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「アリカが言うにはね。自分にはイクセさんしか居ないのに、イクセさんには仕事も家庭もあって自分だけを見てくれるわけじゃないからって。それはもちろん分かってるんだけど、目の当たりにするのは辛いからって……はぅぅ……アリカぁ」
鼻をすすり始めた。
「いくせー? 戻ってこいー?」
「……そうなんだよ、色々あるんだよ」
目尻を指で拭うと、幾ヶ瀬はガスを止めた。
「有夏、お昼食べたら今のクダリを実践……」
「やんねぇよ」
「そう言わないで……」
「知らねぇよ」
「ね、あり……」
突然、幾ヶ瀬が息を呑んだ。
そして沈黙。
「なに?」
気を引きたいが故の幾ヶ瀬の作戦だろうか。疑わしく感じながらも、有夏とて気になるのだろう。「どしたよ」ともう一度尋ねた。
幾ヶ瀬は唖然とした顔で有夏の胸元を指さしている。
有夏が咄嗟に身を捩ったのは、幾ヶ瀬の指先が乳首を狙っているように感じたからだろう。
だが、今回ばかりはそういうわけでもなかったようで。
「あ、有夏、それ……」
幾ヶ瀬の指が指しているのはTシャツの胸元。
そこには鮭の切り身のリアルなイラストがプリントされていたのだ。
「あー、鍋ん中といっしょだな。姉ちゃんの北海道土産だわ、コレ」
「だからって切り身の絵?」
よく見つけたものだと感心するようなTシャツを好んで着る有夏だと、一頻りその図柄にウケた後、今度は半袖の寒々しさが際立ってくる。
あらためて確認するまでもないが、下は例によって短パンであった。
「まるっきり夏の服装じゃない! 有夏、寒くないの!?」
「んぁ? まぁ寒いっちゃあ、寒い」
「何で長袖着ないの? まさかゴミ部屋のゴミの下に……」
ゴミ部屋じゃねぇよと、有夏が露骨に顔をしかめる。
この前、幾ヶ瀬と共に片づけをしたままの状態を保っているという。
「怪しいもんだな……。とりあえず俺のパーカー出すから着て。あと、ご飯をレンチンする前にアレ出すわ」
「アレ?」
冷凍室からラップに包んだご飯を2つ取り出して茶碗に移してから、レンジの分数を有夏に指示する。
自身は部屋のクローゼットを開けて、上の棚から大きな布を引きずり出した。
座卓の天板を外すとそれを被せ、また天板を戻す。
最後にコードをコンセントに刺した。
「ウソ、コタツ!? うひょー!」
有夏が頭からもぐりこむ。
「早く早く! スイッチ!」
頼んだレンチンをすっかり忘れていることに苦笑しながらも、幾ヶ瀬はこたつの電源を入れてやった。
「はいはい、すぐにご飯持ってくるからね」
本当は掃除機をかけてからコタツに模様替えをしたかったんだけど、まぁいいかと独り言。
野菜と鮭のソテーを皿に入れて戻ると、有夏はトロリと表情を緩ませて首元までコタツの中に入り込んでいた。
さして大きくない卓なのだが、反対側から足が出ていないのは中で身体を折り曲げているに違いない。
「あったかー。コタツって冬の魔法だ……」
苦笑しつつ、ご飯とお茶を運んできて幾ヶ瀬も腰を下ろした。
「有夏、起きて。ご飯食べるよ」
「んぁー……」
「有夏! 寝ちゃうよ?」
「寝ないって……あったかー。一生ここから出たくない……」
ダメ人間の発言にも幾ヶ瀬は寛容だ。
「じゃあ寝てていいよ。俺が口移しで食べさせてあげるから」
「いく……」
想像して顔を赤らめるかと思いきや、有夏は途端に笑い出す。
「口うつしって……ペンギンの親子かよ!」
「ペン……っ」
馬鹿笑いされて、幾ヶ瀬もさすがにムッとしたようだ。黙り込んでしまった。
「やれやれ。めんどくせぇ」
のそのそとコタツから出る有夏。
ズルルと這うように幾ヶ瀬の元へにじり寄ると、その胸に身をあずけた。
幾ヶ瀬の喉元に顔を擦り付ける。
「ここもあったかいから、けっこう好きなんだけどな」
「あり……」
幾ヶ瀬の方が赤面する。
両手で有夏の頭をかき抱くと、自身の胸にぎゅっと押し付けた。
「こたつ片付けたら、ずっとこうしててくれる?」
コタツを片づけるなんて悪魔の所業かと怒りだすと思っていたのだろう。
しかし有夏が返事をすることもなく低い声で笑っただけだったので、幾ヶ瀬は手を放すタイミングを失してしまった。
「有夏、好きだよ……あでっ!」
有夏の鮭の切り身に指を這わすと、今度は容赦なく手の甲を叩かれてしまう。
「ごはんが先だろうが」
「だ、だね……」
これからコタツ生活が始まり、有夏のダラけっぶりに拍車がかかるわけだが。
イチャつきたい幾ヶ瀬と、コタツから離れたくない有夏の間に少々剣呑な空気が流れることもあるのだが。
今日のところは2人は仲良くコタツに入って昼食を共にした。
「魔法のアイテム」完
22「いいところ」につづく
※今回も読んでくださってありがとうございました※
※ときどき、♡を投げてくださる方もいらっしゃって、感謝の思いでいっぱいです※
※また来週、新しいお話を投稿します※