そんな事を思いながら駅の改札を抜けた私は電車が来るまでまだ少し余裕がある事を確認しながら階段を昇ってホームへと向かっていく。
そして、中央付近に差し掛かった頃、「あの、すみません」と肩を軽く叩かれ後ろから誰かに声を掛けられた。
「はい?」
声も聞き覚えの無いものだし、一体誰だろうと思い振り返ってみるとそこには、整った顔立ちで清潔感がある身なり、そして何より見るからに人の良さそうで優しげな爽やかイケメンが立っていた。
そんな彼が私なんかに何の用かと思いきや、「これ、落としましたよ」と何かを手にしながら差し出してくる。
「あ! 本当だ。すみません……全然気が付きませんでした!」
彼が持っていたのは薄ピンク色のパスケース。どうやら私はどこかで落としてしまったらしく彼はそれに気付いて拾い、届けてくれたようだ。
「階段を昇っている途中で落としていたので、気付けなかったんだと思いますよ」
「そうだったんですね、すみません、わざわざ」
「いえ、大した事はしていませんから。それじゃあ、俺はこれで」
「はい、本当にありがとうございました、助かりました」
私がお礼を口にしながら軽く頭を下げると、はにかむ様な笑顔を向けた彼は、そのままホーム奥の方へと歩いて行った。
(良い人もいるもんだなぁ)
受け取ったパスケースを鞄にしまい、電車が来るまでスマホでも見ようと手にした瞬間、
「今の男、誰?」
「一之瀬!?」
走って来たのか、少し息切れしていた一之瀬が私の元へやって来ると、少し怒ったような口振りでそう尋ねてきた。
「私が帰る時、もう帰社してたの?」
「ああ、ちょっと用あって総務に顔出してたから」
「そうなんだ」
「つーか、先に帰るなよ」
「ええ? でも、別に約束してた訳じゃないし⋯⋯」
「それはそうかもしんないけどさ⋯⋯待っててくれてるって、期待してたんだけど」
「ご、ごめん」
「まあそれは良いけど、今の男、何なの?」
待っていなかった事にも納得のいっていない一之瀬だったけれど、そんな事よりも先程の男性について気になっているようで相変わらず面白く無さそうな表情を浮かべながら再度問い掛けてきた。
「あの人は私が落としたパスケースを拾ってくれただけだよ」
「パスケース⋯⋯何だ、それだけか」
「何だと思った訳?」
「あー、何か親しげな感じだったから⋯⋯気になって⋯⋯」
「ふーん?」
ただパスケースを拾って届けてくれただけだと分かるや否や、どこか罰の悪そうな表情に変わった一之瀬は私から視線を逸らす。
「⋯⋯もしかして、ナンパでもされたと思った?」
コロコロ変わる表情が少し面白いのと可愛く感じた私がからかうよに問い掛けると、
「そうだって言ったら?」
からかわれた事が不服だったのか、またしても少し不機嫌さを滲ませながら質問を質問で返してくる。
「⋯⋯心配、してくれてるのかなって、ちょっと⋯⋯嬉しかったり?」
「何で疑問形なんだよ」
「だ、だって⋯⋯今までそういうの、された事ないから⋯⋯」
「お前、本当つくづく男見る目ねぇのな。普通好きな女が知らねぇ男に声掛けられるの見たら、気になると思うけど。ましてや『彼氏』なら尚更な」
「そ、そっか⋯⋯」
何ていうか、今の一之瀬を相手にするのは調子が狂う。
好きな人相手には結構独占欲強めのようだし、意外と心配性だったりと、本当に新たな発見ばかりだから。
意識すればする程、一之瀬が違う人に思える。
知らない人といるみたい。
でも、それも嫌って訳じゃない。
どこか新鮮な感じもするし、何より、『恋』してる実感が湧いてくる。
そして電車がやって来ると、共に乗り込んだ私たち。
帰宅ラッシュだから当然座席は空いていなくて端の方で並んで立つのだけど、妙に距離が近くてドキドキする。
いくら恋してる実感が湧いてくるっていっても、こんな些細な事ですら意識してしまう私は重症かもしれない。
それから一之瀬は当たり前のように自分が降りる駅をスルーして私の降りる駅で下車し、当たり前のように私を自宅まで送ってくれた。
(今日なんてまだ全然早い時間なのに⋯⋯)
そう言葉を投げ掛けたところで一之瀬ならきっと、「何時とか関係ない。俺が送りたいからしてるだけ」なんて答えるだろう。
一之瀬が過保護過ぎるのか、それとも、彼の言う通りこれまでの元カレたちが私に関心が無さ過ぎだったのか⋯⋯。
どちらが正解かなんて人それぞれなのだろうけれど私は、今一之瀬がしてくれる事が嬉しい。
「あの、送ってくれてありがとう。今日も、上がってく?」
この台詞に、深い意味は無い。ただ送って貰うだけは申し訳無いからお茶の一つでも出そという気持ちだけなのだが、どうやら一之瀬はそう取らないようだ。
「誘ってる? まあ俺としては嬉しいけど、悪い、今日はこの後予定あるから帰るわ。戸締まりきちんとしろよ?」
「誘ってないし! それに、言われなくても戸締まりくらいするよ⋯⋯けど、予定あるのにわざわざ送ってくれて、ありがとね」
「俺は当たり前の事してるだけだから。それじゃ、またな」
口角を上げて笑顔を見せてくれた一之瀬は手をヒラヒラさせながらくるりと身を翻すと、そのまま来た道を戻って行く。
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