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「ここは、ご家族とお住まいなんですか?
しんとしてますが」
そんなにあちこち、パチパチ明かりをつけて歩いたら、もったいない、と思ってしまうほどに、玄関からキッチンまでが長かった。
とても、独り住まいとは思えない大きなお屋敷だが、人の気配はまったくない。
夜はまだ冷えるのに、暖房をつけた様子もなく、何処もかしこも寒かった。
前を歩きながら、七海が言う。
「お住まいなわけないだろう。
あいつら、うるさいのに。
大丈夫だ。
家は片付いている。
俺のいない間に、掃除は済ませてくれているから」
使用人の方がですかね?
そして、今はいないんですかね? その使用人の方。
社長とふたりきりはちょっと気づまりなので、誰かにいて欲しいと思いながら、悠里は視線で、使用人の人を探していた。
今なら、霊でもいいから、なにかいて欲しい気分だ。
……使用人の人、どんな感じなんだろうな。
こんな広い屋敷だ。
大勢で掃除をしているのかもしれないが。
悠里の頭の中では、ひとりになっていたので。
このデカい屋敷をひとりで掃除するのにふさわしく、使用人の人は、巨人になっていた。
アラジンと魔法のランプの魔神のような感じだ。
箒でこの屋敷の屋根の上を掃いている。
しまった。
大きすぎて、この家の中に入ってきてくれそうにない、と悠里はおのれの妄想に絶望する。
「よし、お茶漬けを用意しよう」
「あ、手伝います」
使われた形跡を感じないくらい綺麗な、だだっ広いアイランドキッチン。
黒い天板の上には、同色の小洒落た電気ケトルしかない。
とりあえず、それでお湯をわかしながら、辺りを見回していて気がついた。
「あ、社長の手下、その一」
白くコロンとしたおかゆメーカーが後ろの棚にあった。
その横に炊飯器。
手下、その二だ。
炊飯器で、おかゆも炊けるのでは、とも思うが。
キッチンが広いから家電が並べてあっても、邪魔にはならない感じだな、と思う。
「おかゆを炊いてくれる手下か」
と言いながら、七海は、食器棚の引き出しから、悠里の家や、北原の家にもあるごく普通のお茶漬けのもとを出してきた。
つい、じっとその手元を見つめてしまい、
「どうした?」
と問われる。
「いえいえ。
なんか、この屋敷のキッチンから出てくるお茶漬けの素は、すごいお茶漬けの素な気がしていたので」
大量の金粉と金箔だけが入ってるとか、と言って、
「それ、味しないうえに、食べにくいだろ」
と言われる。
まあ、確かに……。
「お前にやろう。
部屋にでも飾れ」
と東海道五拾三次カードを渡される。
「……ありがとうございます」
うちにもありますけどね、と思いながらも、ありがたくいただいた。
「東海道五拾三次カードって、基本、なんに使うんですかね?」
「……永谷○に問い合わせろ」
などという会話を貴族の邸宅の晩餐会みたいな長い長いテーブルで向かい合い、していた。
大きなテーブルの上には、ぽつんと茶漬けが二つ。
こちらの言いたいことを汲み取ったかのように、七海が言う。
「サイズ感を誤って買ったんだ。
適当にカタログを見て、このシリーズの一番デカいのを、と言ったら、これが来た」
「このテーブルが普通に収まっていることが一番怖いです」
と悠里は言う。
悠里のワンルーム ユーレイ部屋にこのテーブルを置いたら、両隣の壁を突き破ってしまう。
ユーレイも居場所がなくなることだろう。
悠里は、右を見て、左を見て、このテーブルを見て呟いた。
「あと壁に肖像画が並んでて、天井に今にも落ちてきそうなでっかいシャンデリアがあったら、なにかが起こりますね」
「座席に席札があっても、なにかが起こるな」
と言ったあとで、七海は言う。
「まあ、椅子、二つしかないから殺されるのは俺たちのどちらかで。
殺すのも、俺たちのどちらかだろう」
