テラーノベル
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一瞬の静寂。
最初に口を開いたのはリオネルだった。
「シリル、今はふざけている場合ではない。真剣に答えてくれ」
「別にふざけてる訳じゃないよ。ホントの話。レジーナ様はエリカを突き落としてないよ」
「……何を、言っている?」
困惑するリオネル。彼はシリルの顔を凝視した。
シリルは薄っすらと笑ったまま答える。
「ああ、でも勘違いしないでね? 別にエリカに頼まれて嘘ついてたとか、そういうんじゃないから」
「……シリルくん? 何を言ってるの?」
突然の裏切り行為に、エリカの声が震える。
それに気付いているのかいないのか。
シリルは気にした風もなく、軽く肩を竦めてみせた。
「だってさー、別に言われなくてもわかるでしょう? エリカが僕に何を望んでるか、僕にどう立ち回って欲しいかなんて。それこそ……」
彼の視線がレジーナに向く。
「レジーナ様みたいに心が読めなくたって、エリカのことなら、何だってわかるよ」
瞳の奥に広がる闇。
ドロリとした何かに気圧される。
「……ねぇ。レジーナ様ってさ、ホントに人の心が読めるの?」
レジーナは答えない。恐怖に一歩後ずさる。
突然、シリルの姿が消えた。
次の瞬間、レジーナは右腕に走った痛みに悲鳴を上げる。視線を向けると、シリルが腕を掴んで立っていた。
(転移!?)
短距離とは言え、ダンジョンの中で跳ぶなんて。
底知れない力にゾッとして、レジーナは彼の手を振り払おうとした。
しかし、無造作に掴まれた腕はビクともしない。
「だったら、ねぇ、読んでみてよ。僕が何を考えてるのか」
ギリと腕が捻られる。
恐怖と痛みに、レジーナの読心の制御が弛んだ。
途端、流れ込んで来たシリルの心の内。
思考というよりもドロドロとした感情――エリカに対する妄執が伝わってくる。
(……気持ち、悪い……)
吐き気を催すほどの感情の渦。暗くて重い。
レジーナは震えた。逃げ出したくてたまらない。
不意に聞こえた単語に、レジーナはハッとする。エリカに向かって叫んだ。
「エリカ! 指輪を外して!」
「え?」
流れ込む歓喜の声。大願が成就する直前の――
「リオネル! お願い、エリカの指輪を外して!」
「いや、しかし……」
「お願い!」
レジーナの剣幕に、リオネルが押される。彼はエリカの手に触れた。しかし、「いやいや」と首を振る彼女に動けなくなる。
代わりに、アロイスが動いた。
「キャアッ!?」
アロイスがエリカの腕を掴んだ。彼女の指から指輪を引き抜こうとする。
「止めて!アロイス!痛いわ!」
「アロイス、止めろ!」
エリカの悲鳴。
リオネルがアロイスを制止しようとする。
レジーナは、必死に訴えた。
「止めないで、リオネル! 私だって何でも読めるわけじゃない! だけど、その指輪は駄目! 危険よ!」
レジーナが叫んだ途端、リオネルがピタリと動きを止めた。
理解してくれたのか。
そう思ったが、レジーナは異変に気付く。
彼だけではない。エリカもアロイスも動きを止めていて――
「なに、これ……?」
動こうとしたレジーナの身体も動かない。
息はできる、口も動く。目だけを動かして周囲を確認することもできた。
だが、首や手足がピクリとも動かない。
皆も同じなのか。不自然な格好で止まったまま、その顔を強張らせている。
「シリル! 貴様、何をした!」
視界の端でフリッツが叫ぶ。
レジーナの隣で、場違いなほど呑気な声が答えた。
「ああ、やっと効果が出てきた? 遅効性のバインドだよ。あんまり大っぴらにやると、英雄様に勘づかれるかもしれないと思って、ゆーっくりかけてみたんだ」
レジーナは、大きく息を吸って助けを呼んだ。
「クロード!」
「ああ、無駄だよ。部屋に結界と防音を張ったから。聞こえたとしても、今の英雄様じゃ魔力がないから、この部屋に一歩も入れないだろうね」
「シリル。何のつもりだ? ことと次第によっては許さんからな」
フリッツが拘束に抗おうとする。
シリルが楽しそうに笑って、指を振った。
途端、フリッツが苦悶の声を上げる。
「無駄だよ、殿下。殿下の魔力阻害の装飾品って、僕が作ったんだよ? 僕の魔法は無効化できないし、無理したら死ぬからね?」
視界の端で、青ざめたアロイスがフリッツの名を呼ぶ。
未だ苦悶の表情を浮かべるフリッツが「大丈夫だ」と答えた。
「うん、まぁ、下手に動こうとしなければ大丈夫だよ。耳も聞こえるし、口もきけるんだから、別にいいでしょ? 少しだけ、僕に付き合ってよ」
何でもないことのように口にするシリル。
レジーナの血の気が引く。
底の知れない深い穴の淵。
覗き込む思いで、レジーナは口を開いた。
「……シリル、あなたの目的は何なの?」
「あれ? レジーナ様、それは読めなかったの?」
「あなたの中はドロドロでグチャグチャ。ちゃんとした思考なんて読めないし、読みたくもないわ」
「ハハ! 何それ?」
シリルはレジーナの言葉に気分を害した様子もない。ただ笑って、「仕方ないなぁ」と呟く。
「これは一応、この場に居る全員に知っておいて欲しいから、話すね」
そう言って、彼は語りだす。
「最初はさ、単純に入れ替えようと思ったんだ。転移魔法を応用すれば、いけるんじゃないかと思って。で、媒体があればイケるって分かった。けど、いざ実践ってなった時に……」
榛色の瞳がレジーナを見る。
「レジーナ様が思った以上に抵抗するからさぁ」
「抵抗? 入れ替えるって何を……」
「ん? 勿論、エリカとレジーナ様だよ」
「え?」
彼が口にした言葉を、レジーナは理解できなかった。沈黙する。
シリルが焦れた様子で繰り返した。
「だぁかぁらぁ、エリカとレジーナ様の中身、魂を入れ替えるって話」
レジーナの脳がジワリと言葉を理解し始める。
血が凍り付くような怖気が走った。
(……入れ替える?)
