テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
翌日、いつもの様に出社。
朝イチでパソコンメールをチェックする。
優しい課長のことだから、今日もお礼のメールが届いているだろうと、マウスを動かしカーソルを下げる。
「あった」
すぐに課長のメールを発見し、開く。
【ピーマンの肉詰め、美味しく頂きました。空のタッパーは昨日と同じ場所に入れてあります。忘れずに持ち帰ってくださいね】
読んで速攻で給湯室へ。
昨日と同じ棚を開け、発見したタッパーに手を伸ばす。
タッパーを手に取った瞬間に、何か入っていることを察して思わず笑みが零れる。
早速蓋を開けると、今日も四つ折りの小さな紙と、綺麗に包装された箱が入っていた。
【ピーマンの肉詰めも最高でした。あんなに厚みがあってシャキシャキなピーマンは初めて食べました。しっかりとした食感が残っているのに、甘辛い味もちゃんと染みていて感動しました。ささやかながら、お礼です】という、グルメレポーターの様な感想が書かれた手紙が既にじわじわ面白いのに、
「もう、完全にセルフレジじゃん‼」
包装紙から取り出した箱の中身がマカロンだったことに、笑いが止まらない。
これはもう、イジるしかない。というか、イジって欲しいのだろうと、ニヤつきながら事務所に戻る。
朝会が始まると、課長を一点見つめ。
目が合った隙に突っ込みをぶっこんでやろうと試みる。
が、全然目を合わせてくれない課長。
避けられている様で、無視されている様で悲しい。
1人でワクワクしていた時分が馬鹿みたいだ。
朝会が終わり、しょんぼりしながら仕事に取り掛かると、パソコン画面にメール受信通知が表示された。
新着メールの送信者は課長。
【朝会中に『マカロン』と囁いてやろうという目論みを含んだ視線を感じたのですが、気のせいでしたでしょうか?】
読んでから課長の方を見ると、今日初めて目が合った。
【『マカロン』というのは、課長がセルフレジで購入された、あの丸くて可愛い洋菓子のことでしょうか?】
返信を打ち込んで送ると、また課長の方に目を向ける。
課長はニヤリと口角を上げると、パソコンのキーボードを叩いた。
すぐに課長からのメールが届いた。
【そうです。私が敢えて『マキャロン』と呼ぶ、あのカラフルなフランス菓子のことです】
課長の文面の『マキャロン』の破壊力に、『笑ってたまるか』と堪えた結果、「ブヒッ」という豚鼻を事務所内に響かせてしまった。
「おやおや。事務所に豚さんが紛れ込んでいる様ですね。養豚場に返してあげましょう」
何も知らない洋樹が、遠くのデスクから私を笑うと、周りの社員も一緒になって笑い出した。
「~~~もう‼」
洋樹や他の社員から笑われたことより、課長に笑わされたのが何となく悔しくて、
【マカロンは、イタリア発祥説もあります‼】
鼻息を荒げながら課長にメールを打つと、恥ずかしさを誤魔化す様に音を立ててキーボードを鳴らしながら仕事をした。
何だかんだ、こういう課長とのやり取りも、交換日記の様な手料理とお菓子の渡し合いも楽しくて仕方がない。
洋樹に秘密にしておくことに後ろめたさはある。
でも、やめられなかった。やめたくなかった。
それからは、洋樹がウチに泊まらない日は、課長に手料理を作って夜の会社に持って行く様なった。
そんな日々が1ヶ月くらい続いたある日。
お得意様接待があるとのことで、洋樹がウチに来ないと知った今日も、課長の為に料理を作る。
母が大量に送ってくれた茄子を使って肉味噌炒めを作成し、タッパーに詰め込んでると、玄関のチャイムが鳴った。
インターホンには洋樹の顔が映っている。
え? 何で?
取りあえず玄関のドアを開けると、
「今日、先方の都合で接待なくなったー‼ 超ラッキー‼ お腹減ったー‼ 何か食わせて、日花里ちゃーん‼」
洋樹が満面の笑みを浮かべながら、私に抱き着いてきた。
仕事、大変なんだな。と洋樹の背中を摩りながら労う気持ちはあるのに、課長に手料理を持って行く事が出来なくなってしまう事への残念な気持ちが押し寄せる。
「何か、味噌のいい匂いがするー‼」
洋樹が私の肩越しに、さっき作った茄子の肉味噌炒めの匂いを嗅ぎ取った。
「……食べる? 茄子の肉味噌炒め」
本当は課長に食べて欲しくて作ったもの。でも、洋樹にそんなことは言えない。言えるわけがない。
「もちろん食べまーす‼」
洋樹が靴を脱ぎ捨て、先に中に入って行った。
洋樹がスーツから部屋着に着替えている間に、ご飯の支度をすることに。
茄子の肉味噌炒めは課長の分しか作らなかった。男の人用だから、少し多めに作っていたけれど、2人で食べるには少ない、微妙な量。
『自分はもう食べたから、洋樹だけ食べなよ』と洋樹の分の夕食だけ用意しようか?
