「ファン?」
と後藤が七海に訊き返してきた。
「思い出した。
俺はラジオから流れてくる、こいつの笑い声のファンだったんだ。
それでなにか引っかかってたんだ」
「笑い声のファン……?
ああ、通販番組のサクラとかですか?
おお、とか、わあとか言う人。
あれ、掛け持ちしてる人も多いらしいですね」
「……それ、歓声上げてるだけで、笑ってないじゃないですか、後藤さん」
「いや、違う。
こいつ、ラジオ番組のアシスタントだ。
……いや、アシスタントだったのか…?
お前、笑ってるだけだったよな? ユウユウ」
「すみません。
会社でその名で呼ばないでください……」
と言いながら、ユウユウこと、貞弘悠里はへたくそな字でメモ帳にサインしてくれる。
メモ帳に鉛筆でサインしたの、はじめてなんだが……と思いながら、悠里は七海にメモ帳を渡した。
七海は満足したように頷いている。
「こんなものに書かせてすまなかったな。
ともかく驚いた勢いでサインを頼んでしまって」
また色紙買ってくるから、と言われる。
いえ……もう結構ですよ、と悠里は苦笑いしていたが。
七海は、改めてまた、その事実を思い出したかのように叫び出す。
「そうだ。
俺はお前のファンだったんだ!」
だから、なにか引っかかってたんだっ、という七海に、
「……ファンなのに、今まで気づかなかったとかあるんですか?」
と後藤が訊く。
「だって、こいつ、あの番組で、ほぼ笑ってただけだから。
でも、なんていうか。
そのなにも考えてなさそうな笑い声が俺の疲れを癒してくれていたというか。
そうか。
お前の笑い声を聴くと、幸せな気持ちになると同時に、嫌な気持ちにもなっていたのは。
受験勉強しながらラジオ聴いてたからだな」
あのときの切迫感を思い出した……と顔をしかめられる。
「そうですか。
ラジオの方、聴いてくださってたんですね」
「ラジオの方って、ラジオ以外にもなにかやってたのか」
と言う七海を後藤が、だから、ファンなのに知らないんですか、という顔で見る。
「地方CMなんかにも出てましたね」
「そんなのやってたか?」
「九州の」
「映るか」
「うち、おばあちゃんちがあっちにあって。
おばあちゃんちの近所の老舗佃煮屋さんに、悠里ちゃん、ラジオとか出てるのなら、うちのCMにも出てよって頼まれて出ただけなんですけどね。
まあ、ラジオ出てるって言っても、私、横で相槌打って、笑ってるだけだったんですが。
それでもいいからと押し切られて……」
「待て。
そのCM、顔も出てるのか?
ストーカーとかついたらどうするっ」
後藤が、
「……つきませんよ」
と小声で言うのが聞こえた。
「そういえば、ラジオの方、たまにトークもしてたから。
ユーレイ部屋に住むことになったとき、つい、いいネタ見つけたっと思ってしまったんですが。
よく考えたら、もう番組やめてカタギになってたんですよね」
遠くを見ながら、悠里はしみじみと語る。
「ラジオのパーソナリティとかアシスタントってヤクザな商売なのか?」
と言う七海に、
「夜遅い番組だったんで、昼夜プチ逆転生活で。
カタギっぽくない生活だなあって思ってたんですよ。
昼間寝てるときに選挙カーとか来ると、こいつには投票すまいと思ったり。
どのみち、アシスタントじゃ食べていけないので。
家出してから、派遣秘書になりました。
こっちの方がお給料もいいし、向いている気がしますっ」
と悠里は拳を作ったが、たまたま、そこにいた総務の綾田という名のイケメンまで、
いや~、それはどうだろうね~という顔をしていた。
「そういえば、ラジオで話聴いてたとき思ったんだが。
お前んち、そこそこ裕福な感じじゃなかったか?」
「そうでもないですよ。
でも、確かに人が見たら、ユーレイ部屋への転落人生な感じかもしれないですね」
「……いや、ユーレイ部屋は楽しそうじゃないか。
イケメンの大家に猫もいるし。
肝心のユーレイも見えていないようだしな」
と七海は言う。
「まあ、こうして、ふたたび出会えたわけだし。
仲良くやろう」
ポン、と七海の手が悠里の肩を叩いたが。
「……ふたたび出会ったのは、社長の方だけじゃないですかね?」
ラジオで聴いてただけなんでしょう? と後藤は冷静に語っていた。
悠里が帰り際、社長室に行くと、七海がしみじみ言ってきた。
「お前と昔からの知り合いだったとはな」
いや、だからそれ、一方的に社長が私を知ってただけなんですけど……。
「どうりでお前とは話が合うと思った」
いや、大抵の場合、全然噛み合ってないんですけど。
「そういえば、俺はラジオにメッセージ送ったことあるぞ。
ユウユウさんのファンですって」
「そうなんですか?」
「覚えてないか?」
悠里は、うーん、と頭を抱える。
「あまり私のファンですって送ってくる人いなかったですからね。
ほんとに添え物的にいただけなので」
「……よくそんなので、あんなに長くつづけられたな」
「はあ、なんか、ちょうどよかったらしいです。
でしゃばらず、引っ込みすぎず、邪魔にならない」
「そのアシスタントはほんとうに必要か……?」
と言ったあとで、
「貞弘」
と呼びかけてくる。
まっすぐこちらを見て、よく通る声でいきなり名を呼んできたので、ドキリとしてしまった。
だが、すぐに、何故、今、急に、と思う。
さっきまで、ゆうゆうとか、店子とか言っていたのに。
「……なんで今の方が呼べるんです?」
「ただのファンから脱却したいからだ」
夕陽を背にした整った顔で悠里を見据え、七海は言った。
「貞弘。
我が家で一緒にお茶漬けを食べよう」
……何故、お茶漬け。
付き合いの呑みとかで胃が疲れているのだろうかな。
社長も大変だなと悠里は思った。
帰り、なんだかんだで、社長の家でお茶漬けを食べることになった。
車の中で、リスナーからもらった応援メールの話になる。
「そうですねえ。
なんか純朴そうな、蛍の光で勉強してる感じの受験生の方ならいらっしゃいましたが」
「それ、俺だろ」
「純朴そうでしたよっ?」
と悠里は繰り返す。
「だから、俺だろ」
と七海も負けじと繰り返し言ってくる。
「社長はメールや手紙だと人格変わる系の人ですかっ?
うちの親、メールだと何故か敬語になるんですが」
「それはお前が親と喧嘩しているからでは……?」
いえ、元からですよ、と悠里は言う。
「うちの親、前から仕事のように打って来ますよ」
「飛び出したわりに、交流はあるんだな」
と呟いたあとで、七海は言った。
「俺が丁寧で純朴そうな文章になったのは、お前にメッセージを送るのに緊張していたからだ」
「何故、私なんかに送るメッセージで緊張するんですか……」
「だから……
ファンだからだろ?」
「じゃあ、今、横柄なのは何故ですか」
「もうファンじゃないからだろ」
ファンだとは知らなかった人だが。
もうファンじゃないと目の前で言われると、うっ、となる。
いや、どのみち、もうアシスタントの仕事はしていないんだが……、
と思ったとき、前を見たまま七海は言った。
「俺はもうお前のファンじゃない。
お前にプロポーズしているただの上司だ」
いや……ただの上司とか言われましても。
上司ってだけで緊張しますし。
そもそも、私を好きだから、プロポーズしてるわけじゃありませんよね?
単に、なんとなく、たまたま、ちょうどいい感じに私が近くにいたからですよね?
とか思っているうちに、その豪邸に着いていた。
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