「椅子、増やしてください……」
「いや、一個で頼んだら悪いなと思って。
二個頼んだだけで、家に人を呼ぶことはないので、そんなにたくさんはいらない」
家に人を呼ぶことないのか。
モテそうなのに、彼女とかいなかったのだろうか。
……まあ、あんな感じだからな、と悠里は、七海に、
「いや、どんな感じだっ?」
と言われ、後藤に、
「そんな感じですよね」
と言われそうなことを思う。
「そういえば、隣の部屋に飾ってある椅子は友人に引っ越し祝いにもらったアンティークなんだが。
血塗られた宮殿の椅子らしい」
「やっぱり血塗られてるじゃないですか……」
「破格の120万だったとか」
「血塗られた椅子、破格でも買わないですが、普通」
「血塗られてるのは、宮殿で椅子じゃないぞ」
でも、なんか怨念とか因縁とか飛んで染み付いてそうではないですか、と悠里は思った。
もしや、この椅子もっ? と悠里は座っていた椅子から、腰を浮かせたが。
「それは、新進気鋭のデザイナーの250万の椅子だ」
「……何故、血塗られた歴史ある椅子の方が安いんですか」
「……買う人いないからじゃないのか?」
と七海も認める。
いや、120万でも充分高いのだが――。
「すみません。
お手洗いをお借りしてもいいですか?」
「そこを出て、左だ」
はい、と立ち上がった悠里は、
そこを出て、左……と口の中で呟きながら扉を開け、歩いていく。
左だと軽く言われたけれど。
広いよ、この家、と思う自分の後ろを誰かが横切った。
何者っ?
ここ、社長しか住んでいないはずなのにっ、と慌てて振り向く。
黒いなにかのようだった。
小首を傾げながら、しばらく歩いてトイレにたどり着き、戻ろうとしたとき、また背後をなにかが駆け抜けた。
誰っ?
社長以外にこの家にいるのは、頼りになる手下たちだけのはずっ。
炊飯器!?
おかゆメーカー!?
ルン○!?
広い広い家を健気に走っているのだろうか、手下、その3 ○ンバが。
……でも、ル○バにしては、音がしなかったな。
そう思いながらも、悠里は七海の待つダイニングに戻っていった。
「あ、じゃあ、私、そろそろ帰りますね」
そう悠里が言うと、
「帰るのか」
と七海は言う。
「これから二人で、なにか食べに行ってもいいかなと思っていたのに」
「いや、今、お茶漬け食べましたよね……?」
「あんなものでお腹がふくれるわけないだろう」
じゃあ、何故、お茶漬けに誘いました?
と思ったのだが、七海は、
「この間、ひとりでここでお茶漬けを食べていたんだが。
広い部屋に、ぽつんと一人でお茶漬け。
この向かいのほとんど人が座ったことのない椅子に、お前が座って笑っていてくれたらな、とちょっと思ってしまったんだ」
と言う。
「なんかちょっと照れますが。
でもそれ、このテーブルが大きすぎるから、ぽつんと感が増して、そう思ってしまうだけなんじゃないですかね?」
「お前は物事を冷静に判断しすぎるぞ。
そんなんじゃ、誰とも恋に落ちれないぞ」
「社長こそ、いつも冷静そうなんですけど」
「だから、俺から冷静さが消えたとき。
そのときこそが、俺が心底、お前に惚れたときなんじゃないかと思うんだ」
ということは、今は心底惚れてはいないのですね。
当たり前ですが。
「まあ、ともかく、今日は帰ります。
私はお茶漬けで結構お腹いっぱいなんで」
「そうなのか、送ろう」
「いえ、大丈夫ですよ」
と悠里は椅子の足元に置いていた鞄を手にとりかけて、あ、と言う。
「そういえば、さっき、屋敷の中を黒いものが駆け抜けてったんですけど、ルン○ですか?」
「いや、こんな時間に動くようにはしてないが」
そうなんですか、と悠里は小首をひねりながら、結局、家まで送ってもらい。
見えもしないユーレイに、
「ただいま帰りました」
と挨拶したあとで。
やっぱり、お腹が空いたので、ひとりコンビニに向かい、歩いていった。