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「――思っていた以上ですね」
突然聞こえた声に、瑠璃香はハッとしてそちらへ視線を向ける。
廊下の先。少し離れたところに、藤代が立っていた。
「藤代さん……!」
「初日からここまで滞りなく動けるとは思っていませんでしたので、いい意味で驚かされています」
「あ……ありがとうございます!」
どうやら仕事ぶりを褒めてもらえたらしい。
嬉しくなって頭を下げる瑠璃香にニコリと微笑み掛けると、藤代が道をあけてくれる。エレベーターの階数表示が、このフロアに向けて移動しているのが見えて、瑠璃香は藤代に一礼すると小走りにエレベーターホールへ向かった。
***
新沼晴永の専属秘書として働き始めてから、数日。
初日の緊張が嘘だったかのように、小笹瑠璃香は少しずつ新しい仕事に馴染み始めていた。
もちろん、藤代や秘書課の先輩たちに教えてもらうことはまだたくさんある。
それでも晴永の予定を確認し、必要な資料を揃え、各部署との連絡を取りながら一日を組み立てていくことには、少しずつ余裕が生まれてきた。
何より、晴永と一緒に仕事をすることそのものには、やはり慣れている。
役職も立場も変わった。
けれど仕事をしている時の晴永は、瑠璃香が何年も見てきた〝新沼課長〟と大きく変わっていないから。
それが、とても有難かった。
***
ある日の午後。
「企画宣伝課、行くぞ」
「はい」
晴永に声を掛けられ、瑠璃香は必要な資料を手に立ち上がった。
新商品の販促企画について、企画宣伝課と確認しておきたいことがあるらしい。
エレベーターを降り、懐かしいフロアへ足を踏み入れる。
(なんだか変な感じ……)
ついこの間まで、毎日当たり前のように出勤していた場所だ。
月単位でさかのぼれば、今、自分の目の前を歩いている晴永だって一緒にいた。
それなのに、気が付けば自分は資料を抱え、晴永の半歩後ろを歩く立場になっている。
それが、とても不思議な感じがした。
「あ、新沼社長補佐。お疲れさまです」
「お疲れさまです」
「お疲れ」
晴永に気づいた社員たちが、次々と挨拶をする。
当然、その視線は後ろにいる瑠璃香にも向けられた。
「お疲れさまです」
奥の課長席から立ち上がった河瀬課長が、こちらへ歩いてくる。
「お疲れさま。河瀬課長。忙しいところ悪いな、急に来て」
「いえ。新商品の販促企画の件ですよね?」
「ああ。ちょっと確認したいところがあって」
「資料はこちらに揃えています。どうぞ」
河瀬に促され、晴永が課長席へ向かう。
瑠璃香もその後についていこうとしたところで、
「小笹先輩、お疲れさまです!」
背後から明るい声を掛けられ、足を止めた。
振り返ると、声の主――田貫がこちらを見ている。
「お疲れさま」
軽く微笑んで返すと、田貫が瑠璃香を上から下まで眺めて「なんか……」とつぶやいた。
「ん? 何?」
「……いや。小笹先輩、なんかすっかり秘書っぽくなったなぁと思って」
「えっ?」
思わず自分の格好を見下ろした。
企画宣伝課にいた頃は、動きやすさも重視したオフィスカジュアルが中心だった。
けれど、秘書課へ異動してからはそうもいかない。
来客対応はもちろん、晴永に同行して取引先と顔を合わせる機会もあるため、今ではジャケットを羽織ったスーツスタイルが基本になっていた。
「服装のせいじゃない?」
「いや、それもありますけど」
田貫はうーん、と首を傾げる。
コメント
2件
きっと服装のせいばかりじゃないよ!
読了しました🍀 瑠璃香が新しい環境に少しずつ馴染んでいる様子がじんわり伝わってきて、ほっとしました……! 田貫の「すっかり秘書っぽくなった」という何気ない一言が、彼女の変化を象徴していてグッときました。かつて同じフロアにいた頃とは違う距離感の中でも、晴永さんと一緒に働けることが救いになっているのが切なくも温かいです。 これからどういう関係性になっていくんだろう……次が気になります。