それから数日。
滉斗と涼ちゃんは、どこかぎこちないまま、仕事を続けていた。
ライブのリハーサル。
レコーディング。
楽曲のミーティング。
日常は何も変わらないはずだった。
でも、
涼ちゃんを見るたび、
滉斗はあの日の感触を、思い出してしまう。
ピアノの上で、熱く重なったあの夜。
そして、元貴——。
「……なぁ、涼ちゃん」
休憩中、誰もいないスタジオの隅。
滉斗は、小声で涼ちゃんに声をかけた。
「この前のこと……誰にもバレてない、よな?」
不安で仕方なかった。
元貴が、何も言わずにいつも通り接してくることが、
逆に不気味だった。
涼ちゃんも、俯いたまま、
小さく頷いた。
「……大丈夫、だと思う」
けれど、その言葉に、確信はなかった。
そのとき。
「なーにコソコソしてんの?」
背後から、陽気な声が飛んできた。
ビクリと肩を震わせるふたり。
振り向くと、
そこには、ニコニコと無邪気な笑顔を浮かべた元貴が立っていた。
「俺も混ぜてよ〜、秘密の話?」
冗談めかして言いながら、
元貴はふたりのすぐ隣に腰を下ろす。
至近距離。
息がかかるほどの近さ。
滉斗も涼ちゃんも、凍りついたまま、動けなかった。
「なに? 恋バナとか? 隠し事とか?」
元貴の声は、あくまで明るい。
けれど、その目だけは、
底知れない闇を湛えていた。
「……そんなの、あるわけないだろ」
滉斗が、必死に取り繕う。
でも声は震えていた。
元貴は、その様子をじっと見つめたあと、
ふっと微笑んだ。
「——そっかぁ。なら、いっか」
何も知らないフリをして、
立ち上がる。
「リハ再開するから、早く来いよ?」
手をひらひらと振って、
元貴は軽やかにスタジオの奥へ消えていった。
だが、その背中からは、
冷たく絡みつくようなプレッシャーが滲み出ていた。
滉斗も、涼ちゃんも、
深く息を吐いた。
「……ヤバいな」
滉斗が呟く。
「……気づかれてる、よね」
涼ちゃんも、唇を噛み締める。
(——どうしよう)
逃げ場なんて、
最初からなかったのかもしれない。
——
スタジオの奥。
元貴は、ひとりきりでギターを弾きながら、
小さく笑っていた。
「焦ってる、焦ってる」
弦をつまびきながら、呟く。
「可愛いなぁ……」
吐息のような声。
音楽という檻の中で、
自分から逃げられない二人。
じわじわ、じわじわ。
少しずつ、
壊していく。
焦らすのも、
堕ちていく過程を見るのも、
たまらなくゾクゾクする。
「まだまだ、これからだよ」
静かに、でも確実に。
元貴は、ふたりの心に、毒を流し込み始めていた。
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