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ワシが白川鍼灸治療院のガラス引戸を、ガラガラと賑やかな音を立てながら開けると、いつものように植村の小僧が漫画を読んでおった。
ワシが「おや」と思ったのは、いつもなら上半身裸で床に寝そべっておるのに、今日は、待合室のソファに座って、ちゃんと制服まで着ている。
まあ、それが当たり前の姿で、それで驚かれる小僧の方がどうかしておるのじゃが…
ワシに顔を向けた小僧が、「なんだ、雨森の爺さんかよ。腰でも悪くしたのか?」と憎まれ口を叩いてくる。
ワシが、「誰かを待っておるのか?」と聞くと、「別に…」と返してから、また漫画を読み始めた。
更に、「時雨はおるか?」と訊ねると、黙って間仕切りカーテンの奥を指差したので、治療室に籠っておるのじゃろう。
ワシが声を掛けようとすると突然、玄関のガラス引戸が開いて、「ハーイ!」という甲高い声が響き渡る。
ワシが目を向けると、玄関にセーラー服を着た金髪の白人女が、両手を広げてポーズを決めていた。
「何じゃ、また、おかしなのが現れおったぞ!」
呆れ返るワシを尻目に、漫画を放り出して立ち上がった小僧が、「ルナちゃん!セーラー服が似合ってるよ!」と大声で叫んでいる。
すると、その声を聞き付けた折原詩織が仕切りカーテンから顔を覗かせて、「あら。意外に似合っているじゃない!」と歓声をあげた。
いつの間にか姿を現した時雨も、白人女のセーラー服姿を笑顔で眺めている。
「あれが、言っておったルナ・クレメンズか?」
ワシが訊ねると、時雨は「奥へ」と言いながらワシを治療室へと誘う。
ワシが治療用ベッドに腰掛けると、その向かいに丸椅子を置いて時雨も腰を下ろした。
「クレメンズグループの小娘が、どうしてまだ日本に居座っておるのじゃ?
鍼供養で、魂魄の痼りを浄化したと聞いておったが、何か問題でも有ったのか?」
「問題というよりも、今、自分に何が必要か気付いたみたいです」
「ニューヨークの大金持ちに、これ以上何か必要な物でも有るというのか?」
ワシの素朴な疑問に対して、笑顔を浮かべた時雨が、「子供らしく生きるってことじゃないですかね…」と訳の分からないことを言ってきた。
「しかし、向こうで大学に通っていた小娘が、わざわざ日本の高校に通う必要などあるまい」
「それが、子供らしいってことなんですよ」
「日本語はどうしておるのじゃ?喋れんのじゃろう?」
「彼女のIQは百六十を超えているんです。
直ぐに喋れるようになりますよ。
それに、日本の高校の授業が理解出来なくても、今、アメリカの大学を休学しているので、全く問題は有りません。
それよりも、今は無邪気に子供時代を楽しむことが大切なのだと思います」
「何処に住んでおるのじゃ?」
「最近まで、ホテルのスイートルームで暮らしていましたが、子供らしくないという理由で、向かいの一戸建てを購入しました」
ワシは呆れて、「どっちらも子供らしくないわい!」と叫んでいた。
その叫びに、珍しく笑い声を上げた時雨が、「その家で、折原さんと一緒に暮らしていますが、凄く楽しそうですよ。さすがに日本人のサポートがないと一人暮らしは難しいですからね。折原さんも家賃が浮いたって喜んでいました」と聞きたくもない情報を吹き込んでくる。
ワシは、「折原もいい歳をして、高校生に下宿させてもらうとは、恥ずかしくないのか?」と呆れてしまう。
すると、時雨が思い出したように、「ところで、僕に用が有ったんじゃないですか?」と聞いてきた。
ワシも、「そうじゃ。そうじゃ」と気を取り直して、「白川流の宗家から伝言を預かっておる」と言うと、時雨の表情が急に険しくなる。
「先方は、時雨殿と休戦協定を結びたいそうじゃ。
どうやら、防犯カメラの映像からワシがあの場に居合わせたことを知って、細かい状況説明を要求してきおったわい」
「あれを、どう説明したのですか?」
「ありのままじゃ。口下手なワシに都合の良い作り話など出来るわけがなかろう」
「驟雨は、どう言っていましたか?」
「驚いておった。驚愕しておったと言った方が正確かもしれんのう。
お主を見くびっておったわけではないが、よもや、あそこまでの力を持っておるとは、夢にも思わんかったじゃろうな。
この目で見たワシでさえ、今だに信じられぬくらいじゃからのう」
「それで、休戦協定とはどういうことなのです?」
「要は、お主が怖いので仲直りがしたいということじゃ。
しかし、悪人の考えることなどどれも同じで、どうせ時間稼ぎのつもりなんじゃろう。
今のお主に乗り込まれたのでは、どれだけ警備を固めていたとしても、生き残れる確率はほとんど残されておらぬ。
白川流が作り出した究極の化け物じゃからな。
かというて、白川流のつてで警察を動かしたところで、犯罪を立証することすら出来んじゃろうから、正に、お手上げ状態というわけじゃ」
「休戦協定については、お断りしておいてください」
ワシは大きな溜息を吐いた。
「ワシは、親子の絆などと青臭いことを言うつもりはないが、どこかで落とし所を見つけんと、大変な泥試合になってしまうぞ」
ワシの言葉に頷いたものの、時雨が納得している風には見えない。
時雨が、「今は無理なのです」と寂しそうに呟いた。
無理もない。
雨音さんの事件についてもそうじゃが、翠雨君のことを忘れろという方が無理なのだ。
「のう。新しいメンバーも加わったことじゃし、飯でも食いに行くか?」
ワシが、時雨の気分を変える為にこう言うと、どうせ待合室で盗み聞きをしておったのじゃろう。
植村の小僧がいきなり飛び込んできて、「俺、焼き肉が食いたい!」と叫んだ。
「お前の意見など聞いておらんわ!」
そこに、金髪女まで乱入してきて「焼っき肉!焼っき肉!焼っき肉!」と騒ぎ始めた。
ワシは、金髪女を指差して「黙れ!何でワシがお前みたいな大金持ちに焼肉をご馳走せんといかんのじゃ!お前が払え!」と叫ぶと、小僧が果敢に応戦してくる。
「爺いのクセに、女子高生に奢ってもらおうなんて恥ずかしくないのかよ!」
金髪女も、「そうだ!そうだ!」と囃し立てている。
頭に来たワシは、時雨に向かって叫んだ。
「お主は、コイツらにどんな教育をしておるのじゃ!」
その言葉に、先程までの険しい表情を消しさった時雨が、柔らかな笑顔を浮かべている。
そう、それで良いのだ。
これから、長い長い戦いが始まるのじゃから、お主には鷹揚に構えていてもらわねば困る。
お主のように、強き力を持ちながらも、弱き者に寄り添える者など、居るようで居らんのじゃからな…
-完-
井野匠
さくらぶ
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