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夢汰🌩️

1,931
紙に書いた名前は、朝には薄れていた。
何度書いても。
何枚書いても。
翌朝には、少しずつ色を失っていく。
まるで世界が、
その名前をなかったことにしようとしているみたいだった。
「……また?」
伊波ライが、机の上の紙を見る。
そこには何度も書かれた文字。
――伊波ライ。
小柳ロウは紙を握りしめた。
「何か知ってるだろ」
伊波は目を逸らした。
「知らない」
「嘘」
「……」
「お前、最初から知ってた」
小柳の声は責めるものではなかった。
ただ、確かめるようだった。
「俺が忘れない理由も」
「お前が消えていく理由も」
「全部」
伊波はしばらく黙っていた。
やがて。
「ロウってさ」
「何」
「諦めが悪いね」
そう言って笑った。
でも、その笑顔はいつもの明るいものではなかった。
二人は森の奥へ向かった。
林檎売りの一族が残した、古い屋敷があるらしい。
誰も近づかない場所。
忘れられた場所。
伊波は歩きながら話した。
「昔ね」
「林檎売りは、みんなから必要とされてたんだ」
「病気の人には元気を」
「苦しんでる人には希望を」
「林檎を食べた人は、少しだけ幸せになれた」
「じゃあいいものだったんじゃないか」
伊波は首を振った。
「代わりに」
「林檎売りは、大切なものを失う」
木々が揺れる。
「最初は記憶」
「次に名前」
「最後には存在」
「誰かを救うほど」
「自分が薄くなる」
古い屋敷の中には、一冊の日記が残されていた。
埃を払いながら、小柳が開く。
そこには昔の林檎売りの言葉があった。
『人を救うことと、自分を犠牲にすることは違う』
『誰かのために消えることは、優しさではない』
『残された人は、救われたままではいられない』
小柳の指が止まった。
「……」
伊波は黙っていた。
その言葉が、自分に向けられていることを分かっていた。
「お前さ」
小柳が言う。
「本当は怖いんじゃないのか」
伊波の肩が少し揺れる。
「何が」
「消えること」
沈黙。
長い沈黙。
そして。
「……怖いよ」
小さな声だった。
「ずっと怖かった」
伊波は笑おうとした。
でも、うまく笑えなかった。
「朝起きて」
「昨日のことを覚えてる人がいない」
「自分がここにいた証拠がなくなる」
「それってさ」
「思ってたより、寂しいんだよ」
小柳は何も言わなかった。
ただ。
初めて。
伊波の頭に手を置いた。
「……何してるの」
「確認」
「何の」
「いるかどうか」
伊波が目を丸くする。
「触ったら分かる?」
「分からない」
「じゃあ意味ないじゃん」
「でも」
小柳は言った。
「今ここにいるって思える」
伊波は目を伏せた。
そして。
「……ずるいなあ」
小さく呟いた。
屋敷の一番奥。
古い鏡が置かれていた。
鏡に映った伊波の姿は。
少しだけ透けていた。
「……」
小柳の表情が変わる。
「いつから」
「最近」
「嘘」
「……」
「もっと前からだろ」
伊波は答えなかった。
代わりに鏡を見る。
「俺ね」
「最後の林檎売りなんだ」
「だから」
「俺が消えたら」
「もう誰も、林檎を売れない」
小柳は拳を握った。
「じゃあ」
「終わらせればいい」
「え?」
「その呪い」
「なくせばいい」
伊波は悲しそうに笑った。
「簡単に言うね」
「簡単じゃない」
「でも」
小柳は伊波を見る。
「お前が消える未来を受け入れるよりは」
「ずっとマシだ」
その夜。
二人は屋敷を出た。
帰り道。
伊波が突然立ち止まる。
「ロウ」
「何」
「もし」
「俺のこと、忘れたら」
小柳を見る。
「その時は誤魔化さないで教えて」
小柳は眉を寄せる。
「忘れない」
「約束できる?」
少しだけ間があった。
「……できる」
「じゃあ信じる」
その翌朝。
小柳は目を覚ました。
机の上の紙を見る。
そこには。
昨日まで何度書いても薄れていた文字が。
はっきり残っていた。
――伊波ライ。
小柳は息を止める。
その瞬間。
森の奥から。
木の実が落ちる音がした。
コメント
1件
うわあ、すごく切ない回だった……。名前が薄れるっていう設定がもう、世界ごと彼の存在を消そうとしてるみたいでゾッとした。でも「触ったら分からない」のに「今ここにいるって思える」って言うロウの優しさが、余計に胸に来たね。呪いを終わらせるって宣言したところ、めちゃくちゃ熱かった。最後の朝、名前がはっきり残ってたのも希望の光。続きがすごく気になるよ。