人の中身を?
そんなことが、そんな恐ろしいことが、本当に可能なの――?
「なん、で……、どうして、そんなこと……」
レジーナの声が震える。
嘘であってほしい。冗談であれと願う。
シリルは気づく素振りもなく、「え?」と驚いたような声を上げた。
「なんでって、単純な話でしょう? エリカが望んでたからさ」
当然と言わんばかりのシリル。
エリカがか細い声を上げた。
「わ、私はそんなこと望んでいないわ……」
「えー? 望んでたじゃない」
シリルがにこやかに返す。
「エリカは、貴族のご令嬢みたいな生活がしたかったんでしょう? たくさんお金を使って、綺麗に着飾って、みんなから羨ましがられたかった。違う?」
「違う! そんなの思ってない。嘘よっ!」
「嘘じゃないよ。高位貴族に嫁いで、一生、みんなにかしずかれて、チヤホヤされて生きていきたいって思ってたでしょ?」
「違う、違う、違う! 私はそんなこと……!」
エリカが否定するが、シリルの耳には届かない。
彼は楽しそうに話し続ける。
「ついでに、結婚相手は格好よくて、強くて、みんなに自慢できる相手がいいんだよね? 例えば、リオネルみたいな」
「違うわっ! シリル、どうしてそんな酷いことを言うの!」
「え、酷いこと?」
目に涙を浮かべるエリカ。
シリルは困ったように告げる。
「別に、酷いことじゃないでしょう? みんなはさ、僕と違ってエリカのことを何でも理解できるわけじゃないんだから。ちゃんと言葉にして分かってもらわないと」
レジーナは、自分を見下ろす視線を感じる。
「……で、そういう諸々の条件を満たす人間、レジーナ様とエリカを入れ替えちゃえばちょうどいいかなって」
背中に冷たい汗が流れる。
シリルは歌うような調子で続けた。
「外見がどうであれ、僕はエリカを愛してるから。僕が無実の証言をすれば、エリカはレジーナ様の身体で貴族のご令嬢として生きていける。リオネルはエリカの身体を手に入れて、レジーナ様はリオネルの隣にいられる。ほら、万々歳じゃない?」
「なんて、ことを……」
「うーん。結構、いい考えだと思ったんだけどなあ。まぁ、黙って進めちゃった僕も悪いかもだけど」
そう言って、シリルはまた笑う。
「階段でのあれ、かなり危なかったよね。僕がいなけりゃ、エリカ死んでたんじゃない?」
軽い調子で口にし、「けどまぁ」と続ける。
「エリカだって僕がいるから飛び降りたわけだし。その辺は、僕たちの信頼関係? ってやつかな?」
それまで黙っていたリオネルが顔面を蒼白にする。
「何を、何を言っている……。飛び降りた? エリカが自ら飛び降りだとでも言うのか?」
茫然とするリオネル。
その横で、エリカが必死に「違う違う」と繰り返す。
シリルは気にした様子もなく、「そんなわけで」と話をまとめる。
「寮からレジーナ様を連れ出す時、あれが最後のチャンスだったんだ。ブレスレットは壊れちゃってたから、急いで代わりの指輪を用意して、ああ、だけど、欠陥品だったんだよね。こんなとこに跳ばされちゃうなんて、ホント、想定外」
憂鬱そうにため息をつく。
「おまけにレジーナ様には立派な番犬がついちゃったし。これじゃあ、入れ替わった後もつきまとわれて大迷惑」
シリルが、漸くレジーナの腕から手を離した。懐から何かを取り出す。
「で、僕も、色々考えたんだよね。これ以上、失敗もできないし……」
レジーナの視界に入るよう、彼が掌を差し出す。
そこに乗せられていたのは、禍々しい魔力を放つ指輪だった。
「アシッドドラゴンの骨で作ってみたんだ。凄いでしょう? エリカの指輪と対になってるんだけど、今までとは比較にならないくらいの魔力保有量でさ」
シリルがエリカに近づく。彼女の正面に立って身を屈め、視線を合わせて笑う。
「ねぇ、エリカ。これなら、成功すると思わない?」
「い、嫌! やめて!」
悲痛な叫び。
隣で、リオネルが「止めろ」と叫ぶ。
だが、皆が拘束された状況、誰もシリルを止めることができない。
シリルがレジーナの元に戻り、腕を取る。
独り言のように呟いた。
「それにしても、まさか、レジーナ様が読心スキルに目覚めてるとは思わなかったなぁ。だって、レジーナ様、色々下手くそなんだもの」
どうしようもない絶望感。
レジーナは彼の名を呼ぶ。
「クロード!」
「聞こえない」と言われても、今のレジーナがすがれるのは彼しかいない。
絶対的な強者。
救いを求め、声の限りに叫んだ。
その瞬間――
ドンという重い衝突音が響く。続いて、ガラスが割れる音。
レジーナは、動けない身体で必死に視線を向ける。
窓ガラスを割って現れた人。佇む影。
レジーナの目に涙が浮かんだ。
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