テラーノベル
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境界を開けた夜から三日。
ハルは外へ行く方法を考えるのをやめていた。
正確には、考えないようにしていた。
畑を手伝い、父の点検について回り、学校へ行く。
村は以前と同じだった。
なのに、見えるものだけが変わった。
診療所の薬。
補修された配管。
何度も縫い直された服。
古い発電機。
全部が「いつまで」という言葉につながって見える。
昼休み、ミオが隣へ座った。
「最近、静かだね」
「悪い?」
「悪くない。気持ち悪い」
「何だよ」
「外のこと考えてないの?」
「考えてる」
「じゃあ何で何も言わないの」
ハルはパンをちぎった。
「怖くなった」
ミオは笑わなかった。
「外が?」
「それも。でも、俺が間違ってるかもしれないのが」
シンの言葉が残っている。
二百五十八人の安全。
「門を開けることが、本当にみんなを危険にするなら、俺が勝手にやるのは違う」
「うん」
「でも誰も今の外を知らない」
「うん」
「どうしたらいいんだよ」
ミオは少し考えた。
「昔危険だったことは分かった」
「うん」
「今も危険かは?」
「分からない」
「じゃあ、次に調べるのはそこ」
「どうやって?」
「記録」
ミオは古い管理棟で見た中央通信の最終日を紙に書いた。
「この日から後の記録」
放課後、二人はセイジを訪ねた。
「昔の授業記録を見たい?」
「はい」
「何のためだ」
ミオが答える。
「外について、いつまで同じことを教えてるのか知りたいです」
セイジは困った顔をした。
「変な調べ方をするな」
「ありますか?」
古い教材は学校の倉庫に残っていた。
二十年前。
三十年前。
四十年前。
『境界外への立入りを禁ず』
『外部環境は危険』
『中央指示を待つ』
文言は少しずつ変わる。
でも内容は同じ。
「これ、誰が更新してるんですか?」
「教師だ」
「外の情報は?」
「管理記録を参考にする」
「新しい情報がないときは?」
セイジは答えに詰まった。
「前の教材を使う」
ハルが顔を上げた。
「じゃあ、外が危険って、新しい情報じゃない?」
「昔の記録に根拠がある」
「今の話です」
セイジは椅子へ座った。
「お前の言いたいことは分かる」
「じゃあ何で教えるんですか」
「安全だからだ」
「本当か分からないのに?」
「分からないから、安全な方を選ぶ」
「いつまで?」
セイジは黙った。
ハルはその沈黙に腹が立たなかった。
先生も答えを持っていない。
夕方、ゲンの工房へ寄った。
「また来たか」
「ゲンじい。ソウさんが出たころ、外が危険って新しい連絡は来てた?」
老人の顔が曇る。
「来てない」
「何年くらい?」
「覚えてない。長かった」
「それでもみんな待ってた?」
「待つ以外、何ができた」
「確かめる」
「それを兄貴がやった」
「だから聞いてる」
ゲンは黙った。
「ソウさんが出たあと、誰か続かなかった?」
「いない」
「何で?」
「戻らなかったからだ」
「でも死んだか分からない」
「人はな、分からないものを怖がる」
ゲンは古い部品を磨きながら言った。
「それ自体は悪いことじゃない。怖がらなきゃ死ぬこともある」
「でも、怖がり続けたら?」
ゲンの手が止まった。
「それも、分からん」
その夜、ハルは父に聞いた。
「父さん。今も危険だって、誰が決めたの?」
トウマは夕食の箸を止めた。
「誰って」
「昔の中央?」
「最初はそうだろう」
「最後に連絡来たの、いつ?」
「知らない」
「じゃあ今は?」
「村で決めてる」
「いつ決めた?」
「毎回決めるようなことじゃない」
「何で?」
トウマが眉を寄せる。
「ハル」
「外が危険だから閉じる。昔は分かった。でも今も閉じるって、誰が決めたの?」
ユイも黙って聞いている。
「シンさん?」
「一人で決めてるわけじゃない」
「じゃあ大人みんな?」
「そういう決まりなんだ」
「誰が作った決まり?」
トウマは答えない。
「昔の人?」
「そうだ」
「その人たちは今の外を見た?」
「……見てない」
「じゃあ」
ハルは言った。
「今も危険だって、誰が決めたの?」
長い沈黙。
答えはなかった。
その夜、眠る前にナナが部屋へ来た。
「お兄ちゃん、外行くの?」
「行かないよ」
「ほんと?」
「今は」
「お母さん心配してた」
ハルは妹の頭を撫でた。
「ごめん」
ナナが出ていったあと、ハルは天井を見た。
行きたいから外へ行く。
そんな単純な話ではなくなっていた。
父が怖がる理由も分かる。
シンが守ろうとしているものも分かる。
それでも疑問は消えない。
昔の危険を、今の危険として扱い続ける。
それはいつまで正しいのだろう。
翌朝、ミオが言った。
「中央通信の記録、もう一回見たい」
「古い管理棟?」
