いのか?」
「…………今はまだ会いたくねぇ」
本当はもっとも会いたくていつもいつでも傍にいたいウーヴェだが、今回の事件が解決するまでは会いたくはなかった。
あの優しい声を聞き温もりに包まれたが最後、自分は二度と立ち上がる事が出来なくなるのではないかという危惧がリオンの行動を制約してしまっていた。
だから、せめて事件が終わりを迎えるまでは会わないともう一度呟き俯いて携帯を見下ろしたリオンは、カインの溜息に顔を少しだけ向けると、ウーヴェには決してみせることのない暗い顔で嗤うのだった。