でも、今はそれほどお腹が空いているわけではないが、寝るまでに空腹にならないか? と言われれば、それまでには普通にお腹が鳴るだろう、胃のコンディションだ。
さっと玉ねぎでも炒めて肉味噌に混ぜ込んでかさまししようかな。と冷蔵庫の野菜室を開けていると、
「なんか、中途半端な量作ったね」
着替え終わった洋樹がキッチンへやってきた。
「分量間違った」
洋樹に嘘を吐きたいわけではないが、本当のことなど言えない。
「……俺さ、大学から一人暮らしで、割と自炊する方だったから分かるんだけどさ、茄子の肉味噌炒めって、作るのにそんなに時間かからないよね? 日花里、手のかからない料理を作り置きするタイプじゃないよね?」
洋樹の怒っている様な、悲しんでいる様な声を聞いて、『あぁ、私はカマを掛けられたんだ』と悟った。
洋樹が浮気をした時、私はすぐに見破った。だって、洋樹がどんなに普段通りを取り繕っていても、ちょっとした違和感の様な変化を感じたから。
洋樹も感じ取っていたのだろう。私の課長に対する気持ちを。
「洋樹を欺きたかったわけじゃない。洋樹を裏切る様なことは何もしていない。だけど、洋樹が嫌がるだろうから、隠さざるを得なかった。ごめん」
散々言い訳を放ってからの、私の『ごめん』に、洋樹が顔を歪めた。
洋樹に疑いを持たせる様なことをしたのが悪い。私が悪い。分かっているけれど、洋樹はあれから曇りっぱいなしの私の心を晴らしてくれない。洋樹が努力してくれているのは分かっている。だけど、心に出来た曇天は、雨さえ降らずとも薄暗いままで、ここ最近は雲一つない晴天状態になったことがなかったんだ。課長といる時は、そんな厚い雲に切れ間が出来て、暖かい光が差し込んでくる様な感覚になったんだ。
「……やっぱり。課長に持って行く気だったんだ。何だかんだ日花里も分かり易い奴だよね。日花里は気付いてなかったかもしれないけど、俺が『明日は接待の日』とか言うと、『大変だね』って言いながら冷蔵庫の方に目を向けて考え事してたんだよ。俺がいない日の料理の考え事って、普通におかしいだろ」
眉間に皺を寄せて笑う洋樹は、苦笑いでも何でもなく、怒りが滲んでいた。
洋樹に指摘されてもピンと来なかった。それほどに、私の行動は無意識だった。
「……ごめん」
「ねぇ日花里。俺が曽根さんが作った料理食ってたら腹立たない? 日花里は俺に同じことをしているんだよ!?」
洋樹が声を荒げながら私の肩を掴んだ。
洋樹の言いたいことは分かるよ。それほどに洋樹に嫌な思いをさせてるんだよね。
だけどね、洋樹。同じじゃないんだよ。全然違うんだよ。だって私は……、
「……同じじゃない。同じじゃないよ。だって私は課長と、キスもハグもセックスもしていない‼」
私は浮気を、していないんだよ。
「……それを言われたら、俺に言い返す言葉なんかないよな」
洋樹の手が、私の肩からするりと滑り落ちた。
「……俺、帰るわ」
唇を噛みしめた洋樹は、俯きながらリビングに戻ると、壁に立てかけていた鞄を拾い上げ、部屋着のままアパートを出て行った。
パタンとドアが閉まる音がした瞬間に、その場にへたり込む。
「……ごめん、洋樹。だって、ずっと悲しいままなんだもん。どうしたら許せるの? どうしたら嫌な記憶を消せるの?」
やるせなく床に這わせた拳の上に涙が落ちた。
自分を心の広い人間だなんて思ったことはないけれど、洋樹に浮気をされるまで、自分の心がこんなにも狭いなんて思いもしなかった。
日に日に、許せない自分のことが嫌になる。
洋樹にあんな顔を、あんな思いをさせたいわけじゃないのに。
洋樹を許せない自分を許せなくなってくる。
コメント
1件
第7話、読ませていただきました……! 「マキャロン」にブヒってしまった日花里さん、思わず笑っちゃいました(笑) でもその後の洋樹くんとの対峙シーンが切なくて。日花里さんの「キスもハグも♡♡♡もしていない」という叫びに、心がギュッとなりました。お互いを想っているのに、傷つけ合ってしまうもどかしさ…。次の展開が気になります。