「うん」
「父さんに見つかる」
「今回は勝手に入らない」
「じゃあ?」
「見せてって頼む」
ハルは驚いた。
「誰に?」
「トウマさん」
「絶対だめって言う」
「聞いてみないと分からない」
その日の夕方、二人はトウマの前に立った。
ミオが説明した。
最後の通信がいつだったのか。
その後、外について新しい情報があったのか。
それを確認したい。
トウマは長いこと黙っていた。
そして言った。
「シンに聞いてみる」
ハルは耳を疑った。
「いいの?」
「まだいいとは言ってない」
父は疲れたように息を吐く。
「ただ、お前らを止めても、別の窓から入るだろ」
「入らないよ」
「信用できん」
ミオが小さく笑った。
二日後。
シンから返事が来た。
古い管理棟の記録を、大人同伴で見ること。
それが条件だった。
ハルはミオを見る。
ミオも頷いた。
知りたいのは、昔何があったかだけではない。
最後に誰かが外を知っていた日。
その日から、村は何を根拠に境界を閉じ続けてきたのか。
答えは、古い記録の中に残っているかもしれなかった。
許可を待つ二日間、ハルとミオは学校の古い教材をさらに並べた。
古いものには、『中央管理局の指示に従い』とある。
次の年代では、『管理規則に従い』。
さらに新しくなると、『村の規則に従い』。
「中央が消えた」
ハルが言った。
「文章からはね」
「でも禁止は残ってる」
ミオは三枚を順に置いた。
「これ、誰かが一回で変えたんじゃない」
「少しずつ?」
「たぶん。書き直すたびに、その時の人が分かりやすい言葉にしたんだと思う」
ハルは自分のことを考えた。
つい最近まで、中央という言葉さえ知らなかった。それでも「境界の外へ出てはいけない」は知っていた。
理由より規則の方が長く残ったのだ。
セイジは二人の作業を遠くから見ていたが、やがて椅子を持ってきた。
「先生も見る?」
「俺の教材だ」
「じゃあ、外部環境は危険って書いたの先生?」
セイジは一瞬黙った。
「前の教材から引き継いだ」
「確かめずに?」
「そうだ」
先生は逃げなかった。
「教師としては、危険かもしれない場所へ子供を向かわせる情報を書くより、安全側に残す方を選ぶ」
「でも、それで俺たちも同じこと書くようになったら?」
「その可能性はある」
セイジは古い紙を持ち上げた。
「だから、お前たちがこうして比べたことには意味がある」
「先生、俺たちの味方?」
「味方とか敵とかで考えるな。俺はお前たちが勝手に外へ出るのには反対だ」
「やっぱり敵」
「話を聞け」
ミオが笑う。
「ただ、教えていることに根拠があるか聞かれたら、答える責任はあると思ってる」
その日の授業で、セイジは初めて中央のことを話した。
昔、この居住区を含む複数の場所をまとめる仕組みがあったこと。連絡や物資の供給があったこと。今はそれがないこと。
教室はざわついた。
「他にも村あるの?」
「今もあるかは分からない」
「外に人いるの?」
「分からない」
「じゃあ先生も知らないの?」
「知らない」
セイジは何度もそう答えた。
先生が「知らない」と言うたび、世界が狭くなるのではなく、逆に広がっていく。
授業のあと、同級生の一人がハルへ言った。
「お前のせいで変なこと覚えた」
「悪い?」
「いや。家で聞いてみる。ばあちゃんが中央って知ってるか」
それを聞いて、ハルは少し怖くなった。
自分とミオだけの疑問ではなくなり始めている。
夜、トウマに話すと父は言った。
「だから大人は慎重になる」
「みんなが考えるのが危ない?」
「違う。考えたあと、全員が同じ答えになるとは限らないからだ」
外へ出たい人。絶対に出たくない人。門を開けたい人。閉めたい人。
「じゃあ、どうするの?」
「話すしかない」
「決まらなかったら?」
「それでも話す」
父は疲れた顔で笑った。
「共同体ってのは、機械より面倒だ」
境界の問題は、鍵を見つければ終わる話ではない。
外が安全だと分かっても、それだけで全員が門を開けたいと思うとは限らない。
答えを出す前に、まだ足りないものがある。
二日後、管理棟へ入る許可が出た時、ハルの気持ちは以前とは違っていた。
秘密を暴くためではない。
村のみんなが考えるために必要な事実を、一つでも増やすためだった。
コメント
1件
読んだよ〜!!😭✨ この「いつまで」っていう問いかけ、めっちゃ刺さった…。ハルが父さんやセイジ先生、ゲンじいに同じ質問を繰り返すシーン、どれも答える側が黙っちゃうのがもうね…「昔の危険を今も正しいとして閉じ続けるのはいつまで?」って、閉鎖世界の根幹を突いてると思ったよ。ミオが「知らないを認める先生の言葉で世界が広がる」ってとこ、すごく良かった。答えがないことを共有するのも大事な一歩なんだね。次、管理棟で何が出てくるのか超気になる!!📖💕