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「…あつい。」カカワーシャが窓辺で、ぽつりと呟いた。
夏の教室は、蝉の声と扇風機のうなり声でむわっとしていた。
五時間目が終わり、みんながランドセルをガサガサ片付ける中、カカワーシャは額に貼り付いた金色の髪をかき上げた。
陽に透けたその髪は、孔雀の羽みたいにきらめいた。
「汗でベタベタするなぁ」
「帰ったらすぐにでも風呂に入らないとな。」
「出たよ、風呂好き。」
「けど僕も入りたいかも」
そんな他愛もない話をしながら帰る支度をする。
「これから帰りの会を始めます。」
◇◇◇
帰りの会が終わると、教室のざわめきが一気に外へあふれた。カカワーシャとべリタスはランドセルを背負い、校門を出て、夏の陽射しに焼けたアスファルトを並んで歩いた。
蝉の声が頭上で響き、汗が首筋を伝う。
「ねえ、べリタス」
カカワーシャが足を止めて、べリタスを呼ぶ声は、いつもより少し震えてた。
「なんだ」
べリタスは平然と返したけど、心臓が少し速く鼓動した。カカワーシャがこんな声で話すときは、いつも何か大事なことを言いかけて、でもやめてしまう。あの傷のことを話したいんじゃないか、とべリタスは思う。でも、カカワーシャはすぐに笑顔に戻った。
「…」
「やっぱりいいや!」
その笑顔は、まるで仮面のようだった。べリタスはそれを見抜いていた。カカワーシャが嘘をつくとき、いつも左の手でランドセルの肩紐をぎゅっと握る癖がある。今もその手は、肩紐をきつく締め付けていた。
「…そうか」
べリタスはそれだけ言って、歩き出した。カカワーシャも慌てて後を追う。二人の足音が、アスファルトに小さく響く。でも、べリタスの頭の中は静かじゃなかった。カカワーシャが隠しているものが、どんどん重く、鋭く、彼の胸を刺していた。
べリタスは気づいていた。カカワーシャが家で何をされているか。体育の時間、半袖の体操服から見える手首の青い傷跡。給食の準備でズボンをまくるたび、ふくらはぎに浮かぶ不自然な痣。カカワーシャはいつも「転んだだけ!」と笑うけど、べリタスは知っていた。あんな傷は、転んだだけじゃできない。あんなにたくさん、増えるはずがない。
夕暮れの空が赤く染まる中、二人はいつもの分かれ道に着いた。カカワーシャは「じゃあね!」と手を振って、細い路地の方へ走っていく。その手首に、また新しい傷がちらりと見えた。べリタスは立ち尽くし、その背中を見送った。カカワーシャの笑顔が、頭から離れない。でも、その笑顔の裏にあるものが、べリタスの心を締め付けた。
家に帰ってからも、べリタスは考え続けた。自分の部屋の小さな机に向かい、宿題の算数ドリルを広げたまま、鉛筆を握った手は動かない。カカワーシャを救う方法は何か? 先生に言う? でも、僕にすら言えないことなんだ。警察? そんなの、テレビの中の話だ。子供の自分に何ができる? 頭がいいと褒められるべリタスでも、この問題には答えが見つからない。
毎日、毎日、カカワーシャの傷が増えていく。笑顔の裏で、どんどん弱っていくのがわかる。べリタスは拳を握りしめた。自分はただの小学生だ。頭が良くても、力なんてない。なのに、なぜカカワーシャはいつも自分に笑いかけてくるんだ? なぜ、助けてくれと言わないんだ?
「くそっ…」
べリタスは小さく呟き、机に額を押し付けた。カカワーシャの笑顔が、傷だらけの手首が、頭の中でぐるぐる回る。傍観することしかできない自分が、情けなくて、悔しくて、たまらなかった。